Cp.2-2 Fuzzy Sky Color(7)

「決闘……?」

「何だ。貴様、彩姫に仕える身でありながら、決闘の一つも知らないのか」

 呆然とする真事を、ティムは憮然として鼻で笑う。真事はその態度にむっとしながら、

「翠莉……決闘って?」

「あ、あー、えーっとね、その……」

 真事の訊問に、翠莉が目に見えてうろたえる。拓矢と瑠水はそれで、何となく事情を察した。

「瑠水。もしかして、あの子……」

 その答えを聞くより早く、口にしていたのは灼蘭だった。

「スィリ。あなたもしかして、契約相手に『統合』の戦いのことを教えてないの?」

「ひゃえっ⁉」

 ビクーン、となんともわかりやすく翠莉の肩が跳ねた。

「ち、ち、違うもん! マコトはとぼけてるだけ! 今日は調子が悪いだけだよ!」

「嘘はいけないわよ、スィリ。偽りの言葉は魂の格を下げるわ」

「あう……」

 灼蘭のズバリとした指摘に、翠莉は勢いを失いがっくりと肩を落とした。

 うなだれる翠莉を尻目に、真事はまだ状況理解が追いついていないらしい。

「あの。何がどうなってるのかわからないんですけど……どういうことですか、決闘って」

 真事の言葉に、ティムは呆れ返ったように首を振った。

「何という体たらくだ。他の命士は皆こうなのですか、エルシア様」

「人は人よ、ティム。他は気にする必要はないわ。あなたは私とあなたの信念を守りなさい」

 苛つくティムをなだめると、灼蘭は真事に向き直り、ビッと指を立ててみせた。

「とりあえず、知らないままじゃ競い合うこともできないわ。スィリのお人よしには参ったけれど、いいわ、教えてあげましょう。戦うには同じ土俵に立ってもらわないとね」

 紅い瞳を煌めかせ、灼蘭は真事に問い質す。

「あなたはスィリの契約者ということで間違いないわね。なら、私達彩姫が課せられている使命についても知っていなければおかしいのだけど。どの辺りまで知っているかしら?」

「翠莉が言ってた試練ってやつのことですか。詳しい話はあんまり聞かされませんでしたけど。とにかく僕自身と翠莉を大事にしてほしいって。それくらいしか」

 真事の要領を得ない答えに、灼蘭は彼の認識の度合いを確かめながら、

「そう。では、その存在を統合するにあたっての戦いについては知っているかしら?」

「戦い……何ですか、それ」

 真事はその言葉に、初耳とばかりに訝しむ目を見せた。この時点で彼の状況把握の度合いを知った灼蘭は、呆れたように翠莉に宣告する。

「あのねえスィリ……これはいったいどういうつもり? 統合のことはあなたと彼の存在に関わる重要な話だってことぐらい、いくらあなたでもわかるでしょう? それを説明しないって、あなたはこの試練を生き残る気がないの?」

「あう……だって、戦うなんて、そんなこと話したら、マコトが怖がっちゃうと思ったから」

「軟弱だな」

 翠莉の弁解の言葉を、ティムが一刀のもとに伏せる。

「いくら過酷な事実でも事実である以上、それを伝えなければ、こうした緊急の事態に対処することができない。その場合契約相手はさらなる危機にさらされることになる。そんな理屈もわからないのか、翠緑の彩姫」

