Cp.2-2 Fuzzy Sky Color(6)

 翌朝早く、朝食が済むと真事は不器用ながら丁重に退去の意を示した。

「せっかく来たんだからゆっくりしていけばいいのに……って言いたいけど、そういうわけにもいかないんだよね?」

「はい。学校もあるし、親も心配してるだろうし……それに、翠莉が調子に乗ってしまうので」

 拓矢の気遣いを受け取り、真事は拓矢と家主である乙姫に恭しく感謝を述べる。

「本当に、ありがとうございました。泊めてもらえていなかったら野宿になるところでした」

「ふふ、いいのよ。めったにないお客さんだったし、こっちも楽しかったわ。またいつでもいらっしゃい。タクの友達になってくれるなら、いつでも歓迎するわ」

「本当ですか。それは、その……ありがとう、ございます。お姉さんの作ってくれた目玉焼き、おいしかったです」

 乙姫の言葉に真事は決まり悪げに顔を伏せ、それを見た乙姫が大人らしく微笑む。昨夜の話で乙姫のその言葉の真意を読み取れた拓矢は、またも複雑な気分になった。

 真事は乙姫を見、次いで拓矢を何やら含みのある目で見て、最後にその隣にいた瑠水にひっついている翠莉を半ば強引に引っ張った。

「ほら、翠莉、帰るよ」

「えー、もう一晩くらいいいじゃーん! まだルミィとタクヤとお話したいー!」

「あのね、そんなこと言いだしたら君、いつまでもここにいるでしょ。いいからもう行くよ」

「むぅー、やだー! まだ帰りたくないー!」

 わがままモードに際限のない翠莉。再度困惑に陥りかけた真事に瑠水が助け舟を出した。

「ほら、スィリ。あまり真事を困らせてはダメよ? 大丈夫、私達を繋ぐ魂の絆がある限り、またいつでも逢えるわ」

「ふぇー……むぅ。わかったよぅ」

 さすがに真事の魂胆を察したのか、翠莉は観念したように唸り声を上げると、もう一度だけ瑠水にひっついた。

「ねね、ルミィ。また遊びに来てもいい? わたし、またルミィに逢いたいの。ルミィともタクヤとも、お姉さんとも、まだまだお話したいんだ」

 翠莉の純真な言葉に、瑠水は拓矢に視線を送り、二人は小さく頷きあった。

 この二人なら、また会っても間違いはないだろう。

 拓矢の頷き返す視線を受けて、瑠水は視線の低い翠莉に微笑を注ぐ。

「ええ、またいつでもどうぞ。拓矢と一緒に待っているわ。ただし、真事のこともちゃんと考えるのよ?」

「うん! またすぐに来るからね! ルミィ、大好きっ♡」

 瑠水の胸に飛び込む翠莉と、背の低い翠莉を抱きとめ優しく頭をなでる瑠水。じゃれ合うような二人の様は、仲睦まじい姉妹のような光景だった。

(何ていうか……本当に、無邪気な子なんだな。見てるこっちまで照らされそうだ)

 隣でその微笑ましい光景を見ていた拓矢に、真事が歩み寄っていた。

「拓矢さん……本当にありがとうございました」

「いいよ、気にしないで。僕にしても気まぐれみたいなところもあったしね。真事君が無事で済んだなら、それでよかったんじゃないかな」

 軽く返す拓矢。その様子を見て、真事が呟いた。

「うらやましいです」

「えっ?」

 あまりにも唐突で、拓矢は一瞬、何を言われたのかわからなかった。だが、拓矢を真っ直ぐに見つめる真事の目は、深い虚無と、そこから生じる羨望のような色を宿していた。

「拓矢さんは、お姉さんも優しくて、女の友達もいて、仕事も頑張れていて。それに、瑠水さんを……相手のことも大切にできていて。本当に、うらやましい。僕なんかとは、全然」

 わかりやすい優劣比較と自己卑下だった。拓矢を、彼の悩みとは無縁な存在の位置に置いて。

(……違う)

