第70話 内緒の帰宅

 無事にというか、至って普通に帰っては来た。

 なるべく害を及ぼさないようにと、地球には降りなかったというのに何という失態だろう。

 今頃ウェールズ近辺にて、何か妙な事が起こっていなければ良いのだが。


 分体に意識を向け、居場所を把握。いつもの如く、パントリーに陣取っているようだ。

 それならばと、パントリーまで転移してしまう。到着次第、分体との融合を果たし、何食わぬ顔で分体の存在した場所に佇んでいた。

 分体から回収した記憶には、特に何かが起こったという記憶は存在しなかった。何も起きなくて良かったというべきだろうか。

 キッチンで料理をしていると思われるソフィーは、恐らくだが俺が帰宅していることに気付いてはいないはずだ。このまま少し様子を見てみることにしよう。


「ふふふふん、ふんふんふん、ふふふふーふん」

 理解に苦しむリズムで鼻歌を奏でるソフィー、彼女のセンスは相変わらずなのだった。

 何を作っているのか興味が湧く、お手並み拝見といこう。

 醤油に漬けてある鶏肉と粉、純白とは謂えないので恐らくは小麦粉。

 彼女の目の前には、熱された油がある。これはどう見ても、唐揚げだろう。

 ちなみに俺が唐揚げを作る時は塩だれで漬け込み、衣は薄力粉と片栗粉、荒く挽いた少量の黒胡椒をブレンドして使っている。

 俺を監視していたはずのソフィーらしからぬ手際ということだ。しかし、ウサオの目を通して監視していたのならば、俺が日常的に料理をしていた姿は知るはずもないのだけど。

 料理下手なソフィーのことだ、そこまでは見ていなかったと考えるのが妥当だろうか。


 粉をたっぷりと付けたまま油へと投入する、粉はギリギリまでははたいた方が油も汚れず、且つ衣もパリパリに仕上がるのだけど。

 かなり焦れったいのだが、彼女が自主的にやっていることなので邪魔しないでおこう。

 その後も、それ中まで火通ってないよね? といった感じで悪戦苦闘している姿が見られたが、静かに見守っていた。


 俺は分離しているので食事は流動食のはずなのだが、何故か二つのバットに山盛りになっている唐揚げたち。

 ソフィーは一人で全部食べるつもりなのだろうか?

 分体の記憶を俺が共有できるということは知っているはず、まさかそんな馬鹿な真似はしないだろうと思いたい。


「それ全部、ソフィーが食べるのかい?」

「はい、そうですけど」

「さすがに、食べ過ぎではないだろうか」

「初めて作った唐揚げなのです。食べ切らねば勿体ないです」

 確かに残して廃棄してしまうのは勿体ないよ。しかし、次の食事に廻すとかやり方が無いわけではない。

 見ているだけで胃がもたれそうな量の唐揚げ、彼女は全て食い尽くすつもりらしい。

 流石にこの状況はどうかと、意を決して伝えることにする。俺本体が帰ってきていることを。


「ソフィー、俺、実は帰ってきているのだけど」

「随分とお早いお帰りではないですか? あ、申し訳ありません。おかえりなさい、旦那様」

 言い繕う感じがまた辛いところなのだが、それはそこら辺に投げ捨てるとしよう。

「もう一度言うけど、食べ過ぎだよ。ソフィーは育ちざかり並みにお米も食べるのだから、その唐揚げは明日に取っておいてはどうだろう? ソフィーの初めて食った唐揚げを俺も食べてみたいな」

 我ながら良い言い回しだ、彼女を傷つけずに懐柔出来る言葉を綴ることができた。

「旦那様がそう仰るなら、明日に取っておきます」

 頬を朱く染めて、そう返答してくれた。

 付け合わせの野菜も何もない状態で、唐揚げだけをひたすら食べるソフィーを見るのは辛いのでね。

 しかし何故こんな暴挙に出たのだろう? 問題が起こらないようにと、分体も置いて行ったというのに。


「ストレス溜まってる?」

「なんのことですか?」

「こんな油物を暴食しようだなんて、何かあったのかなって思ってね」

「それはですね、スーパーで実践販売をしていたので、真似をしてみただけです。思っていたより量が多くなってしまいましたけど」

「育ち盛りの男の子でもこの量の唐揚げは厳しいと思うよ。それに野菜もちゃんと食べるようにしないとね」

 普段は健康を考慮して俺が飯を作っているが、目を離した隙にこれでは困ってしまう。

 これからも俺が留守だと、このような心配をしなくてはならないのだろうか?

 今日はもうどうしようもない、俺も肉体を纏っていない以上何も出来ない。

「揚げたての唐揚げ、早く食べた方が良い」

「はい! いただきます」


 ご飯と唐揚げだけという、何とシンプルな食卓だろうか。

 彼女は食べられれば、腹に溜まればそれでいいという考えなのは分かっていたはずなのだが、実際に目の当たりにすると厳しいものがある。

 千年以上もの間に培われた彼女の価値観を覆すのは、並大抵のことではないだろう。それでも一応は、料理をしようという気持ちはあるのだと今回わかった。

 ならば、基礎から叩き込むべきだ。アンソニーと一緒に。


「ソフィー、食べながらで構わないので聞いてくれ。

 実は、紆余曲折あって男の従者をひとり連れてきたんだ。年齢はよく知らんが、二百歳には届かない程度だろう。

 それでお前とその従者にはまず料理を仕込もうと思うのだが、どうだろうか?」

 アンソニーはあの狂った世界で百年以上は過ごしている、料理らしきものは身についているはずだ。ただ調味料も何もない環境だったであろうことから、どこまで出来るかは不明だ。

「私もですか?」

「ソフィーは手際に関しては問題ない。でも、バランスが悪いのが問題だ。今だって唐揚げとご飯だけだろう?」

「これだけでも十分美味しく食べられます」

「美味しいことは重要なことだよ。でもね、母親になろうというんだ、そこら辺は学んでほしい」

「わかりました。それにしてもその方、二百歳とは尋常ではありませんね」

「詳細は省く、かなり酷い目に遭っているからな。不運な奴なのだよ」

 アンソニーのことを話すとその延長線上で、他のことも露見しかねない。これについては沈黙を保つ必要がある。

 それにアンソニーのことは、もう片が付いたことだ。彼自身で話すなら兎も角、俺からは何も言う必要は無い。


「旦那様と同じくらい不運なのですか?」

「俺はお前に会えたから、不運だとは思っていないけど。まあ似たようなものかもな」

 こいつ、俺のこと不運な奴だと思ってたのか? 無性に悲しくなってきた。

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