6-11:Sudden quarrelー拳を交えるー

「なーなーなーなージェミトぉー!」


 学び舎ではなく、学院カレッジという呼び方にも慣れてきたオレは、朝の仕事を終えてから、楽しみにしていた昼食をどうすべきか考えるために壁際に寄りかかっていた。

 生徒たちの中に紛れて、部屋の奥の方に貼られているメニュー表を眺めていると、オレの名を少年のような声で呼ぶやつがいる。

 声のした方を振り返ると、予想通り、そこには背中まで伸びた長い髪をひとつに結んだ制服黒ローブ姿のフィルが立っていた。


学院カレッジでは、ちゃんと先生を付けて呼べよ」


「ええー」


 残念そうな声をあげたフィルは、唇を尖らせて露骨に不満をアピールしてくる。

 オレを見るなり飛びついてこなかったのは、手に白パンと根菜と山羊乳のスープで満たされた木製の食器を持っているからだろう。


「そういや、友達できたか?」


 何を食べるか考えるのはひとまず置いておこう。一人で行動しているフィルに尋ねてみると、ふいっと視線を横に向けた。


「それは……その……さ」


「無理にとは言わねーけど、さ」 


 まあ、こいつは元々人と関わり合うのは上手い方では無いってのはわかってる。だからこそ、寮を抜け出してこっちの部屋に来るようなこともあるんだが……。

 まだこっちへ来て数日だから仕方ないか……。

 そんなことを一人考えながらフィルを見ていると、食堂が騒がしくなった。どうやら、新入生の少年たちが連れだって食堂にやってきたようだった。フィルも入り口の方へ目を向けている。


「シャンテ!」


「……あっちは心配いらないみたいだな」


「どういうことだよ」


 思わず漏れた本音を聞き逃さなかったフィルが、折角逸らした視線を再びオレに向けてきた。苦笑いをしながら誤魔化そうとするも、こいつはオレを睨んだまま不満げに頬を膨らませている。

 シャンテは見た目も良いし、人懐っこいところがあるから、最初から心配はしていなかったが……。不機嫌そうなフィルの機嫌を直すために、オレは腰を屈めて拗ねているこいつと目線を合わせた。


「オレはこれからまだ仕事だ。あいつらと飯でも食ってこいよ」


 髪型を崩さないように気にしつつ、軽くフィルの頭を叩いてから立ち上がって背を向けた。盛大に不満の声を漏らすこいつを無視して、オレはシャンテの名を呼びながら腕を高く上げる。


「ジェミト! フィルも」


「先生、な」


「慣れねーよ。ってなんだよフィル、一緒に飯食おうぜ」


 シャンテはオレの意図を汲んでくれたのか、フィルの腕を引いて友人たちの輪の中へ戻っていく。

 内心ホッとしながら、オレは食堂から出て職員待機室へ向かうことにした。


「仕事があるって嘘は失敗したなー。飯を食い損ねた」


 昼休みは、生徒も職員も同じ時間に与えられる。食事をするためにほとんどの職員が出払っていて、待機室には人もほとんどいない。

 少し後悔しながら、昼飯にありつけなかったことを嘆いていると、目の前に人影が現れた。独特の燻した香草の香りで誰だかすぐにわかる。


「子守りが得意だと大変だなぁ」


 予想したとおり、そこにはカティーアがニヤニヤしながら立っていた。


「食うか?」


 目の前に差し出してきたのは、薄く焼いたパンで煮込んだ果実を挟んだものだった。

 甘い香りが飢えた腹に滲みる。

 パンを手渡したカティーアは、椅子を引いてオレの隣に腰を下ろす。

 頬杖を付いてこっちを見ているカティーアに構わずに、渡されたパンにかぶりついた。

 表面を軽く炙っているパンは、熱々では無いが歯を立てるとサクッと音を立てて口の中でほどけていく。

 甘く煮た果実と香ばしいパンの香りが混ざり合う中で、ほんの少し混ぜられているのであろう香料スパイスの薫りが鼻に抜けていった。


「うっま……」


「だろ? ジュジが作ったんだ」


 少し得意げな表情を浮かべるカティーアの様子に思わず笑みがこぼれる。普段は人を人とも思わない行動をすることもある癖に、ジュジに関しては子煩悩な父親のようなことをする。

