6-20:IT'S A BIT SAD.ーそれは少し寂しいなー

「ぼうっとするな。すぐに立って右に二歩分跳べ」


 雪みたいに真っ白な髪と、細い腕。

 黒いローブの縁は金に彩られている。

 向こう側が透き通ってしまいそうな薄い刃の剣を持ったそいつは、淡々とした声でそういった。

 ムカついたけど、急いで立ち上がり、言われたとおりに跳ぶ。

 すぐにあたしが尻餅をついていたところの地面から、針のように鋭くさせた触手が伸びてきた。


「魔物は相手に合わせて体を変異させる。油断をすると死ぬぞ」


 血みたいに真っ赤な瞳で、針のように細い瞳孔を魔物にしっかりと向けたままそいつは剣を地面に突き立てた。

 剣を刺したところから左右にヒビが伸びる。それと同時に魔物が絹を切り裂くような鋭い悲鳴を上げて体を仰け反らせた。


オレも万全の体調ではないが……職員と生徒たちの安全を考えた結果、戦闘の補助程度なら問題ないと判断した」


 地面のヒビからは、苦痛から逃れるように触手が幾筋も這い出てくた。思わず後退りするあたしに向かって、「逃げるな」と言ってくる。

 男は無表情だから何を考えてるのか全然わからない。

 大きなつり目と細い顎、それに全体的に華奢な体のせいで最初は女かと思った。でも、話す声が低いし、喉仏もあるから、たぶん男……でいいと思う。

 どこかで見たことがあるな……って思ってたけど、わからない。白髪の男はシャンテの方を見て、目を細めて首を少しだけ傾げた。


「見覚えがある気がするが……まあいい。オレは任務を遂行するだけだ。そこの弓を持った生徒」


「あ、ああ」


 大きくはないけれどやけに通る声。魔石を通した声みたいでなんか不思議な感覚がする。

 驚いたような、戸惑っているような声でシャンテが応じると、白髪の男は魔物の傘の中心を指差した。


「この金髪の娘があそこに切れ目を入れる。一瞬だけ魔物の核が露出するので君が撃ち抜け」


 涼しい顔をしてるけど、こいつはカティーアよりも無茶を言う。

 シャンテが弓を引いたのを見て、白髪の男はもう一度あたしを見た。


オレが触手を全て落としてやる。君は全力であの傘の下をたたき切れ。剣は……そうだな、これを貸す」


 腰にぶら下げていたもう一つの鞘から、白髪の男は剣を抜いた。

 渡された剣は、重いけれど柄の部分が吸い付いてくるように手に馴染む。


「これより三名で特級危険な魔物の討伐任務に移る。剣士二名はただちに魔物と近接戦闘を開始する。オレが魔物までの道を切り開き、もう一名の剣士が核を露出させ、後衛の弓兵がそれを穿つ」


 背中をそっと押された。白髪の職員と共に走り出す。


「戦闘開始。行くぞ」


 あたしたちが前に進み始めると、大人しかった触手が束になって目の前に迫ってくる。さっきの白髪の言葉を信じて、あたしは剣を構えたまま走り続ける。

 言葉の通り、あたしを狙ってくる触手は、後ろにピッタリと着いてくる白髪が切り落としてくれた。

 最初にツッコんだときよりも息が上がらない。

 重い剣を振り上げて、体を捻る。


「思い切り振り抜け」


 言われた通り、大きく腕を振って剣を振り抜くと、剣の半分くらいが魔物に突き刺さる。さっきみたいに飲まれるかと焦ったけれど勢いの付いた重い剣は止まることなくそのまま魔物の体を切り裂いた。