 真事は、知らない。

 拓矢が、本当の家族を失っていることも。そこにある、彼の心の傷痕も。

 大切な人達との平和な日常――ここまでたどり着くのに、どれだけ苦難の日々があったかも。

 今は大切にできている瑠水を、不覚悟で失いそうになった、その痛い思いも。

 拓矢は、決して真事より強くなどないことを。

 羨望そのもののその言葉を聞いて、拓矢は胸に痛烈な痛みを感じた。

 それは、過大評価されていることへの、転じて自分の小ささを痛感したせいか。

 それとも、そんな自分の抱えている弱さを彼が知らないことへのやりきれなさか。

「僕は……」

 拓矢の口から、塩辛い心が漏れ出そうとしていた。

「ふむ、これはまた、よい所に巡り合わせたものですね。エルシア様」

 そこに、金属質の硬い靴音と共に割り込んできた、聞き覚えのある声があった。

「!」

 聞き覚えのある声色に、その者に対する印象の強さから、拓矢は即座に声のした方を向く。

 白金色の紳士服に身を包み、腰に白いサーベルを提げた青年。

 屹と立つ全身から漂う、西洋刀剣のような冷徹な熱情。

「昨日の今日になるか。どうやら持ち直しているようだな」

 冷たい炎のような鋭利な視線に、気品を失わない傲然たる口調。

 そこには、赤の命士、ティム・クランローズが立っていた。

「ティム……」

 拓矢は呟き、すぐに第二の事実に思い至った。彼がいるということは、

「ハァイ、タクヤ! 元気してる? ちゃんとルミナと愛し合ってるかしら?」

 その事実を裏付けるように、相変わらず威勢のよい覇気と共に、紅蓮の彩姫・灼蘭エルシアが、ティムの横に颯爽と姿を現していた。

 突然の来訪と相変わらずの二人の調子に拓矢は出ばなをくじかれながら、

「君達……何でここに」

「あなた達の様子をちょっと見に来たのよ。この間の今日だからね。ちゃんと元に戻れてるか、気になっちゃってさ。でも見た感じ、心配はなさそうね」

 拓矢の言葉に、灼蘭は情熱的な紅いルージュの光る唇を笑みの形にニッと上げてみせた。それを見た乙姫が困惑気味に拓矢に訊いていた。

「何、タク? 見た感じ……この人達も翠莉ちゃんたちと同じような知り合い?」

「あ、うん。この間、瑠水を助ける時にちょっと、色々あって」

「なるほどね……どうもここ数週間で、随分と不思議な知り合いが増えたわね」

 拓矢はあえてそう紹介し、乙姫は不思議な感慨と共にそれを納得する。

 そこに、ティムの言葉が切り込むように割って入った。

「見る限り、さほど気落ちを残しているわけでもなさそうだな」

 言って、ティムは拓矢の目を試すような鋭い視線で見据えた。

 拓矢は胸の内に強い想い――彩姫を守る命士としての自覚が強く燃え上がるのを感じた。彼と相対するとどうしてもその気持ちが強くなる。

「うん。もう大丈夫だよ。あの時はありがとう、ティム。君のおかげで、少しは強くなれた気がするよ」

「ふん、強さを言葉で語るうちはまだまだ未熟だ。それにあの時は我が主エルシア様の御意に従ったまで。貴様を助けたつもりなど毛頭ない」

 相変わらず一切の温情を見せないティム。だが拓矢は、先日の瑠水救出の時の彼への恩義を忘れていない。彼が示してくれた騎士としての心構えの喝は、今でも強く胸に刻まれている。それがわかったので、拓矢は心を痛めることなく、かえって心が活を入れられる気がした。

