6-18:LOVE IS AN ILLNESS!?ー恋は病!?ー

「そういやぁ、アメリアちゃんがジュジ先生に言ってたのを聞いたんだけどさ……恋の相談ってなんだと思う?」


 リイアンの言葉の後に、「ば!」という大声が聞こえて振り返ると、ラソンが顔を耳まで真っ赤にして、口元に手を当てていた。


「なんだよ、朝の話、聞いていたのかよ-」


 あたしが立ち止まった二人を追い越して振り返りながらそういうと、シャンテが僅かに眉をひそめてあたしたちの顔を見ながら首を傾げる。


「なに? おれの知らない話?」


「朝、金髪フリソス先生が来てたから女子が騒いでただろう? オレも通りがかった時に、ちょうどアメリアがジュジ先生に恋の相談があるんですのって話しかけてたのを聞いたのさ」


 アメリアの言葉を言ってみせるときに背中をシャンと伸ばして、裏声になるリイアンをラソンはじろりと睨んだ。それをめざとく見つけたリイアンは、ラソンに顔を近付けながら目を細めてニコニコと楽しそうに笑う。


「おお? 幼馴染みの恋心に興味シンシンってワケかい?」


「あいつもそんな年頃なのかと驚いただけだ」


 大きな咳払いをしたラソンは大股でせかせかと歩き出して、あたしたちを追い抜いていった。

 それをうきうきしながら追いかけたリイアンは、追いついたラソンに耳打ちするようなポーズをする。


「強がり言うなってぇ。ヴァルナ寮にも恋の病が蔓延して来たねぇ」


「へ? 恋ってやつはやっぱり病気なのか?」


 そんなこと聞いたこと無かった。ということは、アメリア曰くジェミトに恋をしているってあたしも病気になっちまったってことなのか?

 咄嗟に、腕を伸ばしてリイアンの腕を掴んでいた。


「ちがうちがう。例えって奴だよ」


「脅かすなよ!」


 あたしの手をそっとほどいて振り返ったリイアンは、肩を竦めながらからかうような笑みを浮かべた。


「なんだよフィル。びっくりしたってことはおまえも誰かが気になってるってワケかい?」


「そ、そんなことない」


 明るい緑色をしたリイアンは目を細めてあたしの隣へ向ける。見られたシャンテは露骨に顔を背けると、グイッと強めの力であたしの腕をひっぱるから思わずよろけそうになった。


「フィル、行こうぜ」


 仕方なく「じゃあな」と言って腕だけ上げて、大股でせかせかと初等部の学舎へ向かうシャンテに引きずられるようにしてリイアンたちと別れた。


「青春だねえ」


 そんなリイアンの声が背中に聞こえたけど、それよりもシャンテがなんで拗ねてるのか全然わからなくて、あたしはこいつの肩を掴んだ。


「何拗ねてんだよ」


「……いや、拗ねてるわけじゃねーけど」


 一瞬睨まれた気がして首を傾げると、シャンテは気まずそうに目を逸らして鼻の横を人差し指で軽く掻いて小さく溜息を吐いた。

 それから「ごめん」と言って歩く速度を落としたので、まあいいかと許してやることにした。

 あたしたちの隣を初等部の生徒たちちびどもが駆け抜けていくから、ぶつからないようにしながら目的の教室まで歩く。

 初等部の生徒たちちびどもは、どいつもきれいな服を着ている。ボロボロでみすぼらしい見た目じゃ無いし、髪の毛もぼさぼさじゃないし、シラミなんていなそうだ。

 なんとなく、少しだけ胸の中がモヤモヤとして、腰に下げてある姉さんが入った小さな鞄に触れた。

 姉さんは字も読めた。神様がこの世界を作った話を覚えてきた日は、あたしにこっそり話して聞かせてくれた。母様の目を盗みながらだったから、姉さんがあたしに話を教えてくれる機会は数えるほどしかなかったけど。


「そういや、さっき言ってた恋の相談ってアメリアがするのか?」


「ああ、ジュジに聞きたいんだとさ」


 シャンテに話しかけられて、我に返る。

 深い水の底に沈みそうになった気持ちを切り替えたくて、シャンテからする春の森みたいな良い匂いに意識を向ける。こいつやジュジといると、腹の中にある暗い気持ちが少しだけやっつけやすくなるから、多分一緒にいて楽なんだと思う。


