第17話 再生魔術実習
三時限目は魔術実習の授業。
「今日は再生魔術の実習を行います」
たおやかに微笑んでそう言ったのはこのクラスの担任教諭も務めるクルランだった。カソルたちとは七つか八つほど離れているかというくらいで、長い黒髪と整った顔立ちのために学院の男子生徒から密かに人気を集めているという。
「エルレイくんもクルラン先生のファンなんだよ。本人はすごい勢いで否定するけど」
というのはナノが教えてくれたことだった。ちなみにその会話もエルレイ当人が聞きつけ、嵐のような早口でナノに反論していた。そういった必死さが信憑性の増強に一役も二役も買っていることには気づいていないらしい。
「はい。まずは簡単に再生魔術の原理を説明していきますね。なぜ再生魔術と言って修復魔術と言わないか、という点から考え始めるとわかりやすいと思います。再生魔術が行うのは、文字通り再び生み出すことなのです。再生魔術は術者の記憶やもの自体に蓄積された記憶に基づき、物体を再構成します。細部まで自身の記憶に残っているものの場合は極めて高い再現性が得られますが、そうでない場合は思念感応魔術、以前実習しましたが、高いレベルのそれがなければ完全な再生は行なえません。つまり、ものに残った残留思念を取得し、それを元に物体を再生するのです」
クルランは口頭で説明したあと、チョークを持って黒板の方を向いた。生徒たちがノートをめくる音が重なる。
しばらくチョークが黒板を叩く音とペンが紙の上を走る音が入り乱れたあと、クルランは軽やかに生徒の方に向き直った。
「ちなみにもし修復と言った場合、それは新たに作るのではなく本当にかつての姿を取り戻すことを意味します。この場合記憶も残留思念も要りません。ですが、それを実現するのに必要なもの……それが何かわかる人はいますか?」
エルレイが床と垂直、壁と平行に見事なほどまっすぐ右腕を上げた。
「はい、ソージアくん」
「時間遡行魔術です」
「その通りです」
エルレイはいつにもまして得意気に口元を吊り上げた。
「つまり、ほとんど不可能ということですね。事実、修復魔術を使用することができたのは魔仙アスカトラその人以外に誰もいないといわれています。実生活の中では再生を修復と言い間違えてもさして問題はないでしょうが、一応覚えておきましょう」
そう言ってクルランはチョークを置いた。
「それでは実習に入りましょう。各自、自分の持っている壊れたもの、もしくはいらないものは持ってきましたね? いらないものを持ってきた人はそれをその場で壊してから、すでに壊れたものを持ってきた人はそのまま机の上に置いてください」
教室内で一斉に金属音や陶器の割れる音などが混ざりあう。カソルはクルランに用意してもらった割れた食器を、ハルは一本の折れたヘアピンを机に置いた。
「癖毛との戦いに敗れた
「ほぼ不戦敗レベルの惨敗ね」
あきらめ混じりのため息とともに肩をすくめたハルは、カソルの頭髪を見やった。
「あんたはサラサラでいいわね。色も白くて透き通っててきれいだし」
「そう? でも街だと結構浮くよね、これ」
カソルは言って自らの髪をわしゃっとつかんだ。
「はい。ではそれぞれ実践してみてください」
そこでクルランから実習開始の号令がかかる。
「コツは特にありません。いつもと同じように、魔術を発動した結果を頭の中で鮮明にイメージすることが重要です」
生徒たちが机の上に視線を落とす。
カソルは右手で食器に触れ、そのまま目を閉じた。それからおもむろに食器から手を離すと、そのまま軽く人差し指を振った。
食器が淡い光に包まれる。そして再びその輪郭を露わにしたとき、食器はもとの破片のときよりもいくらか傷が少なくなった状態で完全な形状を取り戻していた。
「先生の私物なんですね」
「あはは、そうなんです。思念からの再生なのに早いですね」
視線を感じたカソルがふと左側に目をやると、ハルの陰からエルレイの血走った眼がのぞいていた。そのぎらついた眼差しはカソルを敵視するのとはまた別の情熱を込めて、クルランの私物である食器に注がれていた。
この食器がほしかったりするのかもしれない。