「う、そ、それはっ……」

 ティムの言葉には一切の容赦がない。加えて翠莉はそうした苛烈な言葉に弱かった。

「お前がした気遣いは、一時の気休め、あるいは問題の先送りに過ぎない。目の前に立ちはだかる壁に立ち向かうことすらも避ける、弱き者の為す行為だ」

「うぅ……うぅ~っ……」

 ティムの言葉の刃は、翠莉の柔らかな心を容赦なく抉っていく。

 翠莉の瞳から涙が、喉から嗚咽が零れはじめた。それを見たティムが心底呆れた眼をして、

「弱さを指摘されて泣き寝入りか。話にならないな。エルシア様、相手を変えましょう。こんな軟弱な者が相手では、私の心も剣も鈍ってしまう」

「ティム、あなたって本当に女の子にも容赦ないのね。スィリは繊細なのよ」

「自らを動かす覚悟のない者は女子供だろうと弱者です。それが使命を託された彩姫となればなおさら。覚悟なき資格者に酌量の余地はありません」

 灼蘭はティムの行き過ぎた厳格に小さく息を吐きながら、

「仕方ないわね。それじゃあ、ルミナ、タクヤ。せっかくだからまた一勝負――」

「待てよ」

 唐突に、静かに揺らめく声が響いた。声のした方に目を向ける。

 真事が、泣きじゃくっていた翠莉の肩を抱きながら、静かな激情を宿した目でティムを睨みつけていた。

「君、翠莉を泣かせたね。さんざん勝手な理屈を並べて……気に入らない」

 翠莉を庇うようにしている真事の目は、今まで見たこともない静かな怒りに燃えていた。その目を見たティムが感嘆の息を小さく吐く。

「ふん、何も知らなかった子供の割にはいい目になったな。試練に臨む覚悟ができたか」

「別に」

「何?」

 意外な切り返しに微かな驚きを見せるティムに、真事は一切の臆面もなく言ってのける。

「神様だかの試練になんて、はじめっから興味はないよ。ただ、翠莉が泣くのは、僕も気分が悪くなるんだ。だから翠莉を泣かせた君が気に入らない。それだけだよ」

 真事は、翠莉の肩に手を置き、顔を上げた翠莉の翡翠色の涙で濡れた瞳を見つめて、言った。

「翠莉。何だかよくわからないけど、あいつと戦えばいいの?」

「マコト……」

 差し伸べられた真事の手を、しかし翠莉は取ることができない。

「だめ。やっぱりだめだよ。わたしは、戦いたくない。ルミィとも、シャリィとも、戦いたくなんてない。それに、戦えば、マコトも傷ついちゃうかもしれない。そんなの、わたしは……」

「翠莉……」

 戦いを望まない翠莉を前に、ティムが吐き捨てるように言う。

「甘いな。甘すぎる。そんな程度の軟弱な覚悟では、どのみち存在の資格を勝ち取ることなどできないだろう。貴様は、何かを巡って争うというこの試練の中にいるべき存在ではない。まったく、神は何を思ってこんな不適格者を生まれさせたのか」

「――ッ!」

 ティムの言葉に、真事の感情が爆発しそうになる。

 しかし、彼の足が踏み出そうとした直前に、翠莉の言葉が光を帯びた。

「いいの。それでもいいの。わたしは、《イリス》になるためにこの世界に来たんじゃないもの」

「何?」

 ティムは耳を疑った。翠莉は重ねるように、自らの強い想いを口にする。

「わたしは、マコトに逢うために、生まれて、この世界に来たの。戦うために、傷つけあうために、マコトを傷つけるためにこの世界に来たんじゃない。だから、マコトと一緒にいられるのなら、わたしは《イリス》になれなくてもかまわない。わたしが生きていられる間、ずっとマコトのそばにいて、マコトを慰める、それがわたしの『善』だから」

 言葉と共に、翠莉はティムを見返していた。その瞳には光が宿っていた。

 意志の光を受けたティムが、わずかに目を細めた。

「ふん……なるほど、それが貴様の覚悟、そしてやり方というわけか。確かに、決闘のみが我ら彩命士の生存の手段というわけでもない。何らかの別の手段を取るという手も認められるだろう」

 そして、一理の同意を示したうえで、厳しい目を再び翠莉に向けた。

「だが、お前はそれ以上に決定的なことを忘れている」

「え……」

 空隙を突かれた翠莉に、ティムは告げた。

「お前は私の宣戦布告を拒絶した。それは、私がお前達を襲えば、抵抗なく殺されてもかまわないということを認めたに等しい。戦う意志を放棄するというのは、そういう意味だ」

