第7話売れないグラドルの原因は〇〇にあり?
父が妹のグラビアのことを知った翌日の今日、俺は母に大事な話がある、とリビングに呼び出された。
土曜日のため学生の俺と妹はもちろんパートの母も仕事がなく、日月休みの父以外は休日となっている。
そして俺は今、母が洗濯物の取り込みを終えるのを待っている。
「りくとー、終わったよー」
ソファの後ろから母に声をかけられ振り向こうとしたが、ふわふわの弾力に富む何かに妨げられ首が回らなくなる。
「昔みたいにギューってしたくなったのよ。許してね」
母は俺の首に抱きついて、いとおしむような緩い声を出した。
必要無い以上に柔らかい、加えて嫌に生温かい。
「痛い痛い」
しかし身は委ねず、俺は抱きついてきている母の腕をつねって強引にひっぺがした。
「りくと、酷いわ。お母さんをいじめるなんて」
「つねるだけでいじめの域に入るかよ、というか話があるんだろ? こんなことしてていいのか?」
「どうしてもギューってしたかったのよ、りくとは何歳になっても私の愛子には変わりないから」
「……それで、話というのは?」
逐一突っ込みも挟む気にはなれず、俺は先を促す。
母は膝から崩れ落ちフローリンクに手をつき、頷くぐらいして欲しいわ、とはらはら泣き出した。
一流の俳優でもここまですぐに、涙を流せる役者は少ないだろうな。
と気を取り直して涙を拭い母は立ち上がった。その目には真剣の色が浮かぶ。
「テーブルに座っててお茶入れるから」
俺は言われた通りテーブルの椅子に座ってしばし待った。
細く白く湯気の立つ湯呑みを両手に持った母が、俺と真っ直ぐ対面でテーブルの椅子に腰を据えた。
「はい、お茶」
しなやかな指先で俺の前に湯呑みの一つを移動させる。
混ざりきっていない緑茶の粉末が湯の中で濁りとなってたゆたっている。
「暑いから気をつけてね、飲めないならお母さんがフーフーしてあげるわよ」
「そんなことされてまで急いで飲まないよ。暑くなくなるまで待つわ」
りくとのいけず、と母は途端に頬を膨らます。見慣れているこの顔。
「それより大事な話ってなんだ?」
「聞きたい?」
「母さんがあるって言って呼んだんだろ」
「冗談よ冗談、急かさないでも今からお話するわ」
そう言って人差し指を立てて見せた。
「ビックリしても決して叫んじゃダメ、わかった?」
思わず声を挙げてしまうほどに驚愕な事を話すのだろうか?
「ああ」
俺の承知の頷きを見て、母は優しく微笑み話し始めた。
「朝まことさんに聞いた思うけど、りくとやまことさんに内緒で、お母さんりつなにグラビアのレッスンをしていたの」
「……もう聞いた。そこからが大事な話なんだろ?」
「そうなのよ、でもなんで母さんが思ったでしょ?」
「そりゃ思うだろ、母さんはグラビアに詳しくないだろうし」
「そうでしょうね、だけどそれはりくとが私を母としてでしか見たことがないからよ。母になる前の私を知らないからよ」
我が意を得たりといった顔で母はニンマリした。
「母になる前、ってことは俺が生まれる前か。確かに知らない。じゃあ俺が生まれる前は何をしてたんだ?」
「グラビアアイドルよ」
俺は質問して開けた口が塞がらなかった。
グラビアアイドル? 母さんがか?
