光と影の兄弟

バチカ

第1話

 僕達のせいで、森の静寂は瞬く間に打ち破られた。


 メキメキと音を立てて巨木が倒れる。僕と兄弟が両手を繋いでも届かないほど太い幹をした巨木が、である。地面を打ち鳴らす音が響き、驚き喚いた鳥の群れが天高く舞い上がった。


 倒れた枝の一部を踏みしめ、僕達は走っている。背後から迫りくる、あいつから退却するために。


 咆哮が、僕達の背中に殴り付けるような勢いで轟いてくる。


 普通の人ならば、恐れ竦みあがるほどの声量。だが、僕達にとっては、聞き慣れた日常の音だ。


 何かがへし折れる音が後ろから聞こえてきた。さっき倒した巨木をあいつが踏み潰したんだろう。あの樹すら容易くへし折るほど、奴の膂力は凄まじい。


 前を見ると、朽ちた石材のようなものがやたら目に付く。昔の文明の名残だ。木々に浸食された都市の成れの果てが、この森の中には広がっている。


 僕達は遺跡の中心へ向かっていた。あそこは、人気が少なく、物陰も多い。


 やがて、見えた。森の先に広がる、朽ちた石材による建造物群。木々が少ない地域に差し掛かったからか、さっきまで枝葉に遮られていた陽光が、一気に僕等へと注ぎ込まれてきた。


 ここで僕達は振り向く。鬱蒼たる緑のカーテンを突き破って、強大な追跡者の全貌が明らかとなる。


 そいつは、二階建ての家屋を軽く凌駕する巨体の持ち主だった。


 基本は、四足の獣とさして変わらないだろう。けど、そいつの頭は何に形容すべきか全く分からない。兄弟は獅子のようだと言うが、僕にはたてがみの生えた猿のように見える。隆々たる四肢は金色の毛並みで覆われ、鋭い爪の生えた手足は、すでにどす黒い何かで汚れていた。


 奴は、普通の獣ではない。魔物――生き物にして生き物に非ず、この世に在るべきでない超常の存在だ。


 そいつは僕達を見て、再び雄叫びを上げた。だけど、僕達は怖気づかない。むしろ、その逆。よくぞここまで付いて来てくれたよ。


 僕は兄弟と顔を合わせ、互いに頷く。


「作戦開始だ」


 僕が呟いた次の瞬間、凶悪な魔物の前足が僕に直撃した。


「兄弟!!」


 攻撃を間一髪かわしていた兄弟が、僕のいた所を見て叫んだ。だけど、


「大丈夫。僕は無事だ」


 近くの石柱に突如として描かれた黒い魔法陣。その中央から僕はにゅっと姿を現した。瞬間移動で回避するなど僕の十八番だ。「驚かしやがって」と、兄弟が安堵の表情を浮かべる。


「続けるよ。この遺跡には打ち捨てられた時計塔がある。あそこまで誘き寄せるんだ」


 そう言って、掌に小さな魔方陣を描いて魔物へと翳した。漆黒の魔弾がそこから放たれ、魔物の脳天を打ち抜く。


 魔物の巨体が仰け反った。だが、一度白目を剥いた魔物の目は、再び元の爛々たる赤い眼へと変貌した。脳天を穿ったはずの傷口が、いつの間にか塞がっている。


 これが、魔物の厄介なところだ。あいつらは、負の魔力が凝集して生命体のようなものになった存在。挙動は動物と同じなんだが、体内の魔力が尽きない限り心臓や脳味噌すら再生出来る。おかげで、生物の常識が一切通用しない。


 しかも僕の一発は、奴をさらにイラつかせるには十分すぎたようだ。近くの石柱や石の小屋を破壊ながら追いかけてくる。


 ――あの魔物に出会ったきっかけは、僕達の元へやってきた緊急の依頼だ。曰く、戦場で巨大な魔物が大暴れして手に負えないから至急何とかして欲しいとのこと。突然舞い込んできた依頼だったんだけど、莫大な報酬額に釣られて、僕達は快諾した。