 慣れない剣の重さに足下がよろめく。普段は軽い剣ばかり使っているので、こんなに反動があるものだとは思わなかった。

 前につんのめって自分が切り裂いた魔物の傷痕に飛び込みそうになる。これじゃあシャンテが核を打ち抜けない。


「撃て!」


 さっきまで淡々と静かに話していた白髪の男が、大きな声を出した。

 あたしの腹部を抱えるようにして白髪の男が横に引く。

 風切り音が近付いてきて、鉄の匂いが微かにした。


 後ろに倒れたあたしには、消滅した魔物が見えなかったけど、魔物の断末魔はしっかりと耳に届いた。

 代わりに、頬に一筋の赤い線が刻まれた白髪の男が目に入る。あたしがミスったから傷を負わせてしまった。


「特級の魔物は本来、白鎧十名ほどで対処するものだ。君は……剣の構えも型もめちゃくちゃだが、悪くはない立ち回りだった」


 あたしの手を引いて立ち上がらせた白髪は、それだけ言って背を向けた。


「大丈夫だったか?」


「おう!」


 額の汗を拭いながらシャンテが駆け寄ってくる。その後ろでスタスタと歩いていた白髪をジェミトが呼び止めたのが見えた。

 さっきから雰囲気が妙だなと思っていたけど、もしかしてあたし以外のやつらは、こいつのことを知ってるのか?


「セーロス……久し振りだな。弟たちを助けてくれて感謝する」


 名前を聞いて、アメリアが描いた似顔絵を思い出す。

 確かに面影はある……女みたいに睫毛をバサバサ描いていたことにも納得出来る。

 呑気なのはあたしだけで、ジュジもカティーアも、ジェミトも魔物を倒したってのに表情が晴れない。

 魔物が居たときの方が表情が明るかったんじゃないか?


「……どこかで会ったか? 職員の知り合いはオレにはいないはずだが」


「な……」


「すまない。英雄カティーアほどの男ではない限りオレは他人の名も顔も一度で覚えられるほど興味が持てないだけだ。君の存在感が至らないというわけではない」


 表情を変えないままそう告げたセーロスが、頭を下げる。ジェミトは大きな溜息を吐いて胸に手を当てている。どういうことだ?

 首を傾げていると、顔を上げたセーロスの顔がカティーアを捉えた。

 こっちに聞こえてくるくらい大きな声で「げ」と言ったあいつは、魚の肝苦いものでも食べたみたいな表情をしている。


「お前は……見たことがある……気がする」


 目を見開いたセーロスが、カティーアの方へ数歩歩み寄る。両頬に触れるために伸ばしたらしき両手は、同じだけ後退りしたカティーアのせいで虚しく空振りする。


「ああ……あの……そうですね私は本塔の方で研究をしているので、そこで見たことがあるのだと思います。ヘニオ様と共に倒れた貴方の検査にも立ち会いました。きっと珍しい事態だったので、その時のことをたまたま覚えているのでしょう」


「……本塔……か」


 早口でまくしたてるカティーアの言葉に、セーロスは納得していない様子だった。

 首を傾げながら数歩前へ出ると、その分カティーアも後ろへ下がる。


「光栄だなあ大英雄カティーアに変わって魔法院を守護する白鎧の方に覚えてもらっていただいてるなんて」


 カティーアが大英雄の名を出す。それを聞いたセーロスは前へ突き出すようにしていた両腕をさっと引っ込めて、胸の前で腕組みをする。小さな声で「ふむ」と頷くと、もう一度カティーアを頭の先から爪先までを舐めるようにじっくりと見つめた。

 今まで見たことが無いくらい不安そうな顔をしているカティーアはめちゃくちゃおもしろかったけど、余計なことを言うと本気で怒られそうなので唇を噛んで笑うのを耐える。


オレに出来るのは戦うことだけだ。後の調査は学者に任せる。ヘニオ様の大切な財産である学院カレッジの生徒の保護、ご苦労だった」


 辺りを見回して、それだけ言ったセーロスは校舎の中へ戻っていった。

 セーロスは、妙な緊張感を生むらしい。あの白い髪をした男の背中が見えなくなると同級生ガキ共も含めて、中庭にいたあたし以外の一同が同時に大きく息を吐く。

 魔物も消えて一気に気が緩んだのか男子も女子もざわざわとセーロスがかっこよかったとか、魔物がすごかっただとか口々に騒ぎ出す。


「さて……セーロスあいつの言うとおり及第点だ。後は俺とジュジで調査をする。お前らはジェミトと一緒に校舎に戻っておけ」


 肩を叩かれて、カティーアがいつのまにか近くにいることに気が付く。気配を殺して近付いてくるのをやめろ。

 騒ぐ生徒ガキ共の方をめんどくさそうに目を細めて見たカティーアは、左右に肩を揺らしながらジェミトの方へゆっくり歩いて行く。


「金髪! 後でなんで白髪セーロスにビビってたか教えろよな」


「……ああ、後でな」


 遠くなる背中に悪態を吐いた。また怒るかな? そう期待していたけど、あいつは後ろを振り向きもしないで片手だけ上げて雑に返事をしただけだった。

 マジでビビっていたわけではないと思うけど、セーロスはそんなにヤバいやつなのか?