「十年間に先生の誕生日にケーキを乗せたときの状態にしておきました。随分と楽しそうな思念が残っていたので」
「アルフマンくんはそこまで鮮明に見えるんですか。生徒に思い出をのぞかれるのは少し恥ずかしいですね」
「でも意外でした。割れた原因が……」
「あ、ストップです。それは内緒でお願いします」
クルランは右手で慌ててカソルを制しながら、左手で口の前に人差し指を立てた。
「先生、俺も終わりました!」
割り込むようにエルレイが机の上に身を乗り出す。
「父の万年筆です! もちろん僕の記憶にはありません!」
「エルレイくんも思念から再生したんですね。実力、意欲ともに大変結構です」
エルレイが机の下で小さくガッツポーズをしたのをカソルは見逃さなかった。
一方、ハルは無表情で杖を持った右手を機械のように等速、等間隔で上下させていた。
しかし机の上のヘアピンはうんともすんとも言わない。
「だめみたい」
「ちゃんと過去の特定の状態イメージしてる?」
「してるわ。十年くらい前、ピカピカの新品の状態よ」
唇を尖らせて勢いよく杖を振り下ろす。
「うーん、苦手分野なのかな。まあ誰だってできないことの一つや二つあるよ」
「そりゃ私にだってできないことはあるけど、できるはずのことができないのはどうしても気持ち悪くて嫌なのよ。これがあればできるはずなんでしょ?」
と言って杖を疑わしげに見つめる。
「とことん理想が高いね」
そんなやり取りをしている間に、身長の低いエルレイはわざわざ座席を立ってハルを見下していた。
「魔具を使っておいてうまくいかないとは、学院で見るにはあまりに低次元な光景だ」
ハルがむっとしてにらみ返すのを、エルレイは鼻で笑う。
しかしその直後、エルレイは突然びくっと肩を跳ねさせて後ろを振り返った。
そこにあったのはナノの姿。エルレイの大げさな反応に戸惑うように、やや目を丸くしていた。
「どうしたの?」
「ま、魔法化学大事典……」
エルレイはつぶやきながらすり足でナノから距離を取る。想像しただけでトラウマになってしまったようだ。
「いや、単にハルちゃんの応援に来ただけだから」
失笑してエルレイの脇を通りすぎ、カソルとハルの席の間のまでやってくる。
「ちょっと杖見せてみて」
ナノが手を差し出すと、ハルは素直に握っていた杖をその手の上に置いた。慎重な手つきで杖をためつすがめつするナノ。
「うーん、杖の方は特におかしなところはないみたい」
「充填されてる魔力が足りないとかは?」
「この杖に充填できる魔力がそんなすぐに切れちゃうような魔術は使えないと思うんだけど……」
カソルがナノから杖を受け取る。
「ま、多いに越したことはないよね。発動のプロセスが洗練されてない魔術でも魔力さえあればゴリ押しできるし」
カソルがそう言うと、右手に持った杖が淡い紫色の光を放った。光が収まったところでそのまま杖をハルに返す。
「はい、これでやってみて」
真面目な顔でうなずいたハルは、一度深呼吸してからヘアピンに向けて杖を振った。
「ふっ」
ヘアピンに向かって鋭く息を吐き出す。しかしそれ以外には、何一つとして机の上に変化を与えることはできなかった。
ハルの周囲を気まずい沈黙が包む。
「ぷふっ」
笑いをこらえていた様子のエルレイが耐えきれずに口から空気を漏らす。
それを合図にしたようにハルの苛立ちが爆発した。
「なんでできないのよ、もう!」
かんしゃくを起こした子供のように杖を力任せに振りまくる。
「ちゃんと! イメージ! してるじゃないの!」
とうとう左手も杖に添え、本来の得物である長剣で眼前の敵を叩き切るように、大上段から小さな杖を振り下ろした。そして杖先をヘアピンに向けた状態で一瞬静止する。
それと同時、耳鳴りのような前兆音がカソルの耳にだけ届いた。
「うわ」
カソルは反射的にそばにいたナノの服を引っ張って下がらせる。
一瞬の間のあとハルの杖がまばゆい紫紺の光を放ち、ポップコーンの弾けるような音とともに小さな爆発を起こした。
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