第93話 その名は
ソフィーが入院して以来、我が家は混乱の渦中にある。
螭を除いた面子が男しか居ないという緊急事態。勿論、ウサオも含めてのこと。
正確には我が家はまだマシな方だが、生活を切り離した円四郎一門がヤバめだ。
アンソニーはある程度のことをお豊とソフィーに仕込まれているし、元来彼は器用な人間で何でも卒なくこなしてしまうのだ。それに俺も自慢じゃないが器用な方なので、アンソニーと二人で何とか形にはなっている。
反対に円四郎一門なのだが、まず円四郎が不器用、螭は致命的に不器用とかなり危うい。爽太は器用な方なのだが、如何せん子供なので大変そうである。
爽太に掛かる負担が大きいのには、申し訳ないとは思う。しかし、それはそれだ。爽太には苦労を掛けてしまうが、是非とも奮起してほしい。
そんな我が家の混乱など知らないソフィーは、元気な女の子を出産した。
赤ん坊って本当に赤いんだね。最初に感じたことはそれだった。
感動して泣いてしまうことも無く、感動はとても希薄だった。自分自身でも肩透かしを食らったかのように不思議な感覚。
俺は結構涙脆かったはすなのだが、感受性が著しく低下してしまっているらしい。やはりこれは神となったことが影響していると考えられる。
子供の名前はサラ、それはソフィーのごり押しで決定された。
婆さんの名も確かソニアだったかで、知識とか叡智って意味の名に統一するものと俺は考えていたのだが……。
一応、漢字表記も出来るようにと考えられているらしい。その場合は沙羅と書くのだそうだ。
姓は俺のを用いるそうだが、俺の戸籍はどこに行ったのか消息不明。恐らくは存在しないと思われる。
まあ、これは考えるだけ無駄だな。ソフィーがどうやるのかは不明だが、強引にでも成し遂げるだろうからね。
出産を終えたソフィーはというと、元気に過ごしている。
例の呪いの効果だろうが、予想以上にケロッとしているのには驚きを隠せない。普段とあまり変わらないその姿には安心させてもらっているけどね。
殺しても死ななそうとは、ソフィーの為にこそある言葉だな。
産後の肥立ちは順調、というより呪いのお陰で問題にすらならないらしい。
もう暫くすれば、赤子を連れて帰ってくるはずだ。
「だから、もう少しだ。頑張ろうな、爽太」
「うん、はやく赤ちゃん見たいな」
「奥様もお元気なようで、何よりですね」
今は爽太に料理を教えているところ。円四郎と螭は、掘っ立て小屋で掃除やら洗濯に従事しているっぽい。
うちのキッチンは当初薪のかまどだったが、200Vを引いたことでIHに替わっている。螭作の掘っ立て小屋にもまたIHのクッキングヒーターを導入してある。
この狭い世界は酸素がとても貴重なので、そこは譲れないのだ。
鍋が振れないのが辛いところだが、それはもう我慢するしかない。
「目玉焼き、ちゃんと半熟に出来たよ!」
「良い感じにトロリとしているな」
「では、この卵を進呈しましょう」
「やった! おじちゃん、喜ぶよ」
円四郎に約束した通り、爽太が一品覚えるごとに卵を一パックずつ贈ることにしている。卵くらい、螭の給料でも買えるんだけどな。
「次はポーチドエッグにするか、オムレツは爽太には難しいだろ? アンソニーだって苦戦したもんな」
「スクランブルエッグにしましょう。ポーチドも難しいですし、熱湯を用いますから危険です」
「ゆで卵って手もある。味卵なんて酒の肴に抜群だろう」
「ゆで卵もお湯を使いますから」
そんなこと言いだすと何も出来なくなってしまう。
「卵掛けご飯が良い!」
「卵掛けご飯は学ぶ必要ないだろ?」
爽太、卵を貰う為とはいえ、それはいくらなんでも反則だろう?
