Cp.2-2 Fuzzy Sky Color(4)

 奈美を家まで送り届けた後、拓矢は家に戻り、そのまま床に就いた。

 寝床に入っても、拓矢はすぐには寝付けなかった。新たな彩命士との邂逅という事件のことが頭にあったのもそうだが、何より、先程の瑠水達の話の熱気、そして奈美との帰り道での話がまだ自分の体にも昂りとして残っていたのがあった。

 どうやら、瑠水と奈美は今の所自分を巡る動きで対立せざるをえないらしい。瑠水の方に至ってはそんなつもりは全くないほどの余裕を見せているが、それはおそらく奈美の神経を逆撫でするだろう。加えて、奈美も人に敵意を持つという人間ではないので、余計に事は複雑に見える。拓矢としては、それこそ瑠水の提案してくれたように丸く収まるのが望ましいのだが、現時点ではそうもいきそうにない。

 奈美も、瑠水も、そして他の大切な人達も、大好きであることは皆同じなのに。

 どうにも、その気持ちだけではうまくいかないようにできているものらしい。

(どうにも、ならないものなのかな……)

 さすがの拓矢も、この状況で自分との関わりを自覚しないほど間抜けではない。

 何の罪もない罪な男は、ぼんやりとそう思った。

 そう思った時、瑠水の言葉がふいに脳裏に鮮明に蘇った。

 ――拓矢は心の優しい紳士だから、あまり私に手を出してくれないのだけれど。

 小さく笑みながらそう口にしていた瑠水の言葉は、ひどく艶やかに聞こえた。

(瑠水は……)

 本当に僕がその気になれば、何でも受け容れてしまいそうだ。

 傲りではなく、考えられることとして拓矢はそう思った。無論それで瑠水を好き勝手に弄ろうなどとは思わない。それは自分の良心にとってよくない気がした。

 けれど、もしも彼女が、そんな自分の邪な欲望を含んだ弱ささえも認めてくれるのなら、それは、拓矢がずっと求め続けていた「許し」の一つを得ることに他ならない――拓矢はそんなふうに思った。

(すべてを受け入れてもらえるっていうのは……有難いことだよな)

 それらの願望の有無よりも、そんな存在を手に入れることができたことは、素直に幸運だと思った。そして尚更、彼女を大切にしたいと思った。

(いつか……そんな時が、来るのかな)

 胸の奥深くに小さな願望の灯が点る。

 その背中に、そっと瑠水の手が触れたのを感じた。

 言葉はなく、二人は一つのベッドの中で微かな魂の温もりを分け合っている。

 閉じられたカーテンの下の隙間から、月明かりがわずかに零れていた。

「ねえ、瑠水」

 拓矢は、背中に寄り添う瑠水に声をかけた。

「何でしょう、拓矢」

 静かな声が、彼女が身を寄り添わせる背中越しに伝わってくる。

 先程の瑠水の言葉で何やら揺れていたように見えた奈美のことが心配だったが、瑠水に何を訊いてどうなるものでもなさそうだったので、拓矢は話す話題を切り替えることにした。

「あの二人なんだけど……本当に、戦う気はなかったのかな」

 拓矢の問いに、瑠水は小さく頷きを返した。

「今感じられている時点では、少なくとも二人に私達と戦う意志はありません。元々スィリは先日のエルシアのように好戦的な性格ではありませんし、お相手の方もそこまで積極的な性格ではないようです。あの子の言葉通り、ただ素直に私に会いたかっただけなのでしょう」

「そっか……彩姫って、あんな子もいるんだね」

「私を含めて八人ですから。皆、それぞれの色を持っていますよ」

 かつての姉妹を思い出すような嬉々とした調子の瑠水の言葉に、拓矢も胸が温かくなるのを感じる。

 瑠水から統合の試練の話を聞き、さらに最初に赤組という好戦型の彩姫と命士に遭ってからというもの、拓矢は他の彩姫や命士の存在に警戒心を覚えていたが、そこに来て出会ったあの二人は正直意外だった。まだ警戒を解くわけにはいかないだろうが、あの二人、とりわけ翠莉の無邪気な態度からは、騙し討ちのような後ろ暗さを感じられない。