「!」

 告げられた真理に、翠莉は絶句した。

「ち、違うもん! そんなつもりじゃ……」

「ならばなぜ、戦いたくないなどという戯言が吐ける。守りたいものがあるのに、それを奪おうとする者と戦おうとしない、それは矛盾以外の何物でもないだろう」

「う、っ……」

 ティムの突きつけた真理に、翠莉は今度こそ全ての言葉を封殺され、その瞳からも強さが消え失せようとしていた。その様を眺め、ティムは面白くなさそうにため息を吐く。

「私にお前達を殺すような意志はないが、どのみち、戦う意志のない者を相手にしたところで、それは戦いにはならない。ただの一方的な暴行だ。それは私の道義を損なう。お前達では相手にならない。行きましょう、エルシア様。ここにはろくな相手がいません。次の相手を……」

「いいかげんにしろよ」

 怒気に燃える声が、背中を向けたティムを呼び止める。

 真事が一歩、前に出ていた。翠莉を守るために、あるいはティムに挑みかかるように。

 その瞳には、今にも溢れ出しそうな熱く煮えたぎる感情が、どうにか抑えつけられながらジリジリと燃えている。煮えたぎる闘志の塊となった真事を目に、ティムは問うた。

「そういえば、まだお前の意志を聞いてはいなかったな、翠緑の命士。まあ、相手が相手である以上、たかが知れていそうなものではあるが」

「いいかげん黙れ。これ以上翠莉をけなすのは、僕が許さない」

 押さえつけている感情を乗せて、真事は炎のように燃える声を吐き出した。

 そのやり取りを眺めていた灼蘭が、呆れたようにティムに言う。

「ティム。あなたって本当、敵を作りやすい性格してるのね。相手が私じゃなかったら、とっくに付き合いきれなくて逃げられてるわよ」

「この身を支える信念は一つ、故に誰に何を遠慮することもないでしょう。元より全てを敵に回して生きて死ぬと誓った身です。今更敵が増えようと苦でもありません」

「まったくもう、困った男ね。そういう激しい所も好きだけど」

 鉄の信念を傲然と貫くティムを、呆れながらも笑みを浮かべて寄り添うエルシア。

 そのわずかな間に、真事が口を開いた。

「翠莉、待ってて。君が戦わなくてもいい。僕が、戦う。あいつをぶちのめす」

 告げられた真事の言葉に、翠莉は激しく動揺した。

「だ、だめだよマコト! 彩姫の力に人間がたったひとりで戦いを挑んだって、勝てるわけないよ! それに、あの白い人だって剣を持ってるし、マコトひとりじゃ敵わないよ!」

「そんなの、関係ない。君を侮辱して泣かせたような奴を、僕は許せない」

 勝ち目のない戦いに入ろうとしている真事を引き止めようとする翠莉を、真事は静かに燃える言葉で制する。言葉を失う翠莉に、真事は激情を和らげて声をかけた。

「それに、君だって戦いたくないんでしょ。だったら、君の分まで僕が戦えばいい。君を傷つけたくないのは、僕だって同じだから。これは、僕の戦いにすればいい」

 そう言って、真事は燃える想いのままに翠莉を背に庇いながら、言った。

「大丈夫、翠莉。君を泣かせる奴なんて、僕が叩きのめしてやるから」

「マコト……」

 瞳を潤みに揺らす翠莉に背を向け、真事は燃える心でティムに宣戦布告を返した。

「そこの白い奴、逃げるなよ。僕ならお前をぶちのめすことに抵抗はないからな」

 対するティムは、ようやく興が乗ってきたような表情で返す。

「ふん、威勢はそれなりに良い。だが、彩姫の力もない上にろくに戦いの経験もない者が、この私とエルシア様に匹敵するはずがない。勝負は既に見えている」

 言うなり、サーベルをすらりと抜き放ち、真事に剣先を向けた。

「だが、守るべきもののために臆せずに牙を剥くその意気や善し。守るべき姫と誇りの下に生きる騎士として、誠意を以て尋常に相手仕ろう」

 言葉とは裏腹に燃える目をして、ティムもまた背にした灼蘭に言い放つ。

「エルシア様、助力はご無用です。相手が生身で来るというのなら、貴女の助力は過ぎた優位になってしまう。あの程度の相手なら、私の腕のみで十分です」

「あーら、そう? それじゃあお言葉通り見物させてもらおうかしらね」

 灼蘭は興気に言うと、素直に後ろに下がり、腕を組んで観戦の姿勢に入った。

 ティムと真事、正面から向き合う双方の視線がぶつかり合い、火花を散らす。

 言われるまでもなく戦力差は明らかだ。それは真事もよくわかっていた。

 それでも、翠莉を、好きな女の子をここまで侮辱されて、退くわけにはいかなかった。

 そして、ティムはそんな相手の事情を推し測って加減をするというようなことはしない。認めた相手に対しては相応の相手の仕方をするというのが、ティム・クランローズという男だ。

 このままぶつかれば、勝敗すら超えた結果はすでに見えていた。

(まずいですね……いくら何でも、彩姫の力なしに彼を相手では、真事の分が悪すぎます)

(真事君……!)

