第12話「復讐、したいか?」
「クロさん、クロさん」
『んー?』
ゼロは走る足を止めず、肩に乗っている黒猫姿のクロに呼びかける。
それに対し、クロは焦る様子もなくのんびりとした声音で返事をした。
走っている住宅街は時折、主婦が道の端で固まって立ち話をしていたり、歩行者も少なからずいる。
だが、死んでいるおかげで衝突の恐れがないゼロは、それらを避ける必要はない。すり抜ける直前には「ぶつかるかも」と一瞬だけ怖くなるが。
「回収するのは、動物のストレイが主って言ってましたよね?」
『言ったな』
「今、後ろから全速力で追いかけてくる大きな犬は――」
「ガアアアァァァァ!!」
「うわああああ!!」
『グラッジ化しそうで大きくなった犬だな』
まるでケルベロスに追いかけられているかのようだ。
追ってきている犬は最初こそ普通の小型犬だったものの、ゼロを見るなり怯えだし、体から溢れ出した黒い靄を纏い大きな犬へと変わった。
黒い犬が足に力を込めて跳躍し、ゼロの肩を押して地面に倒す。ほぼ同時に、クロはひらりと肩から飛び降りて逃げた。
ゼロは何とか身を捩って体を反転させ、食らいつかんと開かれた口の上下を掴んで押さえる。
「クロ、助けて!」
『……はぁ。しょうがないな。俺、こっちの姿取るの疲れんだけど』
お座りをして傍観するクロに助けを求めれば、彼は深い溜め息を吐いてから光を纏って人間の姿に変わる。そして、手早くペンダントをデスサイズへと変形させ、刃を振るった。
黒い犬はゼロの上から高く跳躍して退くと、唸りながらクロを見据える。
「グルルルル……」
「ったく。手の掛かるストレイどもめ」
「……ありがとう、クロ」
クロはぼやきながらも、仰向けのまま動けなくなっていたゼロの腕を掴み、無理やり引き起こす。視線は黒い犬から外さずに。
シルキーと共にいくつかの回収を見てきたゼロだが、グラッジというものに出会ったことはない。目の前の犬がまだグラッジでないのなら、本物のグラッジとはどれだけ恐ろしい存在なのだろうか。
自然と前に出たクロの影に隠れたゼロは、もう一度黒い犬を見る。
纏う影はやや少なくなっているが、それでもこちらへの敵対心は削がれていない。
「なんで、あの犬はこんなに敵意剥き出しなんだ?」
「『なんで』? そりゃあ、動物だからな」
「うん?」
「動物は他種族への……特に、人間への警戒心は強い。野生だった奴ほどな。中には友好的な奴もいるが、大抵は最初に攻撃してくるぜ。だから、俺ら動物のグリムリーパーが当たるんだ」
「ええ……。じゃあ、俺、いたら駄目なやつじゃん」
グリムリーパーであるシルキーがその事を知らないはずがない。クロも事前に忠告はしてほしかった。
今さら帰りたくなったゼロに、クロは犬から目を離さないままで言う。
「そうだな。でも、あいつがこっちに寄越したってことは、何か事情があんだろ。それに、オルクスの考えも含まれてんじゃねーの? いろんな回収を見ろって言う」
「でも、動物の未練を見ても……」
「人間も動物も、命は同じだ」
「…………」
クロの声音に苛立ちのようなものが含まれた。
ゼロからはクロの表情が窺えないため、彼がどんな顔をしているのかは分からない。しかし、ゼロの言葉に不快感を露わにしたのは間違いないだろう。
「同じ命で、同じように考える頭と、同じように感じる心がある。違う部分は勿論あるけどな」
体の作りであったり、知能指数であったり。異なる箇所を上げればいくつも出てくる。それでも、生きていることには違いはない。
「人間みたくごちゃごちゃ考えることがあんまりないから、一つの感情がもろに表に出る。純粋だからこそ、動物のストレイはグラッジになりやすいんだ」
抱いた感情が憎しみならば、それは他の感情を同時に抱く人間よりも圧倒的に大きいものとなる。最も、いろいろな感情を持ちながらもグラッジになった人間は、より性質が悪いものが多いのだが。
小さく息を吐いたクロは、淡々と言葉を続ける。
「コイツの未練、教えてやろうか?」
「……うん」
「『人間への復讐』だよ」
「復、讐……」
「生前、人間に虐待を受けてたみたいだな。まぁ、最近じゃよくある話だ。悪質なブリーダーとやらによる、無理な繁殖や不衛生な環境での放置。自分のストレス発散のために傷つけたりとかな」