 雑談を交わしながら、オレたちが話していると、ちょうどジュジが部屋へ入ってきた。そういえば、二人が一緒にいないなんて珍しいな。

 彼女が右手に持っている木製のトレーには陶器製のポットと小さなカップ載せられている。ジュジは、ニコニコとしながらオレたちのところまで来ると机の上にそれらを並べてくれた。


「私たち、来客と検査があって……。今、ちょうど塔から帰ってきたところなんですよ。昼食はあちらで食べてしまったので」


 そういいながら、ジュジがポットを傾ける。

 甘くて柔らかい花の香りと主に、注ぎ口からは小さくて白い花弁がカップに薄い紅色の液体と一緒に注がれていく。


「腕の絵について、なにかわかったのか?」


 無言で首を横に振ったジュジが、近くにあった椅子を引き寄せて、カティーアの隣へ座った。


「手掛かりなしだ。なんらかの術式が組み込まれていることだけはわかるが……」


 カティーアの言葉を聞きながらジュジは、両手でカップを持って茶を口に運ぶ。

 少しだけ伏せた顔からは、なにを思っているのか読み取れない。だが、良い気分ではないことくらいはオレにもわかる。


「とりあえず、精神や魔力を直接的に操作するようなものじゃないことだけは確かだ。だから、大丈夫」


 オレが言葉をかける前に、カティーアはそういいながらそっとジュジの前髪に触れる。

 こういうとき、支えになるのは特別親しい相手からの慰めだというのは、よくわかっている。下手に慰めるよりは、カティーアに任せた方がいいだろうと判断したオレは茶を冷めないうちに飲んでしまおうと、小さなカップに手を伸ばした。

 浮かんでいる小さな花は、一口飲むとすっきりとした甘い香りだけではなく、味もほんのりと甘い。初めて飲むが、これはかなり好きだな……。後でどこのものか聞いてみよう。

 目の前にいる二人が微笑み合っている二人の邪魔をしないように、黙ってポットに手を伸ばして自分のカップに新たに茶を注いだ。


「ジェミト、お前はどう思う?」


 のんびりと茶を飲んでいたら、急に話を振られて少し驚く。

 オレにわかることなんてないと思うが……と前置きをして、カティーアとジュジになんとなく思っていたことを聞くことにした。


「あのさぁ、その術式ってやつ、オレの身体に刻まれている模様とはどうちがうんだ?」


「似たようなものだ。魔法陣と違って、模様や絵に組み込まれた術は解読がしにくい」


「オレにとっては、お前らがぽわーって浮き出させる魔法陣も似たような絵に見えるんだけどな」


「地域差なんかもあるが、魔法陣ってのは基本的には、自分で妖精とやりとりをしなくても魔法を使える注文書みたいなもんだからな。規則性があるし、コツさえわかれば大体どんなことをしたいのかくらいはわかる」


「よくわからねーが、お前がすごいんだなってのはわかった」


 ジュジは楽しそうに頷いているが、残念なことにオレには何のことだか半分くらいもわからない。拾えたことといえば、カティーアが魔法を使う時に時折現れる光る絵が、魔法陣ってことと、妖精に注文をして魔法が出ているということだけだ。


「あんたは炎狼の力をその模様から借りてるし、俺は近くにいる妖精や、漂っている魔素を使って魔法を生み出してる……ってまあ、細かいことはいいか」


 頬杖をついたカティーアが溜息を吐いて呆れたように笑う。

 何か言い返そうと思ったが、ちょうど良いところで昼休憩の終わりを告げる甲高い鐘の音が鳴った。

 カティーアはカップに残っていた花茶を飲み干して立ち上がると「じゃあ、がんばってくれよジェミト先生」と言い残して、オレに背を向けた。

 ひらひらと手を振ってから、机の上に置いていたカップと、ジュジが使っていたカップの二つを持って部屋から出て行く。

 中身が残っているからってのもあるだろうが、こういうときに自分とジュジのものしか手を付けないというのがあいつらしいなと思わず噴き出すと、席を立ったジュジがオレの顔を覗き込んできた。