 瑠水の言葉に、傍観の位置にいる拓矢の胸がざわつく。

 真事に、ティムが挑発するように剣と言葉と、刺すように鋭い目を向ける。

「ふ、来ないのか。そんな引け腰で姫を守る騎士とは、笑わせる」

「……ッ!」

 その言葉を皮切りに、睨み合う二人の間、張りつめた感情の糸が切れた。

 鎖から解き放たれたように真事が駆けた。その右拳を突き出す溜めの形で強く握りこんでいる。元より、ただ全力の一発をぶち当てるつもりだった。

 しかし、そんなわかりやすい攻撃を見きれないティムではない。

 挑発に乗せられ走る真事はもはや何も考えていない。そしてそれはつまり、ティムの絶好の攻機だった。今の挑発のみが明らかな遊びで、次は遊びを捨てた試しの一撃が来る。

 あのティムが生ぬるい一撃を繰り出すことはない。

 だめだ、と直感できる拓矢。だが、止めることはできなかった。

 間に合わないから、ではない。

 愛する人をあんなに悪しざまに言われて、止まることは自分でもできないから。

 拓矢の心の迷う間に、瞬く間に距離が詰まる。

 ティムの剣閃が走り、勝負が一瞬で決まろうとしたその時。

「マコトっ!」

 翠色の光る影が、颯爽と二人の間に滑り込んできた。

 緑色の体が踊るように回転し、小さな翠風の竜巻を形作る。

「む、っ……!」

 ティムは危険を察知し、一歩飛びのいた。真事との間に距離が置かれる。

「翠莉……」

 真事は、目の前に現れてくれた翠緑の妖精をその目にしていた。

「マコト……ごめんね。わたしのせいで、危ない目に遭わせちゃって」

 翠莉の声は、微かに震えていた。遅きに失した自分を悔いるように。

「わたし、大事なことを忘れてたみたい。やっぱりシャリィともルミィとも戦いたくなんてないけど、マコトがわたしのせいで傷つくのは、それよりも嫌。マコトをわたしのために一人で危ない目に遭わせるなんて、できない。だから……」