黒い犬もまた、虐待によって命を落とした命の一つだった。
靄に包まれて大きく見えるが、元は生まれて数ヶ月ほどの子犬だ。檻に入れられたせいで抵抗もままならず、人間に弄ばれた結果、ろくに世界を知らずにこの世を去ることになった。
何故、生まれてきただけで痛い目に遭わなければならないのか? 何故、生きているだけで傷つけられるのか? 自分は相手を傷つけることは何もしていないはずなのに。
思いは膨らみ、恨みとなって死んだ後で爆発する。
「どう、するんだ?」
「ああ? んなの、決まってんだろ。とりあえず、落ちつかせるんだよ」
「落ちつかせるって……」
「物理的にな」
「…………」
グリムリーパーとしての力で落ちつかせるのかと思いきや、力任せなことに絶句した。
地面を蹴って跳躍したクロは、躊躇いひとつ見せずに犬のストレイに斬りかかる。犬のストレイは素早く避けると、クロに噛みつこうと口を大きく開いた。その口にデスサイズの杖の部分を突っ込めば、犬のストレイは驚いて飛び退く。
ふたりの激しい攻防を見ているしかできないゼロは、時折、飛んでくる礫を避けつつ、どうやってストレイを宥めるのだろうかと疑問に思った。
(人間への復讐心って、そう簡単に解消できるものじゃないだろうし……)
さすがに、未練を解消するために虐待した本人を殺めるわけにはいかないだろう。それができれば話は早いのだろうが。
クロは、さすがは猫であるせいか、人間の体であっても動きはしなやかで身軽だ。犬のストレイの攻撃をひらりと躱しつつ、デスサイズでダメージを確実に与えている。
やがて、犬のストレイの纏う靄が少なくなってきた頃、クロはデスサイズの刃がついていない方を思いきり叩きつけた。
地面に伏せた犬のストレイは、すっかり元の子犬の姿になっている。それでも、黒い靄は完全には消えていないが。
「グウウウウ……」
「どうだ? 動いて少しはすっきりしたか?」
(いや、また人間に痛めつけられたって恨みが強くなってそうだけど……)
クロもさすがに息が上がっているようだ。肩が上下に動いているのを見ながら、ゼロは内心でツッコミを入れた。
犬のストレイは体を震わせながら、立ち上がろうと足に力を込める。
『……で』
「え?」
か細く聞こえた少年の声は、犬のストレイのほうから聞こえた気がした。クロも同じなのか、怪訝に眉を顰めている。
犬が喋るはずがない、と思った矢先、今度ははっきりと言葉は届いた。
『なんで、ボクらばっかり……!』
悲痛な叫びは、間違いなく犬のストレイのものだ。
立ち上がった犬のストレイを、クロは感情の読めない目で見ている。
ゼロ達を見据える犬のストレイの目には、未だ復讐心が消えていない。
『ボクや、ボクの仲間が、何をしたって言うの……!? 今すぐ、アイツを八つ裂きにしてやるんだ! ボクや仲間にしたように、アイツも切り裂いてやる!!』
「これでグラッジじゃないって言うんだから、すごいよな」
「クロ……?」
激しい憎しみの言葉を吐く犬のストレイに反し、クロの呟きはどこまでも冷静な声音だった。
デスサイズを片手に犬のストレイに歩み寄ったクロは、犬のストレイが噛みつけそうなほどの距離で地面に片膝をつく。
だが、犬のストレイは予想に反してクロに噛みつくことはなく、ただ牙を剥いて唸っていた。
クロは怖じ気づくことなく、犬のストレイの鼻先へと徐に手を差し出す。
「噛みたいなら、噛んだっていいぜ」
『っ!』
「俺達動物にしてみりゃ、随分と生きにくい世の中になったもんだなぁ」
手を出したまましみじみと言ったクロに、犬のストレイは怪訝な視線を向けた。そして、自身に向けられる瞳の中に僅かながら悲愴感が含まれていると分かると、警戒心が少しだけ和らいだ。
クロはデスサイズを傍らに置き、犬のストレイを抱き上げる。
最初こそ暴れていた犬のストレイだが、クロに優しく背中を撫でられると徐々に大人しくなっていった。
「お前を傷つけた人間も、何か抱えてるモンがあったんだろうな。だからって、お前を傷つけていい理由にはならねーけど」
『…………』
「復讐、したいか?」
『!』
クロの問いかけに、犬のストレイは驚いて見上げる。
復讐の手伝いをするのかと案じたゼロが止めようと口を開きかけたが、察したクロの視線によって制された。
(何をする気だ……?)
