第94話 ソフィーの帰宅

 心は人間であり続けたかった。

 娘の誕生という祝うべき日に、自らが壊れていることを実感するとは思わなかったよ。


 

 産後の肥立ちも良好ということでソフィーが早々と退院を果たし、我が家へと戻った。

 サラも元気な様子で、今はお豊に抱かれている。親類の子供を預かって育てていた経歴のあるお豊だ、子供の扱いにも問題は無いだろう。


「元気がないようですが、どうなさったのですか?」

「ん、まあ、ちょっとな」

 自身の変化、それにあの子のことの相談をしたい。だが、ここには他者の目もある、夜にでも話してみるとしよう。

「旦那も娘を抱くさ」

「いや、まて、首の座ってない子供は怖い」

 俺は子供は好きなのだが、首の座りの悪い赤子は苦手なのだ。壊してしまいそう。

「旦那様にも怖いものがあるのですね」

「ほんとさね」

 微笑を堪えながらも笑顔の絶えないソフィーとお豊、そして抱かれ眠るサラの姿。


「うわー、小さい。お姉ちゃんに似てるね」

「確かに俺には似てないな」

 若干ソフィーとは肌の色が異なるが目鼻立ちはよく似ている。俺の要素、皆無じゃねえか。

「女の子ですからね、育っていく間に旦那様に似て参りますよ」

「そういうもんかねぇ」

 女の子なのだから、尚更にソフィーに似ていた方が良いと思うけどね。

 自慢だが、ソフィーはかなりの美人である。肉体的なボリュームは無いに等しいけどさ。


「これは拙者らからの贈り物だ。受け取って欲しい」

「まあ、ありがとうございます」

 白を基調にした綺麗な花束を螭に手渡されるソフィー。

 うーん、かなり高価そうだが大丈夫なんだろうか? 花束って結構高かったと記憶しているんだけどな。

 こいつらの経済状態は火の車のはず、器を脱ぎ捨てれば食費を削減可能なのに頑なにそうしようとはしない。食費だけで天手古舞の状態で、この花束を用意したことになる。

 まったく、バカな奴らだよな。


「遅くなりました」

「ご苦労だったな、アンソニー」

 アンソニーにはウサオを拾いに行ってもらっていた。逃げ回るウサオを捕まえるのは俺でも至難の業、かなり手古摺ったようである。

 そんなウサオはソフィーを視認すると、一目散にそちらへと向かっていく。こいつも現金な奴だ、飼い主よりもその嫁の方に媚を売るのだから。

「ウサオちゃん、お久しぶりですね。この子が旦那様と私の子供なのですよ」

 ソフィーは使い魔であるウサオに娘を紹介している。兎に理解できるもんなのかね? とても奇妙な光景に思える。


「サラ、ここがお前の家だぞ。地上にあるのも、一応家だけどな」

 退院ついでに買って来たであろうベビーベッドに寝かされたサラ。そのサラに指を差し出すとにぎにぎしてくれる。赤子の手は肉々しくて気持ちが良い。

 語り掛けると返ってくる思念、ソフィーのお腹に居た頃からの会話方法である。

『これはまだソフィーには秘密なんだが、サラの従姉にあたる娘も預かることになる。仲良くするんだぞ』

 夜に話すつもりだが、今のところ秘密なのでサラにだけ漏らしておくことにした。

「それと螭。判ってると思うが、お前の姉に当たるからな。でも、こいつの場合は適当にあしらえば良いさ」

「親父、聞こえてるぞ! サラ、お姉ちゃんでちゅよー」

「馬鹿か、お前は? 螭に出来るかは解らんが、思念で触れて会話してみろ」

 恐らくは出来るはず。ただ、螭は不器用を通り越した不器用。要領を得られるかは、正に神のみぞ知るというところか。

「わからねえよ! サラ、可愛いよな。お母さま、そっくりでさ」

 不器用にプラスαで諦めも早いんだった。特にこいつと会話させる必要もないから、もういいや。

 螭は俺よりもソフィーを慕っている節が多々ある。きっと、サラのことも大事にしてくれるだろう。


「お主に似ておらぬな?」

「うるせえよ、気にしてるんだから黙っとけ」

「そうですかね。この眉の辺りなど、旦那様のものだと思いますが」

 よく見てるな、アンソニー。でも気遣いは無用だぞ、眉なんか産毛じゃねえか!