 だが、僕達が到着した時には、現場は惨憺たる状況となっていた。戦場でひとしきり暴れたそいつは、撤退した軍を追いかけて、とうとう町にまでやって来てしまったんだ。疲弊しきった軍と常駐してある町の装備だけではどうすることも出来なくて、町は阿鼻叫喚の巷と化した。あいつのどす黒い手足は、兵士の血だけで作られたものではないんだ。


 憤怒の形相で、魔物が石材を持ち上げた。体躯と同じくらいの巨岩を、あいつは僕達目掛けて投げてきた。これは僕が、と思いきや、兄弟が制した。「俺がやる」そうだ。


 兄弟の翳した手の先で、巨大な魔方陣が生成される。次の瞬間、奇怪な白い文様で縁取られた円の中心から、眩い閃光が迸った。


 砲撃。たった一発の光線が、襲い来る巨岩を破壊した。


 舞い散る粉塵の先で、魔物は少し離れた位置にある塀に黒い魔方陣が描かれているのを見た。そして、さっきの僕の挙動を見て予測するだろう。あいつがあそこから出て来ると。残念。あれは確かに僕が描いたものだが、役割は違うんだよね。


 僕は魔物の真後ろにいた。脚部に魔方陣を巻き付け、筋力を劇的に向上させた跳び回し蹴りを叩き込む。その威力は、魔物の巨体すら吹っ飛ばす。


 魔方陣が光った。あの魔方陣には、特定の対象を引き寄せる術式が施されている。僕の脚力と陣の引力の相乗により、魔物は凄まじい速さで魔方陣の描かれた建物に衝突した。


 崩壊する壁。その向こうには、広場があった。僕達の目的地である時計塔前の広場だ。衝撃で横たわる魔物の身体には、幾多もの黒い棘が刺さっていた。言い忘れていたけど、あの魔方陣、触れると鋭い棘が何本も生える仕様にもなっているんだよね。そんな魔物の頭上には、瞬間移動した兄弟の姿が。落下しながら前方に白い魔方陣を展開し、ありったけのエネルギーを充填する。


 ――僕達が、魔物を町からここまで誘い出した理由。それは被害の拡大を防ぐ為だ。なぜなら、魔物が強大すぎるから。そして何より、僕等の魔力もまた強大すぎるからだ。


 二度目の砲撃。頭上から閃光の柱とも形容すべき光線が魔物へと降り注いだ。その光は離れた位置に立つ僕すら眩ませ、砲撃の余波は脆弱な建物を崩壊させていく。


 兄弟が広場に着地する。僕も魔方陣から姿を現して合流する。


 魔物は再び起き上がった。蹴られ、串刺しにされ、砲撃を食らってもなお、体組織を再構築できる魔力には驚嘆せざるを得ない。


 魔物の顔はさらに憤怒の形相で歪んでいた。やはり魔物でも、傷は消せても屈辱は消せないようだ。


 魔物が大口を開ける。魔力のエネルギーが充填されていく。必殺のブレス。僕はその技が町で炸裂し、区画がいくつか消失したのを目撃した。数多の命を一瞬にして灰燼に帰した息吹を、あいつは僕達二人に向かってするつもりだ。けど、僕達はそれを待っていた。


 ブレスが炸裂する。全てを破壊する光線が魔物の口から放たれる。対する僕は、巨大な黒い魔方陣を展開する。そいつで息吹を受け止める。次に僕はありったけの魔力を魔方陣に込めた。ブレスのエネルギーを魔方陣に吸収することにより、僕は息吹のエネルギーを、ボールのようなものへと凝縮させてやった。


「さあ、やるんだ、兄弟!」


「おうよ!」


 僕はそれを兄弟にパスする。僕が出来るのは、敵のエネルギーを凝縮して塊にさせる所まで。それを適切に扱えるのは、兄弟の方だ。


 兄弟が魔物へと駆ける。応戦する魔物の腕を掻い潜り、兄弟は魔物の腹部目掛けてそのエネルギーを解放した。


 三度目の砲撃。それは腹部から魔物を貫通し、天高く放出された。再び遺跡の砂礫を吹き飛ばし、雲が引き裂かれて天空には穴が空いたようになった。そして魔物は――。


 何度でも再生できる魔物だが、それは体内に魔力が安定して供給されている状態の時のみだ。再生のために魔力は消費されるが、重要な器官ほど損傷されたときに費やされる量は大きい。そのため、重要な臓器が短時間のうちに何度も破壊されしまうと、制御系統そのものがパンクしてしまい再生どころか姿形の維持すら困難になってしまう。そうなると、魔物はどうなってしまうのか。