『し、したい!』
「よし。なら、今から言うことを聞いても変わらないなら手伝ってやる」
突然、降って沸いた復讐のチャンスに、犬のストレイは迷わずすがりついた。
ゆっくりと犬のストレイを地面に下ろしたクロは、彼を真っ直ぐ見たまま条件を話しはじめる。
「まず、復讐をしたらお前の恨みは晴れてすっきりするだろう。一時的にはな。けど、転生はできなくなる。グラッジっていう化けモンになって、お前を傷つけた奴みたいに、誰かを傷つける」
『アイツと、一緒……?』
「おう、そうだ。そんで、スレイヤーって奴らに狩られて、真っ暗な世界をただひたすらに漂う。誰にも会うことなく、傷つけられることもなければ、愛されることもない」
生者は勿論、グリムリーパーからも認知されない魂は消滅したも同然だ。ただし、消滅した魂からすれば、意識はあるが周りには何もないために孤独に包まれる。
犬のストレイはその光景を想像したのか、言葉を失っていた。
「このまま復讐を諦めれば、やがて転生できる。時間も経ってるから、アイツには二度と会うことはない。また傷つけられるかもしれないが、今度は愛されるかもしれない。何より、アイツと同じ事をしないで済む」
『同じじゃ、ない……』
「そう。嫌いな奴と同じ事はしたくねーだろ? 俺なら御免だね」
犬のストレイは迷っているようだ。
それもそうだろう。復讐を諦めれば、傷つけた人間はそのまま生きているのだ。仲間がまた傷つく可能性は大いにある。
だが、復讐をすれば結局は憎い人間と同じになってしまう。それはもっと嫌だった。
『ボク、アイツと同じは、嫌だ』
「よし。なら、決まりだな」
クロは再びデスサイズを手に取る。そして、手早く犬のストレイを斬った。
子犬の恨みは果たされていないものの、解消にはなったのだろう。
こんな回収もあるのか、と呆然と眺めていたゼロは、ふと、脳裏に女性が倒れた瞬間が思い浮かんだ。
だが、今回、その光景は逆再生され、女性が倒れる直前に彼女にぶつかる何かがあった。
「え……?」
耳を劈くブレーキ音。それは、前回、シルキーの回収の際に見たワゴン車のブレーキ音とよく似ている。
一瞬、前に見た光景を思い出したのかと思ったが違った。
ワゴン車ではなくトラックにぶつかられた女性の近くに、少年の姿はない。
何より、トラックがぶつかった瞬間、車体に重なるようにして、別の存在が手にしていた大きな鎌を女性に振るっていた。
――あの女の人が倒れたのは、トラックに轢かれたからだ。でも、そのきっかけを作ったのは、大きな鎌を持った「白い人」だと思って……。
それで、あの女の人に向かって、俺はなんて言ってた……?
俺は、何を思ったんだ……?
自問自答を繰り返し、やがて一つの答えに辿り着く。
何故、すぐに思い出せなかったのだろうかと自分に嫌気が差した。
「よーし、回収完了ー」
「……思い出した」
「ああ?」
犬のストレイの回収を終え、いつの間にかデスサイズをランタンへと変えていたクロは突然、呟いたゼロを怪訝に見る。
何を思い出したのか、と視線だけで問うクロを見て、ゼロは漸く思い出した未練を口にした。
「俺は、『母さん』を殺した『死神』を探してたんだ。復讐するために」
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