Cp.2-4 Dear My Sylph,Smile Again.(7)

「――源十郎様。どうやら、此度はここまでのようです」

 遠く橋の向こう、神住市新都の中空に炸裂した巨大な翠色の爆風を、町を分ける御波川の向うから見ていた者がいた。

 幽白の彩姫・咲弥と、その命士、斯道源十郎は、それぞれに広げていた白花の花吹雪と流光を纏った木剣の勢いを収め、対峙していた相手を静かに見つめる。

「…………」

 相手――黒の魔女は、遠く向うに光る爆風の意味する所を知り、憤怒の思いを噛み殺すように目を怒らせ、歯を砕けんばかりに軋らせながら、咲弥達を呪い殺すように睨みつけた。言葉の出せない魔女に、咲弥がその怨嗟の視線を真っ直ぐに受け止めながら言葉をかける。

「イェル姉様。向こうの決着はつきました。此度はどうか矛をお収めください。これ以上私達が戦うことに意味はありません」

「ええ、そうでしょうとも。あなたはさんざん私の邪魔をことごとく成功させて、思った通りに私の行動をゼロにできたのだから、何も負い目に思うこともないし、さぞご満悦でしょうね。勝者の理を堂々と振りかざすなんて、少し見ない内に嫌な女になったものね。サクヤ」

 魔女の言葉に思わず言葉を呑んだ咲弥を庇うように、源十郎が一歩前に出た。

「君の方こそ、負けた腹いせに暴言を吐いて相手を貶めるとは、嫌な女になってしまったものだな。黒の魔女――否、黒色の彩姫、イェル」

「私の大嫌いな正論をどうもありがとう、白の命士様。私の怒りを買いたいのなら、お望みに応えてサクヤ共々ズタズタにして殺してあげましょうか?」

「来るなら来い。君の眼の曇った理不尽な暴力に、咲弥を傷つけさせはしない」

 源十郎は言って、右手に持った古く色付いた木刀を、風を切るように軽々と振り回し、その切っ先を魔女に向けた。流れるような剣跡に白色の光が薄い残光を引き、舞い散る花弁のような小さな光が剣跡から零れ落ちて、源十郎の刃圏を飾る。

「だが、思い返すことだ。君のしていること、しようとしていることそのものが、私達に向けている八つ当たりとそう変わらないものであることを。正義がこちらにあるか否かを問うまでもなく、君が道を誤っていることは疑いようもない。だから我らは君を止めに来たのだ」

 迷いのない鋭い視線を向けてくる源十郎に、魔女は黒紫色の唾をぺっと地に吐き捨てた。

「本当に……あなたといい向こうの奴らといい、どうしてこう命士っていうのは聖人君子を気取る輩が多いのかしらね。本当に、胸糞が悪くなって仕方ないわ」

「私達が選んだ方々だからですよ、イェル姉様。あなた様のお相手だって――――」

 迂闊に口にした咲弥に、地面と空中から錐のように鋭い荊が飛び出して襲いかかり、それを源十郎が光を帯びた木刀の神速の剣閃を閃かせて、ひとつ残らず断ち切った。一瞬の攻防は、この場の終局が決定的になったことを予感させるものだった。

「ろくに知りもしないで、あの人のことを口にしないで。殺すわよ」

 血走った声で咲弥を威嚇する魔女に、咲弥を守った源十郎がおもむろに剣を降ろして言った。

「いずれにせよ、この状況で君に分がないことは、君にもわかるだろう。君は既に今回の切れる札を全て失った。君がここで果てるのを望むのでなければ、今は退いた方が賢明だろう。我らの願いを聞き容れてもらえないのも残念だが」

「ええ、そうね。気分が萎えちゃったし、吐き気がしそうでたまらない。今日はもうこれ以上、あなた達みたいな偽善者には付き合いきれないわ」

 吐き捨てるように言い放ち、魔女は両腕を水平に掲げて、その場でくるりと踊るように回った。その両手に灯っていた黒青の光が回転に合わせて円の軌跡を描き、それは魔女の足元に小さな黒色の荊のような紋章の描かれた円陣を形成した。足元に広がった黒い円陣は、深淵の池のように重油のような闇を煮え滾らせていた。