 意志を以て放つ言葉と共に、翠莉の瞳に翡翠色の光が煌めく。

「マコトが戦うならわたしも戦う。わたしは、マコトを守るために生まれてきたんだから」

 決意する彼女の周囲、手元と足元に、若草色を帯びた風が渦を巻くように集まる。

 翠莉の彩姫としての力、《翠舞奏爽ケルビム・ルヒエル》の力の顕れだった。

 決意の光を纏った翠莉は真事と目を合わせ、二人は意を決した瞳でティムに向き直る。

「ふむ」

 覚醒を始めた彩姫が相手の上、多勢に無勢。

 形勢を逆転させられたティムは、ちらとエルシアに意識を向ける。

 エルシアは計略がぴったり嵌った時のような至極面白そうな表情でティムを見ていた。

「手出しは無用なのよね、ティム? 見せてもらうわよ、あなたの言葉の強さをね」

「こうなることを見越しておられましたか……やられましたね、さすがはエルシア様だ」

 ティムは参ったとばかりに嘆息すると、再び視線を目の前の二人の相手に戻す。

 その瞳は、不屈の信念を宿した炎の色に燃えていた。

「いいでしょう。我が忠誠と信念の強さ、証明して御覧に入れましょう」

 言葉と共に、ティムの瞳に漲る戦意がさらに強く膨れ上がり、相対する二人を圧倒する熱気を放つ。

「見せてもらおう、お前達の力の程を。まさか彩姫との二人がかりで、生身の人間一人を倒せないということはあるまいな?」

 言葉とは裏腹に、自身の敗北を微塵も予感させない、傲然たる声。

 そして同時に、意志に目覚めようとする二人の姫と騎士を試す言葉に、翠莉と真事、二人は心を躱して覚悟を定め、ティムに正面から相対する。

 翠緑と灼熱の戦意が混ざり合い、対決のその場を満たした時、

「ちょっと!」

「「っ⁉」」

 全く予期しなかった強烈な一喝に、三人は度肝を抜かれ、その場の緊張が霧散する。

 声の主は、今まさに命士同士の決闘が行われようとしていた庭の家の主、乙姫だった。

「あなた達、朝っぱらから人の庭先で決闘なんて何を考えてるの! 特にそこの金髪の君、剣なんか抜いてどういうつもり⁉ 喧嘩にしても冗談には程があるわよ!」

 突き刺さるような剣幕の乙姫に、ティムは圧倒されながらもそれに応える。

「我らは《聖域》を展開すれば別次元の存在となるゆえ、貴女の家宅にも危害は加えない。貴女が心配するようなことは、」

「大ありよ! あなた、とにかくまずはその剣をしまいなさい! 物騒でしょ!」

「ならぬ。抜刀は私の意志の現れだ。一度抜いた剣をそのまましまうような不義は許されない」

「ああもう……タク、この子達何なの? どうすればいいの?」

「うーん……」

 頭を抱える乙姫に、振られた拓矢も答えに困る。そこに灼蘭がティムの無遠慮をたしなめた。

「こら、ティム。無関係の女性を困らせるのはあんまり感心しないわよ」

「は。しかしこちらとしても相手を前に一度抜いた剣を振るわずにしまうわけにはいきません」

「もう、堅物ねぇ。だったら場所を移せばいいだけのことじゃない。かといって地上ではそんなに迷惑をかけないで済む場所もなさそうだし……」

 思案しながら灼蘭は青く晴れた空をおもむろに眺め、軽く呟くように言った。

「そうね、空にでも行きましょうか。スィリは空が得意だし、いいハンデにもなるでしょ」

「御意。では失礼ながら《翼》をお借しください、エルシア様」

「オッケー。空を飛ぶのも久しぶりね。落ちるんじゃないわよ?」

 言葉を交わすと共に、ティムは灼蘭の手を取った。繋がれたその手から赤い光が流れ込む。

 力が巡り渡ったのを体で感じ、紅蓮の幻気を纏ったティムは地を蹴り、上空へ高く跳んだ。現実の重力から自らを隔絶することによる飛翔力を得て拓矢の家の屋根を軽々と超える高さまで飛び上がると、その高度で滞空する。彼の体を中心に紋章を巡る方陣が球を描くように展開し、その背に不死鳥のような、炎のように赤い翼が現れた。

「さあ、ここまで来い、翠緑の命士。私を殴りたいのならな」

 ティムは上空からサーベルの切っ先を地上にいる真事に向け、あからさまな挑発を仕掛ける。

 対する真事にも、もはやそれに応じない気持ちの余裕はなかった。

「翠莉……いける?」

「うん。いつもみたいに飛べれば、だいじょうぶ。わたしも、がんばるから」

 翠莉は振り向いて頷き、真事の手を取った。繋がれた二人の体が若草色の光を纏い、真事の首を背から抱く翠莉の姿が、彼を纏うように踊る揺光となって真事の姿に融けてゆく。

 全身に翠色の揺らめきを纏い、真事は上空に座すティムを見上げ、意を決したように地を蹴った。その体が天へと導かれるように上空へと飛んでゆく。その背には、翠色に透き通る揚羽蝶のような幻の翅が現れていた。

 同じ高度まで飛び上がり、重力の軛とは無縁となった体で、真事はティムと空中で相対した。その瞳には、隠されない怒りの炎が現れていた。

(ふむ……初陣でこれか。少なくとも、魂の馴染みは良いようだが)

 決意ある相手の対峙を認め、ティムの眼が引き締められる。

「さて、急ごしらえのその戦意……どれほどのものか、見せてもらおうか」

 そして、その決意を迎え撃つように、気勢一新、剣を構えた。

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