「あ、そういえば、来客ってね、ジェミトの村の護衛を請け負っている鬼の一族の次期頭領なの。学院カレッジの見学もしたいってさっき言ってたから、多分、会えば仲良くなれると思う」


 オレに伝言を伝え終えたジュジは、少し先で待っていたカティーアの元へ小走りで向かう。そんな彼女の後ろ姿を見ながら、鬼の一族のことを思い出す。そういえば故郷を出るときはバタバタしていたから、詳細を聞きそびれていたんだった。今回も結局聞けていないけど、鬼ってのはどんなやつらなんだろう。なんとなく大柄で筋骨隆々の男たちかもしれないな……なんて考えながら、オレはまだ残っている茶を飲み干して、背もたれに寄りかかる。

 昼休憩の終わりを告げる鐘が鳴ってからしばらく経ったからか、職員待機室には昼食を食べ終わった職員たちがバラバラと戻り始めていた。


「ジェミトさん、午後に中等部の授業があるんじゃなかったかい?」


 部屋に入ってきたウィロウさんが、机の上に重そうな本を置きながら穏やかに話しかけてくる。

 一瞬間を空けてから、オレは木簡に記されている時間割へ目を落とした。確かに、今日は午後に授業が入っている。


「あ、やべ。ありがとうございます」


 自分以外の受け持ちまで把握してるのか……すごいなと感心しながら頭を下げて、オレは運動場へと向かうために席を立った。


「いってらっしゃい」


 ウィロウさんと他の職員たちの「今期の新人さんたちはみんな元気だねえ」なんて世間話に花が咲いているのを背中で聞きながら、オレは部屋を出た。

 運動場は校舎の裏にある中庭にある。渡り廊下を通って中等部の校舎まで行かなければならないので少し遠いが、まあ早足で向かえば間に合う距離だ。

 目論見通り、授業開始の鐘が鳴る前に目的の場所まで辿り着いたオレは、午後の日差しが眩しく光る中庭に一歩足を踏み出した。

 

「よーーーお! あんたがカティ-アちゃんの言ってたジェミトってやつだな?」


 近付かれるまで全く気配を感じなかった。スッと上から影が落ちてきて、目の前に着地したのは小柄な青年だ。驚いて、思わず上半身を仰け反らせる。

 見慣れない藍染めの布地、それに袖口が開いていて、ゆったりとした変わった服だ。

 服だけじゃ無い。深い藍色に染められた革の額当ては、中心に白い角のようなものが一本だけ飾られている。


「紫の髪、ワンちゃんと同じ色の肌……それに背もデカい! うん、まちがってねーはず」


 ニヤリと片側の口角を上げて不敵に笑う青年は、無造作に波打つ短い黒髪を揺らす。三白眼の中心にある海の底みたいな色をした瞳がギラリと殺気を帯びて輝いた。


「ワン……ちゃん?」


「細けーことはいいだろ。ちょっと遊ぼうぜ」


 言葉を発する暇もないまま、青年が距離を詰めてくる。

 風を切る音をさせて、拳が真っ直ぐにこちらへ振り抜かれた。

 ギリギリで顔を横に反らし、直撃を避ける。

 距離を取るために、後ろへ下がったオレを、少し意外そうな表情で見た青年だったが、脇を締めて拳を顎より少し高い位置で構え直すとニヤリと笑みを浮かべた。


「ったく。素手でやるのは慣れてねえんだよ」

 

 軽く息を吐く。身体を低くして、地面を蹴って前へ進んだ。


「は?」


 小回りの利きそうな立ち回り。キレのある動き。対人戦闘にも慣れていることは間違いない。

 体格の問題で、少しばかりリーチがあるからといって、圧倒的に有利というわけにもいかないというのはオレでもわかる。

 オレが前に進み出たことに驚いたように目を丸くした青年は、自分に向かって直進してくるオレを見て素早く瞬きをしたかと思うと、体を捻りながら素早く横へ飛び退いた。

 避けられることはわかっていた。突進が当たってもよかったんだが……なんて思いながらオレは目的の物に手を伸ばす。

 

「へえ……武器を使うタイプかぁ」


 武器――といってもただの木製の箒だが――を持ったオレを、上半身を僅かに前へ倒して目を細めて見た青年は、自分の下唇を舌で舐めてからニヤリと不敵に笑った。

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