第102話 貸しの清算

 『貸し』というものは恐ろしいものだ。おいそれと簡単につくるものではない。

 俺は今日それを改めて知った。


 見よ、この惨状を!


 事の発端は円四郎が一週間ほど薫が馴染むまで飯の世話をしてくれと、借りを返してもらうと言い出したことにある。

「ちょっとばかり若返ったからって、良い気になるんじゃないさね」

 案の定といった具合で、お豊と薫は犬猿の仲となってしまった。


「あなたは江戸時代生れなのでしょう? 相当のババアですね」

 イケナイ、それを口にしては……。

 この狭い世界の中で最も長寿なのはソフィーなのだ。そのソフィーの機嫌を損ねることはとても拙い。

「円四郎! 悪いが借りは返せそうにない」

「薫には拙者から厳しく言い付けておくでな。爽太」

 爽太は頷くと円四郎と共に薫を引き摺って帰っていく。

「螭は残れ」

 螭を残すのにはまた別の理由がある。だが、今はまだそれ処ではない。


「ソフィー、薫も今日亡くなったばかりで、色々とあるのだろう。暫く我慢してやってもらえないかな」

「別に怒ってなどおりませんよ。少しカチンときただけです」

 それは怒っているのと同義だと思うよ?

「円四郎も叱っておくそうだから、俺と円四郎の顔に免じて、な?」

「まーま」

 この子は本当にタイミングが良い。いいぞ、風花。

 ソフィーはパァと花開くように上機嫌へとなる。

「聞きましたか? マーマと言いましたよ! 初めて私をママと呼んでくれました」

「まーま」

「ありがとう、風花。ママは大丈夫だからね」

 今回は風花のお陰で凌げたが、次は無いだろう。円四郎に期待するしか、手はあるまい。


「母さま、怒ったり笑ったり忙しいな」

「まあな、歳の話をされるとどうしてもな」

 螭の歳を忘れていた訳ではなく、あくまで人間での話なのだから。

 神も含めて最年長というなら螭だが、神はそもそも生物ですらない。

「最近何かあったこととか、思ったこととか、あったら話してもらえないか? お前はずっと仕事で忙しそうだったからな。たまには話を聞きたいんだ」

 俺がでは無く、俺の中に居る螭の従者がだけどさ。

 確かに最近はすれ違い気味だったから、気になるのは仕方ない。

 

 その後、螭の仕事の愚痴や陽菜の話を延々と聞かされた。俺は退屈でしょうがないが、従者たちが嬉しそうにしているのを邪魔するのも悪いので大人しく聞いていた。

「オレも帰るな。新入りにはよく言っておくからよ」

「螭も気を付けるのですよ」

 何に気を付けるのかは知らない。

「母さま、今度お菓子でも持ってくるよ」

「待ってますよ」

 螭は俺と会話しているより、ソフィーとの少ない会話をしている方が表情が柔らかい。なんでだろう?