「そうだったのね。わざわざありがとう、エルシア。おかげさまで二人とも幸せよ」

「っふふ、よろしい。仲が良くなったようなら何よりよ。ところでルミナ」

 満足げな笑みを一旦収め、灼蘭は瑠水達の隣、彼らを呆然と眺めていた真事の方に目を遣った。

「もしかしてそこにいるのは、」

「わぁ、シャリィー! 久しぶりだよぉー!」

 灼蘭の言葉が終わらない内に、早くも翠莉は第二の姉シャリィことエルシアに飛びついていた。ティムが度肝を抜かれる中、灼蘭は小さな翠緑の妹をじゃれ回す。

「あら、やっぱりスィリね! 元気してた?」

「もちろんだよぉ! やったぁ、ルミィに逢いに来たらシャリィにまで逢えるなんてラッキー! 久しぶりだねぇ、逢いたかったよぉ」

「ふふ、相変わらずちっちゃくて可愛いわねぇ、このこのぉ~」

「きゃはは、やめてやめてシャリィ、くすぐったいよぉ~」

 灼蘭が翠莉を揉みくちゃにせんばかりの勢いで抱きまわす。

 再会早々じゃれ合う二人。朗らかなその光景に、拓矢は思わず、

「瑠水……灼蘭ってもしかして、そんなに危ない人じゃない?」

「ええ。紅蓮の女性たるエルシアは炎の如き情熱を燃やす女性ですが、決してそれが見境なしに周囲を焼き尽くす暴力の炎になるような理性のない存在ではありません。私達彩姫はみな少なからず『善』の性質を持ち合わせた者ですから。彼女の炎の心の光は激しく熱いものであると同時に、触れる者を温める明るく優しいものでもあるのですよ」

 苦笑と共に瑠水は拓矢にそう話す。妹をいじり回す姉のような灼蘭を目にしながら、近寄りがたいほどの強烈な印象は主にティムの発散しているものなのか、と拓矢は一人合点していた。

 しかし、とそこで拓矢は思う。

 この二人が(当たり前だが)一組でこの場に現れるということは。

 彼らが言うような、自分達の安否を確認しに来た、というのもそれはそれで真実だろう。だが、彩姫の三人も集まった場で、彼らがそれだけでは済まないような気がした。

 その懸念を現実にするように、ティムがじゃれ合う灼蘭に口を挟んだ。

「エルシア様。お楽しみの所失礼ですが、本意を忘れたわけではありませんね」

「何よ、せっかくの姉妹との再会なんだし少しくらい良いじゃない。わかってるわよ。それにあなたがあたしの本意に口を出せるのかしら。あたしを誰だと思っているの、ティム?」

「恐縮です」

 灼蘭の言葉に、ティムは非礼を詫びるように一歩引いた態度を示す。

 二人の会話を聞いて、拓矢は彼らの思惑が既にある程度読めてしまった。

 かつて、自分達に評価のための戦いを挑んできた紅組の二人。

 彼らが、拓矢の知る二人であることが疑いようもないのならば、彼らがここで取る行動は。

「どうしたの、シャリィ?」

 急に張りつめた空気を翠莉が奇妙に思う中、彼女を抱いていた灼蘭が、背の低い翠莉の目を、燃えるような紅い瞳で、意志を注ぎ込むように見つめる。

「スィリ。今日はルミナに逢いに来たのだけれど、あなたに逢えたのは幸運だったわ。予期せず、チャンスが巡って来たのだものね」

「チャンス?」

「あなたも彩姫の一人なら、彩姫と命士の組が相対する、それが何を意味するか、わからないわけじゃないわよね?」

 灼蘭のその言葉に、翠莉の表情が固まった。

「シャリィ……もしかして」

「ええ。そのもしかしてよ」

 惑う翠莉に、灼蘭はためらいなく言い放つ。その後をティムが継いだ。

 真事の頼りなさげな目を射抜くように見つめ、宣戦布告として。

「翠緑の彩姫、そしてその契約者。《イリス》の存在を賭けて、決闘を申し込む」

 その言葉に呆気にとられる真事の横、翠莉の表情が凍り付いたのが、拓矢にはわかった。

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