 魔物がいた所に、金色の珠が落ちていた。大きさは、占い師が扱う水晶玉くらい。砲丸ほどの重みがあり、流石の僕でも両手で抱えざるを得ない。


 これが、奴らの成れの果てだ。魔物としての姿が保てなくなると、奴らは魔力が凝縮しただけの塊になってしまう。それは、一生を終えた恒星が、大爆発した後に小さな塊になってしまうのと似たようなもんだ。こいつは宝珠と呼ばれ、僕達が魔物を斃したことを証明してくれる。


 兄弟が肩を叩いた。


「楽勝だったな、兄弟」


「ああ。さっさとこいつを持ち帰って、脅威は無くなったと報告しなきゃ」


 ★★★


 僕達の吉報に町は大いに驚いた。そりゃそうだ。町一つを壊滅させた魔物を、若いハンター二人が斃しちゃったんだからね。その功績を訝しむ者もいただろうが、僕達の手には例の宝珠がある。斃した証を持っている以上、信じざるを得ないよね。


 報酬は貰ったんだけど、僕達が例の魔物を斃したって話は瞬く間に広がった。で、そんな僕達のことをもっと知りたくて、各地から報道陣までやってきた。


「また取材か。俺達も有名なったもんだな、兄弟」


「そうだね、兄弟。何度も強い魔物をやっつけていれば、当然かもね」


 で、ある記者がやってきた時、事件が起きた。


 その日やってきた記者なんだが、肩についていた紋章が不穏だった。「Gold」の太文字に金の縁取りが施されたデザインをしているのだが、僕達はその紋章を掲げるハンターギルドを知っている。ゴールドユニオン。正直、そいつには良い思い出がない。


 幸いにも、特に兄弟は気にしていなかった。何事もなくインタビューが進められ、こんな質問が兄弟に投げかけられた。


「フラッシュ・ゴールドさんが、普段から大切にしているものはなんですか?」


「大切にしているもの? 決まっているだろ。兄弟だ。俺は兄弟を誰よりも大切にしている。兄弟は俺の全てだ。もし万が一、誰かが兄弟を傷付けるようなことをするなら、俺はそいつを怪我で済ますつもりはないだろう」


 うわ、物騒な答え方だな。兄弟らしい。が、次の質問に彼はムッとした。


「兄弟は血が繋がっていないと伺いますが、やはり血縁は関係ないのでしょうか?」


「当り前だろう。何を言っているんだ。そんなもんどうでもいい。俺にとっては、兄弟が兄弟であるということが重要だ。突っ込むんじゃねえよ」


「失礼しました。素晴らしい兄弟愛ですね。それだけ、フラッシュ・ゴールドさんは、異母弟のグロウ・ゴールドさんを大切に想っていらっしゃるわけですね」


「!!?」

「!!?」


 僕達は耳を疑った。グロウ・ゴールド!? 違う。僕の名は、シャドウ・クロス。グロウ・ゴールドなんかじゃない。そいつは、兄弟の言う兄弟じゃない。そいつは――。


「てめえ、今何て言った! 誰からそんな事を聞いた!? そいつは、俺の兄弟なんかじゃねえよ!!」


 僕が制する間もなく、兄弟は記者の胸倉を掴んで怒鳴り散らした。その怒りは、周囲にいた他の関係者にも飛び火する。


「なんだよ、その目は。まさか、てめえらも同じことを思ってたのか!? あいつなんかが俺の兄弟だと思ってやがったのか!? ふざけんなよ、てめえらあ!!」


 何もかもが遅すぎた。怒りで我を忘れた兄弟は、僕の制止も虚しく、その場で暴れ回った。


 これが、後に僕達の命運を左右する出来事だったことも知らずに……。

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