「なんです、卵掛けご飯とは?」
「アンソニーのお兄ちゃんは知らないみたいだよ」
「よし、わかった。昼飯は卵掛けご飯にしよう、飯を炊かないとな」
無洗米と電気圧力鍋のお陰で全く手間取ることはない。
「ぼくはお醤油」
「俺はめんつゆにネギと鰹節も入れちゃお」
「えっと……」
アンソニーを放置したまま、二人で卵をかき混ぜている。
茶碗に盛ったご飯の中心に窪みを設けて、卵をドバっと掛けた。
「ああ、やばい、良い香りだ。我慢できん」
「いただきます」
またもアンソニーを放置したまま、卵掛けご飯を掻き込む二人。
「はぁー、旨かった」
「ごちそうさまでした」
「ちょっと旦那様!」
食べ終えてから気付いたが、アンソニーは何もしていなかった。
「見よう見真似で構わないだろ、こんなもの」
「お兄ちゃんのめんつゆ、おいしそうだったね」
「よし、お替りだ。アンソニーもやってみようか」
十分にお替りが出来るほどのご飯を炊いていないので、俺と爽太のご飯は少なめだ。
「卵を器に割って、味を付けるんだよ。自分の好みでね。ぼくはお兄ちゃんの真似」
「俺はシンプルに醤油にしよう」
「僕もめんつゆにネギと鰹節にします」
今度は三人で卵をかき混ぜ、ご飯に掛けた。
「卵無くても醤油とご飯が合うからな」
「うわ、美味しい、これ」
「食感があれですが、美味しいですね」
生卵、特に白身の感じは食べ慣れないとな。やはり日本人でないと無理か?
「アンソニー、無理しなくて良いんだぞ?」
「無理はしていません。初めてで独特の食感ですから、少し驚いただけです」
「めんつゆとネギに鰹節は美味しかったよ。おじちゃんに教えてあげようっと」
「円四郎に教えるなら、七味も掛けてやれ」
「辛子?」
「そうだ」
「僕もお替りします」
残念、ご飯はもう無いのだ。俺と爽太で残りのご飯を分けて終わりである。
「空っぽじゃないですか!」
「すまん」
「ごめんなさい」
「追加します。十分もすれば炊き上がりますからね」
正確には七分で炊き上がるのだ。電気圧力鍋さまさまである。
「じゃあ、五合炊いてくれ。爽太、円四郎と螭も呼ぶぞ」
『円四郎、飯だ。螭連れて早く来い』
『昼なのに爽太が戻らぬと思えば』
『爽太ならもう昼飯食ったぞ。何にせよ、早めに来ないと飯が無くなるからな』
『螭殿を連れ、急ぎ参ろう』
卵掛けご飯だから、片付けも大したことは無い。この程度なら呼んでやっても良いだろう。
「これは俺の親父が昔よくやってくれたんだ」
納豆を三パック丼に開け、卵をひとつとネギに鰹節、適当な野菜か漬物をぶち込みかき混ぜる。今日は白菜の浅漬けがあったので入れてみた。
俺は面倒なので納豆はパックのまま混ぜて食べるのだけどね。
こういう日に肉体を纏っているというのは、なんと都合が良いのだろうか。いつも旨そうなものを目の前にしても、おあずけだったからな。
「これ、覚えておくね」
「食べて気に入ったらで良いだろ?」
爽太は律義だな。
「呼ばれて参ってみれば、卵掛けご飯であるか?」
「嫌なら食わなくても、俺は一向に構わないんだが」
「いや、折角なのでいただこう」
手の込んだ料理でもあると勘違いしたのか、円四郎は。
「炊き上がりました! 僕は早速、旦那様の納豆でいただきます」
アンソニー、よく納豆食うよな。外国の人って普通嫌がるんじゃないのか?
「これは先程の卵掛けご飯とはまた違いますね、とても美味しいです」
もう食べてるの?
「親父! オレもそれ欲しい、取って」
「勝手に食えよ」
「届かないんだよ」
俺の飯の上に掛けてから渡してやった。
「おじちゃんにはこれだよ。辛子も掛けたからね」
「すまぬな、爽太」
爽太は先程のめんつゆ味の卵を円四郎へと準備していた。
「うめえな、これ。爽太、これ覚えたか?」
「うん、いちおう」
円四郎一門の飯は暫く、卵掛けご飯と納豆が占めることになるだろうな。
食費も浮いて、準備も片付けも楽になるから良いことだと思うぜ。
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