 激しい眼を向けながら去りゆく様子の魔女に、咲弥が源十郎に守られながら声を投げた。

「イェル姉様。あなたの闇を拭うために、私達にできることはないのですか」

「…………」

 咲弥の言葉に、厳しい表情を崩さなかった魔女が、ふと、小さく笑った。

 光から遠く離れた自分に、諦めの色を滲ませるような、自嘲のような笑み。

 そこには、ほんの一瞬、咲弥が願っていた光の色が確かに映っていた。

「相変わらず優しいのね、サクヤ。けど、私のことはもう放っておきなさい。これは私が選んでしまった道。あなたに助けてもらおうなんて思うわけにはいかないわ。あなただって自分のことで大変なのに、こんな落伍者を救い上げるのに力を割こうなんて、大きなお世話なのよ。その気持があるのなら、せいぜい次に私に逢った時に殺されないように気を付けておきなさい。次は、容赦できるかどうか……私にも、わからないから、ね」

 魔女は、最後にもう一度、どこか悲しそうな笑みを浮かべ、円陣から立ち上った闇の中に飲み込まれた。魔女を飲み込んだ闇色の柱はそのまま、地面に広がっていた闇の円陣の中に沈むように消え、やがて地面に広がっていた円陣の闇が中心に収束し、水面に波が呑まれるように消え去った。

 激しい熱の残り香を残す沈黙と静寂が満ちる中、源十郎が咲弥の隣に立ち、小さなその肩を抱いた。咲弥はそれに気を許したように、力を抜いて源十郎の精悍な身に寄りかかる。

「大丈夫か、咲弥」

「どうにか。けれど少々、疲れてしまいました」

「そうか。今は休め」

「はい。ありがとうございます、源十郎様」

 源十郎の言葉に心を許し、咲弥は源十郎の腕に身を預ける。

 咲弥の疲労は、真事達に預けた白光の花弁に対する意識の並行アクセスという理由もあった。あの花弁は咲弥の力の一部であり、あれの効果を発動できるのは咲弥だけなのである。咲弥は真事達に預けた花弁に常に意識を繋ぎ、彼らの要請に応じて効果の発動の許可を出していたのだ。こちらでは魔女を止めるための激しい戦いを繰り広げながら、向こうでも切迫した状況の中での発動タイミングの二重の緊張を共有していたのである。並の人間では到底対応しきれないこれほどの並行した意識処理は、その能力に優れた咲弥であろうと疲れることは疲れる。

 だが何よりも咲弥の神経を削っていたのはむしろ、眼前に相対していた魔女と鎬を削り合うことで、彼女の精神のその複雑さに肉薄し続けていたことだった。それはまるで悪夢の渦の中に飛び込みもがくような胸の乱れるものだったが、彼女はその中に微かな希望を見つけていた。

「源十郎様」

「なんだ」

「私は……嫌な女、でしょうか」

 呟いた咲弥に、源十郎は、ふ、と小さく笑って、咲弥を抱く腕の力を少しだけ強くしてやった。言葉を超えたその力に含まれた想いに、咲弥も杞憂を拭われ、その腕の力に身を任せる。

 咲弥の杞憂が拭われたことを機と見て、源十郎は言った。

「何か、見えたか」

「はい。私はやはり、間違っていないと思います。イェル姉様の心は、きっと正せます」

 咲弥の言葉には、確信のような強さが宿っていた。源十郎は、そうか、とそれを肯定する。

「ならば私もお前の『善』を遂げることのできるよう、力を尽くそう。私はお前の剣だからな」

「ありがとうございます、源十郎様。それでは、これからどうなさいますか?」

 喜びと感謝の声と共に訊ねた咲弥に、源十郎は、ふむ、と小さく唸ると、

「思案はあるにはある。だが、今はひとまず、我らも退こう。お前の疲れも癒さねばなるまい」

「畏れ多いことです。私のことなど気になさらなくても。源十郎様の中におられれば、自然と傷も疲れも癒されますのに」

「私も少々疲れた。それに、彼らはなおのことだろうしな」

 源十郎は言って、彌原大橋の向こう、翠色の光の残る薄曇りの空を見た。

 そこにいる少年達の決死の奮闘に心からの労いを送りながら、源十郎は言う。

「ささやかばかりでも、今は彼らも休息が必要だろう。話を進めるのはその後だ。その間、我らも心身を休めておこう。休める時に休んでおくのも、我らの戦いには必要なことだ」

「はい……かしこまりました、源十郎様」

 咲弥は答え、源十郎と共に、橋の向こうにいる翠莉と、それを巡る彼らに想いを馳せる。

 空を走る翠風に切り裂かれた雲の間から、眩しい光が神住原に差し込み始めていた。

  

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