6-10:False identityー潜入するー
「ジェミト先生、よろしくお願いします。私たちも新しく今期からここで働くことになったんですよ」
金色のラインが縁に入った黒いローブを着たジュジが、そういって小首を傾げて微笑んだ。
晴れやかな橙色の
カティーアに「
規則の為、魔法使いでは無いオレも、黒いローブを着ることになっているが……こういった首元がカッチリした格好は慣れなくて落ち着かない。
詰め襟のボタンを外しながら、わいわいと賑わう室内へ目を向けた。
先ほど誰かが話していたのだが、どうやら
ヘニオと話し合った時期がちょうどよかったのだろう。オレたちは特に目立つこともなく、この場所へ紛れ込むことが出来た……と思いたい。
「私はジュジといいます……」
新しく働く同期ということで、オレとジュジ、カティーアとその他数人の職員たちが横並びになって自己紹介をしていく。
一番入り口近くに立たされていたジュジの緊張した面持ちを見て、微笑ましく思っていたが、すぐに自分の番が来てしまった。
「ええと、オレはジェミトといいます。東の大陸出身なものでこちらには不慣れですが、よろしくお願いします」
コホンと咳払いをして、不自然では無い程度に自分のことを話す。
戦闘とはまた違う変な緊張感で嫌な汗を背中にかきながら、オレはなんとか短い一言を述べ終えた。額の汗を拭っている間に、カティーアが自己紹介をするようだ。普段のあいつを知っていると、本当にこいつ
が他人にものを教えるだとか、集団生活をしているというのが信じられない。どんなことを話すのか気になって、オレはカティーアの方へ視線だけ向けた。
あいつも、規則を守って真っ黒なローブを羽織っている。腕を持ち上げて金色の少し癖のある前髪をかき分けたカティーアの右手首には、水色や白の淡い色の小石を編み込んだアクセサリーがいくつも付けられていた。
「カティーアだ。まあ、よくある名前なんで
自己紹介はカティーアが最後だったらしい。気怠げに溜息を吐いたカティーアが自分の席へ戻ると、並んでいた面々もその場を離れ始める。
オレたち以外は、学院に生徒として在籍していたものが多いらしく、勝手を知っているというような振る舞いだ。
それにしても、こうも堂々と本名を言われるとなんでかオレの方がドギマギしてしまう。
「英雄の名前に驚いているのかい? 私も英雄から名前を取った口でね」
「え、ええ。オレの故郷でもカティーアの名は聞いたことがあるので……」
「ははは。西の大陸ではありふれた名前だからね。私なんてカティーアと呼ばれたことよりもあだ名で呼ばれたことの方が多い」
カティーアという名が多いのは本当らしい。
どこか落ち着かないオレのことを気遣ってくれたのか、おだやかそうな初老の男が話しかけてきた。
「私は
どことなく上品さを感じさせるこの紳士は、そう言って少しおどけるような口調でそう言った。
明るい褐色の髪と緑がかった瞳も相まって、確かにしっくりくるあだ名だなと納得してしまう。
「あと、挨拶はなかったけど今期からは塔にいた兵士さんが剣術を教えるらしいねえ。ほら、ちょうど院長の後ろを歩いてる……」
ウィロウさんが細い枝のような指で示した方向は、オレたち職員が待機している部屋の外だ。
少し遠くに見える渡り廊下を颯爽と歩く銀髪の女が見える。新雪のようなローブをはためかせているあの女がヘニオだろう。その後ろを、見覚えのある白い髪の男が突いていく。ピンと背を伸ばした姿勢と隙の無い歩き方は確かに戦いを心得ている者の動きだ。
「げ」
「
「ああ、いや、羽虫がこちらに飛んできて思わず驚いただけだ。気にしなくて結構」
近くに立っていたカティーアが、露骨に眉間に皺を寄せて大きな声を出した。首を傾げたウィロウさんに話しかけられると、スッとなんでもないような表情に戻って、問い掛けに素っ気なく答えて視線を逸らす。
あいつのお陰で、オレも嫌な顔を浮かべていたことには気が付かれなかったみたいで少しホッとした。
「あの兵士さんは、ちょっと前に酷い大怪我をしたらしくてねえ。完全に怪我が治るまでの間、ここで剣術の指導をするらしい」
窓際に置かれている
大怪我をした……多分オレたちがやったやつだよな? 内心ぎくりをしたのを悟られないように、なんとか笑みを付くってオレは首を縦に振った。。
「た、大変なことがあったんですね」
「魔法院で一番の兵士さんって有名でね、白鎧の中でも一番強いってのに、大怪我をするなんてなにがあったんだろうねぇ」
「ええと、すみません。白鎧ってのは?」
「ああ、東の大陸では知られてないのか」
穏やかに微笑むウィロウさんが、窓の外にいる兵士を指差した。青く染められた胸当てを付けた兵士たちが塀の外を走っているのが見える。
「魔法院には青・褐色・灰色・白と階級があるんだよ。青は鎧を着けてるのもローブを着てるのもひよっこの証。逆に白は精鋭の証ってわけだ。白いローブは英雄カティーア様にしか身に付けられない憧れの色……ってわけだよ」
「なるほど。じゃあ、オレたちが着ている黒の」
「ああ、私たちが来ている黒いローブは
オレの疑問に、穏やかな笑みを浮かべながらウィロウさんが応えてくれる。魔法院で働いているやつは全員いけすかないやつかと思っていたが、この人とは仲良くやっていけそうだ。
「鎧の色は、金か血筋があれば戦果が無くとも手に入れられる。あまり持ち上げすぎるのもなぁ……?」
ウィロウさんの言ってることが気になったのか、机の上から顔を上げたカティーアが横から口を挟んできた。
「そうはいってもねえ……大英雄カティーアは別格にしろ、白鎧も私たち平民あがりからすれば憧れるもんさ」
カティーアの棘のアル言い方にも、ウィロウさんはにこにこと穏やかに返すだけだった。ウィロウさんはどうやら平民あがりというものらしい。ここで働く上では珍しかったりするのだろうか?