 俺が疑問に思い、考えている間に螭の姿は消えていた。


「ぱーぱ」

 突っ込んでくる風花が転ぶ前に宙へと浮かせる。

「風花、今の俺には触れられないんだぞ。また転んじゃうだろ?」

 きゃっきゃ言うだけで、聞きゃしない。

「今回は風花と螭に免じて許します。ですが次回はありませんよ」

「奥様も甘いさ、ガツンと言うべきさね」

「一週間もすりゃ馴染むだろ、それまで待ってやってくれ。その後は任せるから」

 事前に分かっていたから俺よりも温いが、似たようなもんだ。本人は受け入れたつもりでも、本当はそうでも無かったりするもんなんだよ。

 今は意地を張るだけの元気を見せているが、それだっていつまでも持ちはしない。

 いずれ目は覚め、気付くはずだ。

 それまで待ってやって欲しい。


「あなたには何か気になることでも?」

「ん、ああ、あれは、あの性格は、単なる空元気だよ。時期に元の優しい性格に戻るだろうよ」

「そうなのかい? それなら言い過ぎちまったさね」

「お豊が気にする必要は無いさ。本人ですら気付いてない、意地みたいなもんだ」

「様子見とするのは構いませんけど、お城の中には入れませんからね」

 ソフィーの頑固さを失念していた。

 面倒くさいな、もう。


『・・・はよ・・か』

 ノイズが酷いが円四郎だな。

『なんだ?』

『繋がったか、初めて上手くいったのう』

 上手くはいってない、俺が補正しているだけだ。

『薫にはお主のことと、奥方のことを説明しておいた。十分に反省しておるのでな、勘弁してもらえぬだろうか?』

『俺からもフォローはしてあるが、ソフィーは城に入ることは許さないとよ。薫が本当の意味で馴染むまでは、そちらで暮らす必要がある』

『承知した。承知したのだがな……、螭殿の給金では些か厳しいのだ』

『前みたいに爽太を寄越せ、何か持たせる』

『感謝する。これで貸し借りは帳消しとしよう、拙者もそういったことは疲れるでな』

『ああ、そうしよう』

 俺も借りや貸しなどの扱いは疲れる、今回は本当に懲りた。


「お兄ちゃん、おじちゃんが行けって」

「円四郎は俺よりせっかちだな。お豊、爽太に卵でも持たせてくれ」

「やった! 卵掛けご飯!」

 安上がりな小僧だが、お豊も爽太は可愛いから他に何か持たせるだろう。

「間がありましたが、何かお話を?」

「ソフィーは鋭いな。十分に反省しているそうでな、円四郎としても様子を見るそうだ。しかし螭の給料ではカツカツらしくて、一人食い扶持が増えるのに耐えきれないのだとよ」

「それで爽太ですか、それならお米も持たせましょう。豊、いいですね?」

「はいよ」

「やったー! おじちゃん喜ぶし、お替りもできる」

 涙ぐましいな、極貧生活。

『螭の給料増やしてやれよな』

『見直しが必要ですね。私が起きたら増やしますね』

 俺の中の螭の従者は、あの世界の管理者だ。少しくらいの融通は利かせられるだろう。



 あれから二日経った。

 爽太は今日も我が家で食料を物色している。

「爽太、あれだけ持って行ったのだから、毎日来る必要は無いだろう?」

「螭お姉ちゃんが行けって、お豊さんが甘いからなんでも貰えるだろうって」

 爽太、それはバラしてはいけないことだぞ。

「ちょっと聞き捨てならないさよ。旦那、頼んださ」

「ああ、螭だな。お仕置きが必要だ。爽太、今日螭は休みだったよな? 呼んできてもらえるか。お豊、卵を一パック持たせてやれ」

「ありがとう、お兄ちゃん。すぐに呼んでくるね」

「呼ぶだけで良い、お前は来なくて良いからな」

「はーい」

 俺が直に呼び出しても良いのだが、爽太に呼ばせることに意味がある。


「親父、呼んだか?」

「まずはそこに座れ」

 俺とソフィーとお豊で固める、逃がす気は無い。

『全く情けないことです』

 俺の中の従者も嘆いている。

「さて螭ちゃん、私たちが何を言いたいか分かるかな?」

 俺が呼んでいたということで、螭も俺が話しをすると思っていたらしい。が、そうは問屋が卸さない。

 尋問するのはソフィー、螭はソフィーには絶対服従なのだ。何故かは知らないけど。

「母さま、……どうしたの?」

「質問に答えなさい」

「……わかりません」

「お前、爽太に何を言った? お豊がどうとか言っただろ?」

 ソフィーの質問のヒントを与えるのが俺の役目。

「そ、それは……」

「なんですか?」

 そして再びソフィーに問い質される。

「言いました。お豊さんは爽太に甘いから、絶対何か貰えるはずだって」

 開き直ったな。知らないぞ、そんな態度をして。

「わかりました。螭ちゃんも薫同様、城に立ち入り禁止とします。

 早く出て行きなさい。行かないのであれば、旦那様にお願いしますよ」

 ソフィーは俺に向かってひとつだけ頷いて見せた。


「ごめんなさい! お豊さん、母さま、親父も」

「はい、良いでしょう。許しますよ」

 親父もって、取って付けたような扱いの俺は何?

 お豊を見る。

「奥様が許したさ、あたしも十分さね」

「だ、そうだぞ?」

 俺は今回オマケなのでどうでもいい。

『これは早急に賃上げしないとな。心まで貧しくなってるぞ』

『はい』

 元を正せば追い込む切欠を作ったのは俺だからな。螭を円四郎に預け放り出したのは俺だし、今回薫を円四郎に押し付けたのも俺だったりする。

 流石にちょっと可哀想になってきた。かといって、それをそのまま伝えると矛先が俺へと向いてしまいかねない。

 可哀想だが話は既に終わっているので、静観することにしよう。

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