最悪の別れ
「よし、窓ガラス嵌めるぞ。そっちから手伝ってくれ」
「OK。よいしょっ、と」
三ヵ月後。ロードスターはかつての輝きを取り戻しつつあった。ダメージを受けたラジエーター、バッテリーは交換され、凹んだフェンダーも内側から叩いて修復。ようやく、昨日からは内装の手入れに入ったところだ。
「ふう、何とか入った。椅子やステアリングとかも揃ってきたけど、オリジナルと随分違うね」
「さすがに純正品は高いからな。あ、いけね。このコード左右逆だったわ」
「……賢さんって意外とずぼらだね」
「いいんだよ、動けば万々歳だ。どうせ元はスクラップだし」
ポンコツの車を完璧オリジナルの状態にすると途方もない金がかかる。そこで、賢さんは安い中古パーツを寄せ集めて何とかやりくりしていた。どこのメーカーかもわからないパーツを車に組み合わせるなんて、まともな人間からしたら理解できない所業かもしれない。それでも、自分達の手で車が出来上がっていくという光景は、当時の俺に何とも言えない感動を与えてくれた。
そして。
山の頂上から広がる夕暮れを、俺たちはぼんやりと見ていた。傍にあったベンチに腰掛けると、心地いい風がふわりと体を包む。その日、走れる状態までこぎ付けたロードスターは、ちょっと遠くまでドライブに来ていた。
「すごいよ、賢さん。まさかこんなにスムーズに走るなんて」
興奮が止まらなかったのを、俺は今でも覚えている。
「だろ? とはいっても、まだツメが甘いな。もう少し柔らかい乗り心地にしないとダメだ」
賢さんは、得意げそうに微笑みつつも、まだ満足いかないといった表情だった。
「え~、まだイジるの。もう殆ど完成してるようなもんじゃん」
「確かに、もうスクラップとは呼べないよな。けど、だからこそ完璧な状態に仕上げたいんだ。そうそう、いいニュースもあるぞ」
そう言うと、賢さんは手元にあった新聞紙を投げて寄こした。ぼんやりと記事に目を落とし、その中身を読む。俺はそこに書いてあることがにわかに信じられなかった。
「免許取得年齢引き下げへ」
「自動車文化振興法成立」
要約すると、政府は停滞していた自動車産業を見直し、発展させる措置を取ったらしい。免許取得年齢の引き下げや税金の見直し等を始め、文化的側面も支援することで、自動車を新たな文化として世界に発信していくという。
「……賢さん、これマジか」
「ああ。政府がついにゴーサイン出したらしい。大方、経済効果を狙ってんのかもしんねぇけど。これでお前も、高校入学したら免許が取れるな」
「あと二年後だね」
「これから先、社会は変わるかもしれない。冷え切った日本のモータリゼーションが再び沸騰するのもそう遠くはねぇだろう。その頃、俺たちは最前線でその光景を見守るはずだ。睦、お前その時どうしていたい? 」
「わかんないよ。まだ先のことだし……。けど、そうだなぁ、自分だけの車に乗れていたらいいなって思うよ」
俺の一言に賢さんは大真面目な顔で一拍おいてから、軽くボンネットを叩きながら返した。
「そうか。じゃぁ、お前が免許取ったらこの車やるよ。それまでに完璧な状態に仕上げといてやるから」
「え、ホント!絶対だよ? 」
「約束するよ。だから、お前も、今は辛いかも知れねぇけど、精一杯生きろ。そして、いつか お前の運転でこの景色をもう一度見に来よう」
「うん。じゃあ、賢さんも整備の勉強がんばってね。車の世界で一番になるんでしょ? 」
「当ったり前だ。よし、もう行こうぜ。早めに現地入りしておきたいしな」
俺たちがロードスターを作った意味は、もう一つある。
「ねえ賢さん、そのレースはどこでやるの? 」
「鈴鹿だ。ほら、F1なんかもやる」
「そんな凄いところで走れるようになったんだ」
助手席で感心したように膝を打つ俺に、賢さんはポケットから小さなバッジを取り出して見せた。
「やっとゲットできたからな」
JMAと刻印されたその価値を俺が知るのは、まだ先の話だ。
敷居の高いモータースポーツの門が少しずつ開かれるようになったのは、今思えばこの頃からだったか。全国各地で手軽な草レースが増え始めた動きに、賢さんが気づかないわけがなかった。そしてもし一週間後が来れば、ロードスターのタイヤはサーキットの地を踏んでいたのかもしれない。
「や~それで優勝したらこの車、さっきの博物館に飾られたりしちゃったりしてね」
「バカ、そしたら俺たちが乗れなくなるだろうが。それに、せっかくの車をあんなダサいところに置きっぱなしにしたくない」
駅までの帰り道、俺たちはドライブの途中に立ち寄った自動車博物館のことについて語っていた。もっとも、そこは規模が小さい上、どこか垢抜けない寂れた場所だったのだが。
「どうかな? 法律とか変わったら綺麗にリニューアルしたりするかもよ」
「夢のまた夢の話だろ」
やがてロードスターは山の麓にある小さな駅に辿りついた。名残惜しい気持ちはあったものの、車から降りて別れを告げる。
「それじゃまたね」
「おう、気をつけて帰れよ。これからって時にくたばっちまったら意味がないからな」
皮肉にも、その会話が本当の別れになってしまった。
「嘘、だろ……? 」
予想もしなかった悪夢が俺の耳に入ってきたのは、それからすぐのことだった。
片山賢が死亡。
警察の話によると、俺と別れた後の峠道で接触事故に巻き込まれたらしい。最初こそ意識があったものの、身体へのダメージが大きく、さらに救急車の到着が遅れた結果、息を引き取ったという。
そしてその原因は、最悪なものだった。
「どうも相手の方、かなりアルコール入ってたみたいでさ」
加害者はその日、平静を保っていれらなくなるほどの酒を飲んだ挙句、大幅な速度超過でカーブを曲がりきれず、賢さんのロードスターに接触。頭を打撲したことにより即死した。
それから先の説明はよく覚えていない。目の前の警察官は必死に慰めの言葉をかけてくれた気がするが、どうでもよかった。ただ、事実だけが目の前に突きつけられただけ。
出来るのなら否定したい。これはただの悪い夢で、実際賢さんはどこかの道をロードスターで流していると。
そんな幻想は、事故現場の写真ですぐに消し去られた。
傷だらけのロードスターが岩壁に張り付いていた。ボディ全体を生々しい事故の衝撃に飲み込まれているが、はっきりわかる。純正よりわずかに落とされた車高や、メーカーがバラバラのパーツで出来た内装、この車は間違いなく俺と賢さんのロードスターだ。
そしてはっきりと、気づいたのではなく、感じた。
俺は、これから先の希望を与えてくれた友人を、失ってしまった。
「何で、なんだよ、これからって時にくたばるなっつったのは、賢さん、アンタじゃねぇかよ!」
その後、俺はただただ感情を露にして泣いた。
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