「あのさ」


 真面目な声でシャンテは話しかけてくる。

 大して寒くもないのに指先が震えそうになって拳を握り込もうとしていると、手に温かいものが触れた。シャンテの手だと少ししてから気が付く。

 そっと指を絡められて、どうしたのかと思ってシャンテの顔を見ようとしたけれど、こいつはあたしの顔を見ないまま早足で進んでしまう。


「おれは、お前がなんで苦しいのかわかれないけど、それでも」


 ぽつぽつとシャンテが前を向いたまま話す。

 周りはうるさいけど、シャンテの声だけが浮いてるみたいにはっきり聞こえた。


「苦しいとかつらいときに、呼んでくれたら飛んでいくから」


 シャンテの手に力がこもった。痛くはない。

 胸がモヤモヤしたのは、苦しいとかつらいってことか……となんとなく腑に落ちる。

 空いている方の手で頭をワシワシと掻く。少し言葉も覚えて、色々考えられるようになったつもりだった。

 でも、あたしはまだ自分のことすらわからないことがたくさんだ。


「ありがとな」


 手を引いて、返事をすると、やっとシャンテがこっちを向いた。

 ジュジに似た深い緑色の瞳に、姉さんにとてもよく似た少女が映っていて、穏やかな表情をしている。

 それが、自分自身だと気が付くのに少しだけ遅れて、それから視界が歪む。


「わ……どうした」


 頬が濡れる。ポタポタと小さな音を立てて、ローブの上に滴が落ちて小さなシミが出来た。

 慌てて目元を指で拭われて、目元に手を当てて、やっと自分が泣いているって気が付いた。ぐいっとシャンテに頭を抱えられて、そのまま少し低い位置にある胸に顔を押しつけられる。


「……わかんねえ。ごめん」


 それだけなんとか呟いたあたしの背中にシャンテが腕を回した。

 涙はどんどん出てきて、緑色のラインが入ったローブに吸い込まれていく。周りにいた子供ガキ共はいつのまにかいなくなってる。

 静かになった廊下で、授業を開始するための鐘が鳴ったのが聞こえた。


 背中をさすられて、小さな頃に戻ったような気持ちになる。ああ、あたしは弟のことを……こんな風に慰めてやれなかったな。

 あの子にとっては、あたしが姉さんなのにな。もっと……あたしが強ければよかったのに。ごめんな。

 馬小屋で姉さんラクスに殺されてしまった名も無い弟をいつか弔ってあげよう。それに、村の人のことも。

 そんなことを考えられるようになっていることに自分で驚いた。けれど、前みたいに自分を気持ち悪いとは思わないで済んだ。


「悪い。このまま……」


 言葉がうまく出てこない。顔を上げられないままなんとかそれだけ言葉にする。

 せっかく名前を覚えたウィロウ先生には悪いけど、今日は授業に出られそうもない。


「場所、移そうぜ。歩けるか?」


 あたしが頷くと、シャンテはあたしのことを抱き上げた。

 肩に手を当てて、膝の裏に腕を入れながら持ち上げられるのはなんだかむず痒い。ジュジがカティーアによくされている抱き上げられ方だ。

 顔を上げずに済むのでありがたい。


「マジでお前は頼りがいのある親友だよ。……ありがとう」


 なんとか顔を上げてシャンテの顔を見る。でも、うまく笑えなかった。溢れてきた涙を隠したくて、あたしはまた胸に顔を押しつける。


「……おう」


 短い返事をして、シャンテは歩き始めた。心地よい温かさはジェミトと添い寝してる時に似ていて、涙はどんどん目から零れてくる。

 あたしだけ、こんな思いをして良いのか?

 あたしも、弟や姉さんみたいにちゃんと死ななきゃいけなかったんじゃないか?

 頭の中で母さんが「お前だけ良い思いをして図々しい。ラクスを犠牲にしてよく笑っていられるな」と叱咤する。


「ジェムみたいにうまいことは言えないんだけどさ、それでも」


 草の匂いを風が運んできた。熱を持っていた頬と耳がひんやりとして、外に来たんだなってわかった。

 目元を袖で拭ってから顔を上げると、初等部の校舎裏にある小さな農園の近くだった。

 シャンテに降ろされて、そのまま白木造りのベンチに並んで腰を下ろす。


「フィルに出会えておれはすごくうれしいし、フィルにたくさん笑っていて欲しい」


「あたしは……でも、弟を見捨てて……姉さんも犠牲にした。あたしだけ」


 また泣きそうになる。

 シャンテから目を逸らして、自分の膝を見る。太腿に置いた両手を握りしめながら言葉を探す。

 弟を見捨てたことは、話したことがなかった。これを聞いて幻滅されたら友達でいてくれなくなるかもなって気が付いて少しだけ唇が震える。


「おれは、お前の姉さんのこと実際には知らないけどさ」


 握りしめた両手の上に、シャンテの手が重ねられる。

 細いけれど、骨張った指が、あたしの拳を優しく包む。


満たされる者フィルって名前をくれたくらいだから、お前に笑って欲しいと思ってくれてると思うよ。死んだ自分や……弟の分まで」


 驚いて顔を上げる。

 眉を寄せて、真剣な表情をしているシャンテと目が合った。

 幻滅されずに済んだ。さっきまでざわざわしていた胸の辺りがスッキリした気がして、体の中に溜まっていた重いものがどこかへ消えてしまった気がした。

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