第8話ダイエット事変(ささみ)
母の決意を聞いたその日から食事のメニューががらりと変わった。
あのあとすぐに立ち直ったらしい母は、どうやら俺の辛辣な一言に突き動かされたようで糖分を摂らなくなった。
そのため炭水化物が食卓に並ぶことは一切なく、学校に持っていく俺の弁当には味付けの異なるささみだけ。ささみ依存症に間違えられることがあってもおかしくはない。
ささみ初日の夜、夕食の時間に母に弁当にささみしか入っていないのはおかしい、と抗議したのだ。
そしたら手を合わせて__
「りくと我慢してね、お願い。お母さんはお母さん体型を脱却したいの」と、頼み込まれたのだ。
仕方なく納得したその日の深夜に妹のグラビアレッスンからちょっと経ってリビングから聞こえたのだ、母が何かを食べて幸せそうな声を。
足音を立てないようにこっそりリビングを覗くと、プリンとコーヒーゼリーを貪っていた。
次の日の朝、俺は言ってやったのだ。
「お母さん、無理して痩せる必要ないだろ。今のままで充分細いと思うぞ」
と、そしたら母は目を潤ませて
「ありがと、りくと。お母さんはお母さんのままでいいのね」
まぁ、それからは以前のように食卓に炭水化物がきちんと並んだし、弁当も本来の姿を取り戻した。
その後日、それが今日だ。
久しく更新をチェックしていなかったRIRUのブログを覗いていると、ある変化が見られた。
__コメントがついているだと。
最近の更新に匿名のコメントもといメッセージがRIRUのブログに届いていたのだ。
内容はこうだ。
『RIRUさん、いつも更新を楽しみにしています。私も高校一年生の女子です。スタイル良くて羨ましいです。RIRUさんのプロポーションを目標にしています。次回も楽しみにしています』
うん、なんとも礼儀正しいお嬢さんだ。きっと嬉しがってるだろうな、あいつ。
そして次の更新でも、同じ女子からメッセージが。
『RIRUさん、今回も可愛いですね。私もそんな風に水着を自信もって着てみたいです。次回も楽しみにしています』
匿名の送信者へ妹がメッセージを返信していた。
『毎回見ていただいて、ありがとうございます。自信もってませんよ、毎回恥ずかしいです」
この流れは固定ファンのできる兆しじゃないか? しかも相手は同学年の女子、さぞ話が合うだろうな。
それから二週間、妹と匿名の女子はブログの更新の有無に関わらずメッセージ交換をたびたび繰り返していた。
双方とも回数を重ねるごとにメッセージの文が砕けたものになっていって、今ではネッ友みたいな関係になっていると思われた。
「りつな、あなた最近笑顔が増えたわね」
夕食の座で前触れもなく母が言い放った。
確かに俺もよく笑顔のところを見かける。あのネッ友のおかげだな。
言い当てられたからか妹はポカンとして、母をまじまじ見つめる。
「ど、どうしたの急に。お母さん」
「ふふっ、恋でもしたのかしらね?」
茶化すように母は問う。的を射たつもりなんだろうけど違うよ。
俺は内心苦笑い。
「こ、恋? お母さん何言ってるの?」
「あら、違うの? もうっ、紛らわしいわね。まことさんが最近ずっと残業で帰りが遅いからお母さん寂しくて、面白い話題だと思ったのに残念だわ」
肩を落として母は、箸先で茶碗に盛られたご飯を突っついた。
少しの間だけだろ、大袈裟な。
母は目線だけを上げて、突然に俺をじっと見る。
「りくとは恋とかしてるの?」
「愚問だな」
母の表情がぱっと明るくなる。
「してるのね! 何々どこの……」
「してない」
誇りらしげに親指を立ててみせる。
母の目が半眼になる。
「嘘つく子には、頭にポテトサラダ投げつけるわよ」
「勘弁してくれ、ポテトヘ〇ドになるのはごめんだ」
俺、ジ〇リの方が好きなんだ。
息子と娘か話題を引き出せず、母はつまらなさそうな顔をして背もたれに身体を預ける。余計に豊かな胸のボリュームが際立っている。
「恋をするって良いことなのにな、りくととりつなは人生楽しめてないわね」
悪かったな、期待に添えない息子で。
「でもお母さん、恋をするって自発的にできるものじゃないよね?」
妹が物凄く真面目に聞き返している。やっぱり興味はあるのかな。
母は背もたれから身を起こし、意味ありげに小さく笑みを作る。
「その通りだけど、恋をするのは簡単よ。だって一緒に居たいな、とか特別に見てほしいな、とかそれを無意識に感じたら恋だもの」
「ふぅん、奥が深いね。ごちそうさま」
母の答えを聞き終わり、妹は空になった食器をまとめて席を立ち、それらをシンク内に置いてリビングを出ていった。
妹の口元がそれとなく綻んでいた。母の言う通り少しだが笑顔が増えたな。
「りくとはりつなが明るくなった理由を知ってるの?」
「ネット内で同世代の女子と仲良くなれたからだろ」
「ああ、コメントくれている子ね」
母も合点がいったらしく、ふむふむとわざとらしく頷いている。
「りつなは昔から、人付き合いがさほど上手じゃないから珍しいわね。これは歴とした娘の成長ね」
「大袈裟な……」
「りくとはどうなの? ネットで友達になった人っているの?」
突然話を振られ、天ぷらを味わっていた俺はそれを飲み込んでから答える。
「いないよ、顔の見えない相手と友達になるのはちょっとな。話をするだけなら良いけども」
「あら、反対なの」
「反対ってわけではなく、俺個人の意見だ。あいつ自身が、それがいいならそれでいい」
「りくともお兄ちゃんらしいこと言うのね。今更妹思いの優しいお兄ちゃんでも目指してるのかしら」
ニタニタして俺を冷やかす。
そう解釈されれば、尚更自分の発言が恥ずかしい。
「そんなんじゃねぇよ」
あくまでも言葉上は否定しながら、心の内で『優しいお兄ちゃん』を反芻した。
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