「りくとの生まれる前、それもまことさんと結婚する前の話よ。だからせいぜい十八年も昔のことだわ」
その頃を懐かしんでいるのか、目線を上に向けて話している。
「それ真面目に言ってるのか、また冗談とかだろ?」
自分の耳が信じられず聞き返してしまった。
母は首を横に振る。
「いいえ冗談なんかじゃないわ、信じるのも信じないのもりくとの自由だけど、当時の雑誌もあるのよ」
そう言って母は席を立つ。
「どこ行くんだ?」
「その時の雑誌取ってくるわ、ちょっと待っててね」
あくまで微笑を湛えて俺の肩に一度触れてから、リビングを出ていった。
数分ほどして戻ってきた母は、腕に雑誌を幾つも抱えていた。
それらをテーブルに置いて、一番上の一つを手にとってページを捲り始めた。
「ここの辺だったはずだけど、あったあった」
見開きのページを目の前に向けてくる。俺は目を疑った。
見開きの両方に胸の上を見せる角度で腰を曲げたパンドゥビキニのかなり若い頃の母の姿が、俺の目にまざまざと映った。
薄いピンクで名前も載っていたが、名字が今とは違っている。
「これがデビューした年のやつで、こっちが二年目の春、こっちが同じ年の秋……」
自分のグラビアページを開いては、次々にテーブルに広げていく。
「で、これが一番最後よ」
持ってきた雑誌をすべて開いて並べ終えた母は、手を腰に当てて誇らしげに眺める。
「お母さんはこの頃、こんなに細くてくびれてたのよ」
__その言い分じゃ、現在は細くなくてくびれがないって自分から明かしてるようなもんじゃねぇか。
「それでどう? りくと。この頃のお母さんの色香は? すごいでしょう?」
探るような目で俺を見、母は感想を聞いてくる。
そんな評定聞かれてもなぁ。褒め言葉が思いつかない。
「正直に言っていいかな?」
「いいわよ」
傷つけないように前置きしたが、母は自信ありげに頬を吊り上げる。
承知はくれたので、俺は思ったことを率直に述べる。
「スタイル抜群で外見では文句なし。だけど雰囲気というか、あまく言い表せないけどなんか無理してる感じがある」
俺が寸評を述べ終えると、母は軽いため息を吐いた。
「みんな、似たこと言うのよね」
「え?」
「写真を撮ってくれた人も雑誌の編集者さんも、グラビアを見慣れた人はみんな、無理してるとか演技感が出過ぎとか言ってたわ」
「そうなのか……」
「それを見抜いたってことは、りくとはグラビア沢山見たことあるのよね?」
「…………」
悲しきかな、返す言葉もありません。
俺が顔を逸らし黙りこくっていると、母は最後と言って置いた雑誌を持ち上げじっくり見てから微笑んだ。
「お母さんね、ずっと人気出なかったんだよ。93-59-95でスタイル抜群なのに」
自賛しちゃうか、しかしそれは過去の光輝だろ。今は良く見積もってウエスト60センチ後半ぐらいだろうな。
「売れなかったのは、りくとの言ったことが理由でしょうね。でもね最後のは自分でも満点なのよ」
微笑を湛えて母は手に持つ雑誌の見開きを俺に見せる。
明白な差だった。
無理してる感じのないあだっぽい表情、今にも動き出しそうな躍動感、そして決め手は熱っぽい両の瞳。単なる四つん這いのはずなのに妙にそそられる。
「それを撮ったときには引退するって決めてたのよ。まだ五年目なのに早いよ、って周囲からは止められたけど自分の力量と限界を痛感しちゃったのよ。撮ってくれた人や編集者さんにも褒められた。でももうこの時まことさんの事が好きで付き合えるなら付き合って結婚までいきたいなって思ってたから、これを最後にして引退したの。そしてまことさんに猛アタックしたのよ」
しみじみと語り終えて母は雑誌をテーブルに置いた。
俺は黙って母の話を聞いていた。
「だからこそ、りつなに頑張って欲しいの。あの子にはグラビアの才能があるわ、人気のなかった私なんかの見立てだけどね。私の夢を押し付けてるみたいだけど、りつなにはトップグラドルまで目指して欲しいの、だから私が教えられることは教えていくつもり」
母の瞳から燃えるような意思を感じた。
俺はあえて口を挟まず、湯呑みに手を伸ばす。
「このままりつなにグラビアの教養を教えてもいいかな?」
「俺に聞くな」
言いながら湯呑みを気持ち傾け、すっかりぬるくなったお茶を啜る。
ん?
口内に含んだお茶の異質な味に、湯呑みを咄嗟に口から引き離す。
舌に粘りつくような強い甘味、なんだこれ?
「おい、この中に何を入れた?」
訳がわからず脅すような口調で、母に真相を求める。
突如の俺の剣幕に驚いた気振りもなく、母はしれっと答えた。
「ガムシロップを三つと蜂蜜をスプーン五杯、それと角砂糖三つ」
「緑茶に無駄な物を混ぜるな。これが紅茶だったとしても甘味料入れすぎだ」
「ふふっ、甘くてほっぺたが落ちちゃうわねぇ」
感じ入るように頬を緩ませた笑顔で、母は言った。
付き合い切れなくて俺は立ち上がる。
「あら、りくと。お茶飲まないの?」
「そんな甘さの極致みたいなの飲めるかよ。というかそんなに糖分とるから若い時より太ったんだろ」
「ひどいわ、りくと。お母さんはりくとの身体のためを思ってわざわざ……」
「そんなの飲んだら急性糖尿病になるだけだわ」
言い過ぎてしまったか、ついに母の瞳がうるうるし出したので俺は居たたまれなくなりリビングを逃げ出した。
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