第2話 神獣リンドヴルムの油断②

 自問するまでもなかった。低い。十五メートルはあった体高が今や五分の一くらいだ。

 神獣の姿に戻ったオレを恭しく見上げる人間たちの顔の角度も、わりと無理のない範囲じゃないか。

 しかも、明らかに口の端を歪めている人間が一人。


「ーーあはははは!」


 二本の槍を携えた若い女が開けっぴろげに笑い始めた。他の六人は慌てた様子で女の笑いを止めようとするが、女は実に愉しげな笑い声を響かせ続ける。


「も、申しわけありません、ランはいつもこうで……これでも堪えたほうなのですが……いえ、決してリンドヴルム様のお姿をどうこうというわけでは」


「ああ、構わないよ。オレも笑えてきたから」


 何なんだ、この世界は。召喚先でどのような姿になるか、初めからどれくらいの力を出せるかはその世界で神を信じる者たちの数で決まるようだが、ここはどうなってるんだ。

 獣界へ戻れるようになるまで、三年は滞在することになる。これは、早々に確認する必要があるな。


 夜の帳が降りようか、薄暗い空へ顔を向け、口から紫雷しらいを撃つ。二人の人間の胴体を束ねたくらいの幅を持ち、槍に近しい形状の紫雷が群雲を切り裂く。

 青年は感嘆の声をあげたが、こんなにか細い紫雷を撃ったのは生まれたばかりの頃以来だろう。制限の件でやや躊躇いはあったが、確認は必要だった。

 人間の口から撃ってみると、一人ぶんの胴体程度。速度も本来の三割ほどしか出ていない。はぁ。


「……まあいい。いちおう聞こうか、喚んだ理由を」


「は、はい。私たちは滅亡に瀕しており……神獣さまたちのお力を貸していただきたく」


 ああ、やはりそうか。食傷ぎみの言葉に辟易しつつ、ふと疑問が湧いたオレは青年の言葉を遮った。


「待て待て。神獣さまたち、と言ったな。他にも一柱の神獣を喚んでいるのか? どこにいる?」


「いえ、これからあと六柱をお喚びいたします」


 おいおい。それがどういうことか、理解しているのか?ーーいや、していないだろう。あり得ないんだから。


「あのな、青年。喚ばれた神獣がこのゴモラの外へ出るためにはな、オレたちと盟約を結べる特異体質の者が必要だ。それも、一柱につき一人ずつ。これまで六つの世界に喚ばれてきたが、一世代に一人いるかいないか、だったが?」

 

 唯一、前の世界では二人いたが、それも同じ血筋の者たちだった。見たところ目の前の七人に血縁を思わせる身体的類似点はない。あったとしても、一つの世代に七人集まるなんてことはない。

 ーーだが、オレの常識は容易く破砕された。


「私たち七人全員がそうでございます」


 伏し目がちに口を開いた女は、元は純白であったであろう、土埃に汚れた法衣と思しき上衣を纏っている。腰のあたりまで伸ばした長い鳶色の髪を後ろでひとつに束ね、鏡面に幾つかヒビの入った眼鏡をかけた細い女。三十歳前後に見えるが、人間の老いはよくわからん。


 「これを、ご覧くださいますか」


 破れた法衣の胸元をぐいと引くと、細身のわりには豊満な胸と浮き上がった鎖骨の間に、十センチほどの五角形の内側にオレも読むことができない文字が刻まれた痣が。

 痣は蛍のような淡い暖色の光を放っている。


「ありがとう、メア。みんな、リンドヴルムさまに紋様もんようをお見せしてくれ」


 残りの五人からも痣ーー胸元の紋様もんようを提示されたオレは、低く唸るしかなかった。

 どこか惹かれるようなあの感じ。彼らが目で訴える、紛いものではないということ。そこに反論の余地はなかった。

 ごく稀に誕生するあの紋様を持つ者は、産み落とされた瞬間から獣界への干渉権を得ている。

 詳しい理由までは聞けなかったが、二つめに喚ばれた世界で狂乱の識者と呼ばれていた翁が言っていた。

 奴は結局、オレの手で殺したんだったか。


「……信じ難い話だが、信じるしかないようだ」


 かぶりを振ったオレに対し、青年は自らの名をナイトと名乗った。大変申しわけありませんが、詳しい事情は他の六柱を喚んだらお話しします。同じ説明をお聞きになるよりは……と言い、仲間たちに次の召喚に入るように指示を出す。

 とりあえずは、とオレは小さな尻を冷えた煉瓦に預け、深いため息をひとつ。

 不承不承で事の趨勢を見守ることにした。


「ねえーみんなぁ。さっきあたしが言った一節、機能してなかったみたいだから、別に言わなくてもダイジョブだと思うよー? よけーなこと言ってごめんねー」


 円環状の広場の縁に沿って建ち並ぶ、光沢と吸い込まれそうな漆黒を両立させた十三個の黒碑モノリスの前に立つ五人へ、対照的に緩い笑みを浮かべた槍の女がどこか愉快そうな声で言った。

 常に笑っているように見える女は、人間の女性としては背が高いほうだろう、恐らく。ナイトとそれほど差のないところに線を引いたような双眸があり、肩胛骨のあたりに端のある藍色の髪の毛先は梳いたように細くなっている。

 ラン、と呼ばれていたか。


「承知した。では省かせていただこう」


 皆、一様に頷きはしたが、声で答えたのはナイトに見劣りしない壮健な体つきで白髪を“おーるばっく”に整えた老人のみ。お、背中のあれは薙刀か。前世界を思い出す。

 古傷だろうか、右目を裂傷に塞がれた隻眼の爺さんは、嗄れてはいるがはっきりとした声で黒碑にそっと囁く。


「我、古の盟約に則り、神の眷属たる神獣の御姿、御力を求むる。西方にあっては天照、大気、土壌を。東方にあっては生命、豊穣、死を。神の御力は 普く行き渡り、我ら卑小な存在の浅慮たる願いをその深謀遠慮な思慮で包みたまえ」


 異口同音の六人の体を、黒碑から投げ網のように放たれた金色の輝きが包む。じっくり覗きこめば複雑な表情のオレが映るのでは、そう感じるほどに澄んだ空気が満ちる夕闇の廃都市に、金に煌めく六本の光柱が立ち上る。

 召喚相手の指定に必要な一節が抜けていた。

 槍女の発言からすれば、指定できることは知っているはず。詠句を間違えて憶えているんだな、おそらく。

 おかげでオレは三年をここで過ごすはめになったわけだ。

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