肺結核を自由に操れるのであなたにかけてもいいですか?

いわしまいわし

1話:生きられなくなっちゃってもいいですか?

「壁の中を機械音が走る。僕は怖かった。暖かい空気をせっせと送り出すエアコンの音が不気味だ。それほど孤独な入院室は静かだった。僕の咳は無視された。


「残念ながら息子さん.....佐藤元気君の病気には処置のしようがありません」


嘘だろ.....?沈んだ声は僕になんか届かない。かろうじて母さんに向けられた言葉を拾い聞きするだけなんだ。患者って思ったより寂しい。


(僕はモルモットじゃないんだ!子供でもない!)


咳に混じって言葉にしたい気持ちを口の動きで表現するんだ。でも声は自分の咳に抗えない。ゴホゴホと乾いた咳がマスクを飛び上がらせるのを感じるしかなかった。たった今否定したものに自分がなったような気もする。悲しい。助けて。


確かに僕は1分間に50回くらい咳をする。最近(ちょうどこの部屋に入ったときくらいから)は毎日とても眠くって目を開けられない。でもそれだけ。本っ当にそれだけ。医者はまだ何か言ってるよ。この人はいつも話が長いんだ。やれやれ。K酒(人工的なやつ)が飲みたかったな。


「結核なのは間違いありません。本来は治ってなきゃおかしいんです。でもこの菌には薬が全く効きません。従来の治療が何もかも無駄になってしまいました。こうなると医者は頭を抱えて笑うぐらいしか出来ませんよ...」


こんだけ僕の話を聞いてくれたら分かるように僕にはきちんと意識があるよ。医者の言いたいこともはっきり分かるんだ。だからこそ僕の中では色んな気持ちが渦巻いてる。例えるなら、なんだろう.....ダークマター?


本当に色んな気持ちだよ。医者なのになんで病気を治せないの?とか咳のたびに息が止まって呼吸のリズムが崩れるのうっとうしいとか。でもその1番上でいつも光り輝く一つの疑問があった。


(なんで僕?)


これだけはどうしても納得いかなかった。みんなもこんな経験あるよね?


例えば

(どうして僕・私だけ怒られるんだろう?みんなもやってる事なのに(#・∀・))

とか。まさしくそんな感じ。生と死に直結してるだけ。大丈夫だ。問題ない.....と思う。


なんというかね。怒る気持ちが起きないんだよ。だって誰に怒るんだよ。こんな弱い体に僕を産んだ母親?とんでもない。治せない医者?ありえない。薬剤耐性菌?関係ない。言いたいことも言えないこんな世の中?なんでこんなことを僕は思った?


相手がいないから怒ることもできない。だから僕からすればみんな幸せ。だって自分の身に降りかかる災いを他人のせいに出来るんだもの。


「死」って案外人の形をしているもんだよ。向こうからゆっくり歩いてくる。うーんちょっと違うな。僕の方から向こうに歩く。いや走る?すごく身近なんだ。まるで17年来の友みたい。18年来になれるかなー。なれてもなれなくてもいいや。素数で死ねる喜び。諸外国で大人になる喜び。天秤にかけたら釣り合いそうだもん。


それからどのくらい経ったのだろう?眠りに落ちるまで苦労した。意識が飛ぶ直前まで咳に取り憑かれて、やがて疲れ果てたように深い眠りに落ちている気がする。昼はとてもじゃないけど寝られない。まぶたの裏も真っ赤になるし、何より咳をする元気が有り余っている。


それでも3日に1回の眠りが2日になって、遂に毎日眠れるようになったんだ。これは僕にとって特に嬉しいことの1つだ。ゴホゴホした音にも気合が入る。ゴッホ、ゴッホ、ホッシ、ヅック、ヨー


その後入院室での記憶は全くないんだ。長い夢を見ていたと思う。僕はその中で色んな姿になったよ。勇者になって世界を冒険したり、魔法使いになったり、中世ヨーロッパの戦争を現代知識で無双したり.....それはもう楽しかった。自分が神様になったような気さえした。その事を書きたかったんだけど、あいにく忘れちゃった。許してね。


そんなこんなで今ここにたどり着いたんだ。」


こんな感じでいいのかな?気づいたら僕は真っ暗闇の中にいた。灯りはロウソク1本。小さい机の上に貼り付いていた。


机の上には紙1枚本1冊。でも本の方には何も書かれていない。本屋で売っている「マイ・ブック」みたいな感じかな。それを単行本みたいにした奴。わお、ぜいたく。


紙には貴婦人のような字(たとえじゃなくて本当に)が並んでいた。文字もすっと頭に語りかけるように入ってきたんだ。


「今あなたが覚えていることを全て文章にして書きなさい。あなたの記憶には何が残っていますか?」


だから僕は今までのことを書いたんだ。不思議な気持ちだった。書いてる時に魂が抜け落ちるかと思ったよ。まさしく吸い取られるように歴史を書いたんだ。ほとんど咳のことばっかりで退屈だとは思うけど。


そうしたら急に部屋が緑色に光出した。僕は怖くなって体をぎにゅーと縮こまらせて震えちゃった。情けないねぇ。レモンジュースが股間からもう少しで漏れでるところだったよ。


菜っ葉みたいな色はどんどん濃くなったり薄くなったりした。僕はその時になって初めて紙に書かれた文章が変わっていることに気づいたんだ。


「全行程終了(オール・グリーン)。あなたの思考と『神の子の手記(カミノコ・ノシュキ)』は同期しました」


見ると勝手に手記に文字が浮かび上がる。ご丁寧に小学校5年生の歯並びみたいなガタガタの字もそのまま再現して。


とにかく僕の考えや行動は全てここに記されるらしい。多分ちょっと燃えたくらいなら平気なのかな。水に濡れてもすぐ乾きそう。変な本だなー。見た目は焦げ茶色の表紙をした本なのに。こうしている間にもどんどん文字が浮かび上がってくる。こうなると色々遊びたくなるよね。


ニャーん。


ほう、こう考えると「にゃーん」になるのか。あれ? 今度はひらがなだ。変なの。いでよカタカナ「ニャーン」。よしよし。大分分かってきた。今度は顔文字に挑戦だ「(´・ω・`)」あ、できた。どうだこれが僕の記憶力だ!


これ何が楽しいの? 今のところ読むの僕だけだからいいけど。つーかこれ消せない系かな?


目の前がパァーっと開けると1面花畑。.....僕の頭の話じゃないよ? 目の前の話。周りの話。なんて言ったらいいのかなー、まさに「楽園」ってこのことだなーって感じ。赤とか黄色とか白とか紫とか色んな花が咲いてるの。ヒザの高さまで生い茂ってすごくいい匂い。極上のクオリティ。


そんななか1人で突っ立っている僕の所に声をかけた人がいた。女の人の声だったけどそこにハーブの音を混ぜた美しさ。とろけそうな声。暖かく包み込むような言葉。多分この人は男だったら1から100までみんなホイホイついて行く「逆ナンの女王」。そう思って僕は期待でいっぱいになった胸を膨らませてふり返った。






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