「今日は宴会にするさね」

「やった! 食費が浮いたよ、螭お姉ちゃん」

「爽太の花束作戦、上手くいったな」

「これ、お前たち。そう大きな声でバラすでない」

 こいつら、宴会に発展することを狙ってやがったのか……。

「一杯食わされましたね、旦那様」

「ああ、やられたな」

 爽太の発案というところが大きい。円四郎はこんな回りくどい方法は執らなそうだし、螭にはそもそもそんな発想は無理だ。

 ここは潔く、負けを認めよう。


「ん? そうか、わかった。ソフィー、サラもお腹が空いたってさ」

 俺の人差し指を握る力を強めながら、サラはミルクを求めてきた。

「旦那様はまたズルいですよ」

 俺の特権だと以前は言ったが、螭も出来そうなんだよな。円四郎はどうかわからんがね。

 ソフィーはサラを抱き上げると、お豊の部屋へと入って行った。円四郎やアンソニーの前で丸出しにする訳にもいかないもんな。

「扉を開けて頂けるなんて、優しいではないですか?」

「たまには優しくしないとな」

 覗くくらいなら堂々と正面から見るわ。と内面で意気込み、同時に部屋へと入った。


 ソフィーはお豊のベッドに腰掛けると、胸をはだけサラに母乳を与える。

「サイズアップしてるな」

「もう、どこを見ているのですか?」

 頑張ってBカップだったソフィーが巨乳になっていた。別にいやらしい意味ではなく、単なる知的好奇心の探求である。


 夜に話そうかと思ったが、ちょうど二人きりになれたので話してしまおう。サラも居るが、サラにはもう話あるしね。

「ソフィー、大事な話があるんだ」

 相談というよりも伝言に近い、すでに決定している事柄だから。

「なんですか改まって」

「俺の独善的な理由で娘を一人預かる、というより貰ってくる。サラより少し大きいくらいの娘だ」

「だから、元気がなかったのですね」

 肩を落とすように頷いた。

「事情は?」

「とても難しい事情があるとしか答えられない」

「秘密はなしですよ」

「わかった。サラの居ない所で夜にでも話そう」

 少なくとも娘には聞かせられない話だ。ソフィーにもどこまで話すべきか……。

 俺の感情は死に掛けている。ああはなりたくないと考えていた神たちと同等になりつつあるのかもしれない。

 人間の感情の機微に疎くなってしまわないかと、気が気でない。少なくとも今はこうして考えられていることを思えば、まだ大丈夫なのだろう。


 食堂では宴会が始まり、お豊も大忙しで料理を作っている。お豊の料理は久しぶりなので多少心が躍る。

「それでは円四郎様と爽太に螭を預けたのですか?」

「こちらは旦那様と僕だけで暮らしていました。お陰で僕の仕事の負担は軽くなりましたので、感謝しております」

 ソフィーに円四郎一門と生活を切り離していたことが露見してしまった。慌てたアンソニーが取り繕っているがどこまで許されるだろうか?

「奥方、そう心配召されるな。螭殿と拙者らは爽太のお陰で上手く生活できているのだ、何も心配はいらぬ」

「そうだぜ、親父も最初だけはちゃんと手助けしてくれたしさ。平気、平気」

「ぼくたちはいそうろう? なんだから、これくらいで丁度良いんです」

 俺が強引に切り離した円四郎一門からもフォローが入る。

「あなたたちがそれで良いと判断するなら、私は何も言いませんよ」

 アンソニーが俺の方をちらっと見た、胸を撫で下ろしているのだろう。それは俺もも同様だがね。


「私とお豊が留守にしただけで、何故そこまで苦労するのですか?」

「それはな、俺とアンソニー以外に家事が出来ないからだよ。こいつらに出来ると思うか?」

 ソフィーは頭を抱えている。

「今はぼくが料理をして、螭お姉ちゃんは洗濯、おじちゃんは掃除してるよ」

「やっとそこまで辿り着いたというところですね。必要に駆られて、やるようになっただけの話ですよ」

 爽太の説明をアンソニーが木っ端微塵に打ち砕く。こいつには自由になる休日を与えてやらないと駄目だな、心が折れ掛けている。


「今日はしっかりと食事して、明日からまた頑張るさね」

「おう、食うぜ!」

「お兄ちゃん、卵貰っていくよ?」

「駄目に決まってるだろ、何も教えてないぞ」

「良いではござらぬか、一パックくらい。卵掛けご飯ぶーむとやらで枯渇しておるのだ」

「それこそ、螭の給料で買えよ」

 卵くらいスーパーでなら安く買えるだろう。

「給料日まであと二日なんだぜ」

 ああ、あれか、次の給料日まで持たなかったのか……。

「爽太、これを持っていくさ」

 お豊が取り出したのはウズラの卵の水煮缶詰。微妙に的を外している。

「あ、ありがとう」

 それでも一応、受け取るんだね。

 肩を落とし、席へと戻った爽太は少し震えていた。

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