第2話 シンプル~斗南拓斗の憂鬱~・2

「で、何があった? 聞かせろよ」

 賢治は笑いを押さえきれない顔で尋ねてくる。

「ただ、映画に誘われただけだよ」

「お、デートか?」

「別に、そんなんじゃない」

「何の映画だ? 今度やるアレの実写版か?」

「いや、旧い映画のリバイバルで――」

 質問を浴びせられ、渋々ながらも拓斗は答えていく。他人に腹を探られるのが嫌いな拓斗ではあったが、賢治が相手だと何故か答えてしまう自分が居た。賢治のパンクな見た目とは裏腹の柔和な雰囲気と、特有の人当たりの良さが成せる技なのだろう、と拓斗は自分を納得させた。

「なるほどな」

 一通りの状況を聞き終えて、賢治はポケットから煙草を取り出して火を点けた。このご時世、珍しいことに第一食堂は喫煙可、である。

「つーかさ、お前ら趣味もぴったり合うんだからさ、いい加減付き合っちゃえば?」

 葉に衣着せぬ勢いの言葉に、拓斗は再度溜め息を吐く。

「何度も言うけどね、曜子とはそういうんじゃなくってさ」

「一緒に居て居心地が良い、っていうんだろ。いやさ、俺が思うにそれって恋人としては理想的な関係じゃね? 大学で出来た恋人と就職してから結婚する、なんて話は少なくない訳じゃん。それを考えるとさ、伴侶としての条件としては、居心地が良いってのはかなり大きな条件になると思うんだよな」

 そうなのだろうか。拓斗は思案する。

 今までその事について、拓斗は真剣に考えた事はなかった。まして、考えまいとしている節すらある。

 賢治は音楽学科の学生だ。専攻がポピュラー音楽だとかで、学科内でバンドを組み、ギターボーカルを担当している。作詞も担当していると言っていた。

 そのためなのか、彼の言葉には妙な説得力があった。

 観客を納得させる技量ゆえなのかどうか、舞台に立った経験もない拓斗には判断する術もなかったが、その力は、文章で人を納得させようとしている拓斗にとって、羨ましくないはずがないものだった。

「とにかくさ、一度しっかり考えてみたらどうだ。映画の後に呑みにでも行って、普段と違う場面で会話すれば、違った一面も見えてくるだろうし」

 確かに、映画館のある梅田は、少し歩けば朝まで開いている飲み屋も少なくない。しかし、学生には敷居が高い店が多いのが難点だった。

 悶々とする拓斗をよそに、曜子が一人の女学生を連れて戻ってきた。デザイン学科の柳ヶ瀬やながせ夏美なつみだ。

「おまたせ~。二人の分も飲み物買ってきたよ」

 スーツ姿の夏美は、拓斗と賢治にそれぞれアイスコーヒーを手渡した。

「あー、ケンちゃん私の席取らないでよ~」

 曜子が言うと、賢治は肩を竦めながら、拓斗の隣に席を移った。

「悪い悪い、ちょっとコイツと内緒話があってさ」

 言いながら、拓斗を肘で小突く。

「男二人で内緒話とか、ちょっと気持ち悪いんですけど」

 夏美は苦笑しながら、ガムシロップを二個、賢治の前に置いた。賢治は黙ってそれをコーヒーに投入し、ストローでかき混ぜる。ごく自然なやり取りだった。

「スーツ姿ってことは、なっち、就活か何か? 早くないかな」

 拓斗が尋ねると、夏美は手を振って否定する。なっちとは、彼女の愛称だ。

「バイトの取引先に納品があってね。最近には珍しく、現物納品の仕事だったから、このあっつい中、入学式で着たスーツ引っ張り出したってわけなの」

 上着を脱ぎながら、夏美は言う。

 夏美のバイトは確か、広告事務所かなにかだったはずだ。デザイン学科の学生は、彼女の様に在学中から業界での仕事を経験していく人間が多い。G大の中でも、社会との繋がりが非常に強い学科の一つで、就職率も一番高かったはずだ。

「なっちは凄いよね~。一回生の頃からバリバリ仕事しててさ。就活なんかしなくても、バイト先で社員になれちゃうんじゃない?」

「そんなに甘い業界じゃないわよ。それにアタシ、広告よりインテリアデザイン志望だしね。今のバイトは先輩の紹介だから、断れなくて」

 そこからまた、とりとめのない会話が続く。拓斗と曜子以外は学科も違うし、話題には事欠かない。全員の飲み物が無くなった所で、夏美がようやく気がついたように口に出す。

「そういえば、大将たいしょうはどうしたの?」

 大将とは、金属工芸学科の学生、上野うえの大将だいすけのことで、待ち合わせメンバの最期の一人だ。名前の読み違えが、そのまま愛称として定着している。

「多分、アイツまた実習室で徹夜だな。先週もアクセの注文入ったって言ってたし」

 大将はシルバーアクセサリィ制作で学費を賄っている程の優秀な学生である。おそらく、この面子の中で最も芸術分野で成功し始めている人物だ。

 だがそれも生半可なことではなく、アクセサリィ制作に追われている彼は、いつ自分の部屋に返っているのかも定かではないほど、実習室に篭りっきりであった。

「飲み物も無くなったし、大将への差し入れでも持って迎えに行こうか」

 拓斗の提案で皆立ち上がり、金属工芸学科の実習棟である、十八号館に脚を向けた。

「暑い……」

 誰が言うでもなく、口からこぼれ落ちる程の熱気だった。十八号館へ向かう道のりは、日陰が殆どない。目的の建物に近づくに連れて、金属を削る旋盤の甲高い音が大きくなっていった。

「この暑さでこの音は、不快指数限界ギリギリだな……」

 いつの間にかサングラスを掛けていた賢治が誰ともなく呟く。その見た目は完全に田舎のヤンキィである。

 やがて実習室に辿り着くと、送風機の送り出す風でようやく涼を取る事が出来た。その中で、金属音は鳴ったり止んだりを繰り返している。だが、音の元凶は、大将ではないようだ。

 件の大将はといえば、実習室の端にある機械の前に座り、何かを磨いている様子だった。

「大将~。お前遅れるなら連絡ぐらい寄越せよ~!」

 賢治が叫ぶと、首だけ後ろに向け、大将は答える。

「悪い悪い、もう少しで仕上がる所だったんだ」

 そう言って、彼は最後の仕上げを済ませると、出来上がった指輪を賢治に渡した。

「ホイよ。今度のライブ用の新作」

「なに。注文のやつじゃなかったのか?」

「それなら昨夜のウチに済ませたよ。もう発送済み」

「なんだよ、別に俺のは急ぎじゃなかったのに」

「気にすんな。ついインスピレーションが湧いちまっただけだ」

「……サンキュな。今夜の呑みは俺が出すよ」

 二人のやり取りが終わると、皆はそのまま実習室の空いているテーブルを囲んで座った。金属音はようやく止んだようだった。

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