第65話 困惑

 おかしな剣豪を迎えるために、料理が並べられていく。


「あの人、あの神か、ここまで移動して消えたりしないよな?」

 江戸までの移動距離と、木星までの移動距離は比べるのも烏滸がましい。

「平気じゃろうよ」

 ここに来て消失されても困るのだけど。

「料理増やしたけど、彼は肉体を持っていないし、創れるとも思えないのだが」

「体くらい儂が用意してやるわ」

 アーリマンがひょいひょいと腕を振ると空いた席に、彼用の器が出来上がった。

「すげーな、そっくりだ」

「見たまま投影しただけじゃしの」


「あれま、お客さんはお侍様かい?」

 お豊は漸く煮あがった風呂吹き大根を、湯豆腐の鍋と差し替えている。

「そういえば、お豊も江戸中期だったはずだから、知ってる相手かもしれないな」

「お侍の名なんて分からないさ」

 分野が違うからね、住む世界が違うとでもいうことか。


「のう、これはどのように食すのじゃ?」

「これはな、まず大根を皿にとって、この味噌を塗りつけてこうして食うんだ。ほっ熱」

「ふむ、これはまた上品な味じゃの、酒にもピッタリじゃし」

「旦那、酒は要望通りに燗してあるさね」

「温めのお燗がちょうどいいな」

 分体組が到着するまで、風呂吹き大根とぬる燗でちびちびやらせてもらおう。

「旦那様、お惣菜も買ってきましたからね。山くらげ、これもちゃんと買ってきましたからね」

「ああ、ありがとう。つまみに困ることは無いな」

 こりこりとした食感の山くらげで、これまた酒がすすむってもんだ。

「お豊も一段落しただろう、席に着いて楽しめばいい」

「お言葉に甘えさせていただこうかね」

 お豊の席にある猪口に酒を注いでやる。

「旦那に教わった通りに作ったんだけど、大根の味はどうかねえ」

「旦那様のものと大差なく、とても美味しいですよ。私にもお酒を注いでください」

 催促されたので仕方なく酒を注ぐ、二合徳利なのにもう残り少ない。

「これは食感がまた良ろしいですな、酒との相性も抜群で」

 このペースだと客が到着する前に、料理も酒も尽きてしまいそうだ。


「来たのじゃ」

 アーリマンの一言で全員の視線がパントリーの方向へ集中する。

 招かれた客人は、周囲にキョロキョロと視線を巡らせながら歩いてきた。

 彼が狼狽している間に、俺とアーリマンは戻って来たそれぞれの分体を吸収してしまう。


「拙者、真里谷円四郎義旭と申すもの。よろしくお願い申す」

 武勇を馳せた剣豪の挨拶だ、格好良すぎだろ。

「そこにある体に入って、料理と酒を存分にを楽しんでくれ」

「これは…」

「儂の用意した仮初の肉体じゃ、宴会が終わるまで有効じゃぞ」

「入るというのは、どういう意味だろう?」

 仮の肉体を利用するという概念すらない訳だ、そりゃ分からないだろう。

「盲点じゃったの、儂ら欲望の神とは異なる神じゃし、どうじゃろうか?」

「入りたい、若しくは、入ると強く念じれば入れるんじゃないか? 俺だって碌すっぽ制御が利かない時から分離は出来ていたからな」

 円四郎は仮初の肉体に近付いていく。

「入る、入る、入る! おおおおお、なんと」

 上手く入れたようで何よりだ、これで宴会に参加できる。

 お燗した酒は尽きてしまったので、一升瓶から円四郎の猪口に酒を注いだ。


「それでは、新たな出会いに乾杯としよう。乾杯!」

 適当に音頭を取り、再び宴会の始まりだ。

「ぷはー、酒だ、酒!何年振りだろうな」

「二百年以上は経っているだろうな。お豊、彼がお前と同時期に人間やってた神だぞ」

「こんな目付きの悪い御仁がねえ」

 お豊に遠慮という二文字は無いのか? 仮にも神で客なんだが、そういう性格だった気もする。

 目付きが悪いのは、武芸者ゆえ仕方のないことだろうに。

「拙者と同じ時期に生きておった者か、ここで暮らして居るのか?」

「あたしはこの神様の従者さね、この体を貰って働いているんだよ」

「成程、従者か」

「旦那に招かれたんだろ、料理も食ってくれさ」

「ああ、そうだな、馳走になろう」

「遠慮などしておれば、儂が食い尽くしてしまうぞよ」

 アーリマンの煽りで、漸く円四郎も箸を動かし始めた。


「やはりこの人数では、お料理が足りそうにありませんね。豊、何か追加で用意できますか?」

「そうだねえ、締めのご飯くらいならどうにかなりそうさ」

「では、買い物に行きましょうか」

「わかったさ、奥様」

「魔女っ娘、この山くらげとやら買ってきてほしいのじゃ」

「魚のブースに居るおっさんでも捕まえて、ブリを捌いてもらってくれ。この時期ならあるだろう、無ければ切り身か刺身盛りでも構わない」

 風呂吹き大根の煮汁で、ブリしゃぶでもしてやろう。

「山くらげとブリですね、他にはありますか?」

「そうだな、辛口の白ワインとビールでも頼もうか、銘柄は任せる」

 酒も恐らく尽きるだろう、大酒呑みだらけだ。

「適当に選んできますね、では行ってきます。豊、行きますよ」

「あいよ」


「拙者は、神とやらになっておったのか。てっきり幽霊だと思っておったのだが」

「気持ちは分かるよ、俺もそうだったから」

「人からなった神は概ねそのようなものじゃ」

 判断基準が無いからな、俺を拾ってくれたサティには感謝している。

 だからこそ疑問に感じる、何故彼女はあの時期に俺に嫌われるであろう行動に出たのか? 自らの役目を終えたと、敢えて突き放すかのように。

 もしそうだとすれば、読み切れなかった俺は愚かすぎる。


「貴殿はこのような所に住んでおって羨ましいぞ」

「お互い様じゃの。お主は羨むじゃろうが、此奴は故郷にすら帰れないのが現状じゃしの」

「今更人間に戻りたいとは思わないが、故郷には帰りたいな」

 今更だ、それこそ戻されても困る。あんなに殺しているのだから。

「此奴は生きたまま神になってしもうた、哀れな人間じゃからの」

「拙者はまだ恵まれておるということなのか」

「それはどうなんだろうな、とても難しい」

 今の状況を鑑みると、一概に悪いこととは言い切れない。

「辛気臭い話はやめて呑むのじゃ」

「すまぬな」

「気にしないでくれ、呑んで食おうじゃないか」

 神になってしまって困惑しているのが、俺だけでないと知れただけでも十分な収穫だ。

 人から神になった者は他にも居るのだろうが、彼らがどうやって割り切っているのか話をしてみたい。

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