「じゃあ、今は彼らと戦わなくてもいいのかな」

「ええ。あなたがそう思っているのなら、戦わなければいけない理由はありません。彼女……スィリもそれを望んではいないようですし。彼らとは絆を育むのも一手かもしれませんね」

「そっか……そんな手も、あるんだな」

 拓矢は一人合点していた。戦うばかりが試練の手段ではないことを知った。

 ひとり納得する拓矢に、それよりも、とばかりに瑠水が背中越しに言う。

「ねえ、拓矢」

 やけに艶めかしい口調に、拓矢の胸がざわめく。

「……何?」

「彼女達は毎晩、抱きあっているそうですね?」

 色艶のある声と共に、誘惑するように背中を擦ってくる瑠水の手。

 拓矢は、胸の中に甘く危険な感情が湧きあがるのを抑えられなかった。

「瑠水は、」

 抱いて、欲しいのか。

 その先を言葉にしなかった拓矢の内心を察した瑠水は、くすりと小さく笑う。

「ええ。もちろんです。あなたの熱い愛情を、私はこの身で受け止めたい」

 笑みさえ浮かべて口にした迷いのない愛の言葉に、拓矢の心臓が揺さぶられる。

「けれど、あなたが本気になれないのなら、それを望みはしません。中途半端な気持ちでは、熱い想いも醒めてしまうというものですから」

 瑠水は、次いで少し寂しそうな、しかし期待を込めた色の言葉を紡ぐ。

「私は待っています。だから、いつか私をあなたのその全てで愛してください。あなたが全てを脱ぎ捨てた、ありのままの愛を私に示してくれることを、私はずっと待ち望んでいますから」

 そして、ぴっとりとその身を拓矢の背中に寄せ、瑠水は願うように口にした。

 瑠水は、こと「愛」に関しては、いつも本気だった。ただひたすらに拓矢の存在を求めるそこには媚も打算もない。魂を捧げるどこまでも純真無垢な愛を、彼女は示し、また求める。それが美しいものだと思えてしまうなら、もうその情熱は止めようがない。

 だが、脳裏に蘇る奈美のことを想うと、どうしても熱情に身を任せることはできなかった。

 拓矢の中で同時に高まる、瑠水への情欲と奈美への懸念が相克していた。

 背中の方に寝返りを打つと、月光色の髪を広げて横たわる瑠水の丸く光る瑠璃色の瞳があった。実体でないはずの彼女の体はしかし夜花のような甘い香りに満ちていて、擦れ合う細い腕の感触、重なり合う身体の滑らかさ、一心に注がれる瞳の色は、肉体と精神の甘美を拓矢の総身に呼び起こす。

 拓矢は湧き上がる想いに傾き、向き合う瑠水の細い肩に寄りかかるようにそっと腕を回し、瑠水の体を引き寄せた。力を込めて体を抱くと、夜露のように甘い香りが細く柔らかい体から立ち上り、ざわめく胸をくすぐる。

「拓矢……」

「ごめん。今は、ここまででいいかな」

 身を任せるように抱かれる瑠水に、拓矢は申し訳なさそうに言う。

「ええ。十分です。その心を示そうとしてくれるだけで、私は幸せです」

 瑠水は拓矢の腕の中にその華奢な体を滑らせながら、拓矢を気遣うようにくすりと笑った。

「どうか、私を愛することをためらわないでください。それが今の私の願いです。拓矢」

 陶然と口にしながら、瑠水は拓矢の胸に身を預けていた。拓矢は瑠水を腕の中に抱きながら、瑠水のその言葉を、眠りに落ちるまで何度も心の中で反芻していた。

 その晩、それ以上の事に及ぶことはなかったが、拓矢は瑠水の冷たい身体を抱きながら、胸の内に生まれた熱情を彼女に示せることを、心と体で確かに記憶した。

 腕の中に甘草の夜露のような甘い爽やかな香りのする瑠水の感触を感じながら、そのまま拓矢は眠りに落ちていた。


 その日の夢――拓矢と瑠水は、緑組の精神世界に誘われた。


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