 まだわからないことがたくさんある。

 カティーアはジェミトと話し終えると、魔物の残骸の方へ戻っていく。

 黒い体は崩れて、あたしが切った裂け目からは紫色の粘液が溢れて水たまりを作っていた。


「僕も剣の腕に自信はあったが……魔物があんなに手強いものだとはな」


「いやあ、驚いたねぇ。実戦経験の差がここまでとは思わなかった」


 ジェミトに話しかけようとしたけれど、ラソンとリイアンに掴まった。

 二人に肩を寄せられ、あたしとシャンテはそのまま他のやつらにも囲まれる。

 どこで剣術を習ったのかとか、怖くなかったのかとか一気に聞かれて目が回りそうになる。


「あたしは……シャンテを信じてたから怖くなかったぜ」


 隣にいるシャンテの肩に肘を乗せて寄りかかる。

 魔物と戦ったことがあると答えても面倒くさいことになりそうだし。

 驚いたように目を丸くしてあたしを見るシャンテと目が合った。それと同時に背後がザワッとどよめく。


「ヒュー! 兄妹の絆ってやつか?」


「バカお前……シャンテは」


 一際大きな声で騒いだのは、緑色のラインが入ったヴァルナ寮の男子だった。

 どういうことだ? と問い詰める前に、リイアンの一つにまとめた山葡萄色の髪があたしとそいつの間に割って入った。


「ほら! 何があるかわからないからさっさと校舎に戻ろうぜ」


 大きな声でシャンテがそう言うと、騒いでいた男子たちは「そ、そうだな」と慌てた様子で頷く。あたしと目が合った数人には露骨に目を背けられた。

 不思議だなと首を傾げながら歩き出すと、ぬっと壁のような黒いローブが視界を遮る。この細身ででかいのはラソンか……と視線を上げると、きつね色の髪の間から覗く青い眼があたしを見ていた。


「フィル、その、このようなときに頼むのもなんなのだが……」


「どうした?」


「アメリアの恋愛相談……もし聞いたら、僕に教えてくれないか?」


「はあ?」


 大きな声で返してしまって、白い肌が見る見るうちに薔薇色に染まっていくラソンを見てやっと気が付いた。

 そうか、恋の病。そういうことか。


「あ……ああー。そういう……なるほどな」


 こいつはアメリアが好きなのか!

 肩を組んでいたシャンテから離れて、あたしはラソンの胸板に肩を押しつけるようにして優しく体当たりをした。

 リイアンが言っていた恋の病が流行ってるってのはそういうことか。


「出来る範囲でだけどな。任せておけよ」


 肘でラソンの脇腹を突くと、照れくさそうに鼻の横を人差し指で掻いて小さな声で「よろしく頼む」と呟いた。

 他人の恋愛事情をおもしろいというアメリアの気持ちが少しだけわかった気がした。


 それからシャンテの隣へと戻る。

 そういえばリイアンは、恋の病がって言ってたな。

 シャンテも、もしかして誰かを好きなのか?


 楽しそうに笑いながらリイアンとじゃれ合っているシャンテの横顔を見る。

 長い睫毛は、伏せれば頬に影が落ちるほど長いし、透き通るように低くて滑らかな肌は石膏で出来た像みたいだ。

 華奢だけど少し骨張っている腕には、よく見るとしっかりと筋肉がついているし、女みたいにきれいな顔をしているけれど喉仏が自己主張をしている首元を見るとこいつが男だということがわかる。

 声も、甲高くなくて、ジェミトに似て柔らかくて落ち着く低いだし……こいつに恋をされた女は、好きだなんて言われたらすぐにポッと頬を赤らめて頷いてしまうんだろうなと思う。

 ああ、でも……そうなるとあたしとはあまり遊べなくなるのか。それは……少し寂しいな。


「なんだよおもしろいこと話してるなら、あたしも混ぜろよ」


 少しだけ胸のあたりがぎゅうっと苦しくなった。

 それを誤魔化すように、あたしはシャンテの背中に飛びかかるようにして抱きついた。

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