色々と気になることを聞こうとしたが、ちょうど良く時刻を知らせる鐘がよく響く低音で鳴り響いた。
「低い鐘の音だね。さて、私はそろそろ行くとするよ」
定刻を知らせる低い鐘と、授業開始を知らせる甲高い鐘が使い分けられている。間違えないようにと先ほど説明をされたのを思い出す。
「さて、じゃあ
手にしていたゴブレットを机に置いたウィロウさんは、小さな鞄を小脇に抱えて立ち上がった。
ウィロウさんと同じように、初等部を担当するであろう教員たちがパラパラと部屋から出て行くのを見送ると、カティーアは両腕を上に伸ばして大きな欠伸をしながら立ち上がる。
「じゃあ、ジュジを頼む」
オレの肩をぽんと叩いてから、カティーアも背を丸めて気怠そうな足取りで部屋を出て行く。
他の職員も次々に部屋から出て行って、この場に取り残されたオレとジュジは顔を見合わせてから部屋の扉へ目を向けた。
「あんたらが新任のジェミトとジュジ? 学院長室に案内するんで
ちょうどよいタイミングで開いた扉から一人の男が入ってきた。ひょろりとした細身の体躯をした男は、背中を丸めているから小さく見えるが、きちんと姿勢を正せばオレと同じくらいの身長はありそうだ。
栗色の髪は男の目元を隠すほど長く伸ばされているせいで男の表情は読めない。前髪の中に一束だけある白い毛束は、染めているのか天然のものなのか判断がしにくい。。
こっちの大陸では染髪は貴族がする娯楽に近いものだと聞いたこともあるが……貴族がこういった雑用をするなんてことはないだろう。変わった髪だな……と思っていると、先にジュジが男へ向かって声をかけた。
「えーっと……あなたは?」
「ネスルっす。
ジュジにそう聞かれて、猫背の男はネスルと名乗りぺこりと頭をさげた。
簡単な挨拶を済ませて、彼は足早にオレたちを先導していく。
「学院長、新任の二人をお連れしました」
よく磨かれた木製の扉をノックすると、中から朗らかな声が聞こえた。
「ネスルくん、助かるよ。では、二人とも中に入ってくれるかな」
恰幅の良い壮年の男性が扉を開いてオレたちを出迎えてくれた。学院長と呼ばれたその男性は、額の汗を袖で拭いながらオレたちへ笑顔を向けて、部屋へ入っていく。
ジュジと同じくらいの背をした学院長は、広くなってテカテカとした額を頻繁に袖で拭いながら、革張りの長椅子へ腰を下ろす。
「どうぞどうぞ。立って話すことでも無いからね」
長椅子を挟んで、学園長と向かい合う位置にある椅子に座るように促されたオレたちが座ると、背後で扉の閉まる音がした。ネスルが部屋を離れたのだろう。
「ええと……ヘニオ統括殿から
長机の上に学院長が書類を広げている。置かれた書類に目を通しながら、学院長はヘニオが用意したオレたちの偽りの身分を読み上げた。
「ああ、ジェミトくんは噂の新入生のお兄さんか。あの二人、編入試験の身体能力検査ですごい点を出したとか。いやあ期待してるよ」
どことなく胡散臭さを感じる笑顔を浮かべて、学院長は腹をゆさゆさと揺らした。
社交辞令の入り交じった雑談を少し交えたあと、学院の地図を広げられ、簡単な設備の説明を受ける。
オレとシャンテだけではなく、フィルも親族ということにしたのは、寮で同室になるためだと思っていたが、どうやらそれとは関係がなかったらしい。
オレは職員用の寮へ部屋を用意されたし、フィルとシャンテはそれぞれ別々の寮へ入ることになった。
「我が学院は生徒の編入試験の結果や、本人の気質を込みでどの寮に入るのか決めているのでね。社会性を養う為にも寮では同性の二人で部屋を共用してもらうことになっているんだ。……これは保護者に渡す覚え書き。目を通しておいてくれたまえ。ええとそして……」
学院長は木の板に文字を刻んだものをオレに手渡してから、手元の羊皮紙へ再び目を落とす。
空けた穴に革紐を通しただけの簡易的な冊子になっているものを捲って、手を止めた。
「ジュジさんは本塔の研究室にも出入りすることがある……と。そんな優秀な方が
額の汗を拭って、学院長はジュジに笑顔を向けて手を差し出した。首を傾げながらその手を取ったジュジの手を握り返した学院長は、冊子を閉じて脇へ抱える。
「ジュジさんは歴史担当の
「よろしくお願いします」
頭を下げたジュジに習って、オレも軽く頭を下げる。
偽の身分を使うと言うことには慣れない。何事もなく済んだことに少しだけドギマギしながら部屋を出た。
それから、最初に案内された職員たちの待機室まで戻るためにオレたちは二人並んで慣れない場所を歩く。
白い煉瓦造りの壁が続く長い廊下は、日が差し込んでいるからかやけに眩しい。
授業が行われているからか比較的静かな廊下を歩きながら、緊張している面持ちのジュジの横顔を眺めた。
オレも緊張した顔をしていると思う。
「なあジュジ」
「なに?」
「お互い、がんばろーな」
立ち止まって彼女の方へ腕を突き出す。
軽く握ったまま突き出された拳に、彼女は遠慮がちに自分の拳を触れさせて「ふふ」っと柔らかく微笑んだ。
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