6-8:Watching it growー新たな試みー

「――っ」


 刃が通った場所が、異質な熱を持つ。

 ヘニオの眉が僅かに顰められ、口元から苦しそうな声が漏れた。

 手首から肘に伝った赤い滴が、仄かに光を帯びている繋縛ミイロの書へ滴ると、青い火花がパチパチと乾いた音を立てて羊皮紙に吸い込まれるように消えていく。

 繋縛ミイロの書に記した俺とヘニオの名の上に、蜉蝣の翅を模した刻印が刻まれた。これが契約の発動した証だ。

 ふわりと浮き上がった書は、二枚に増えてそれぞれの手元に飛んでいく。

 契約が発動した繋縛ミイロの書では、後から付け足された文字が赤く表示される仕組みになっている。そのため、都合の良い改竄は行えない。


「これで私たちは、繋縛ミイロの契約で結ばれた」


 咥えていたナイフを左手に持ち直してから机に置いたヘニオは、柄を手巾ハンカチで拭いながら姿勢を正した。

 彼女はジュジをじっと見てから俺の方へ視線を送る。


アルカの娘に刻まれていた呪印を調べるには、魔法院へ来て貰うのが一番なのだけれど」


「相談させてくれ」


 そう言った俺の言葉を聞いて、ヘニオが初めてまともに感情を表に出したような気がした。目を僅かに見開いて、不思議そうな表情を浮かべた彼女に背を向けて、俺はジュジ達の方へ目を向ける。

 魔法院へ来て貰うと聞いて、少しだけ不安そうな表情を浮かべるジュジの横から、ジェミトが身を乗り出して腕を伸ばしてきた。グイッと肩を掴まれて急に引き寄せられたので、ジュジの前に体を倒すように体を傾ける。突然のことに驚いて顔を持ち上げた。


「なあ、魔法院ってのは学び舎もあるんだったよな?」


 耳元に寄せられたジェミトがぼそぼそと話すものだから、吐息が耳にかかって少しくすぐったい。


「ああ、なるほど。ガキ共のことか」


 首を縦に振ったジェミトの表情が少し和らいだ気がした。白角の館ここへ来る前に、フィルとシャンテが共用語の読み書きすらおぼつかないという話をしていたのを思い出す。


「俺たちが魔法院へ滞在する場合、頼みたいことがあるんだが」


「できる限り協力はしましょう」


学院カレッジがあるだろう? こいつらを編入してくれないか?」


 すんなりと同意したヘニオだったが、俺が笑うのを見て少しだけ怪訝そうな表情を浮かべた。変に勘ぐられる前に正直に伝えた方が良いなと判断した俺は、フィルとシャンテの方を指差しながら彼女にそう告げる。

 大人たちの真面目な話にすっかり飽きて、大きく伸びをしながら欠伸をしていた二人は、急に全員の視線が注がれたことに気付いて、目を大きく見開いてこちらへ顔を向けた。

 細い顎に手を当てて、数秒固まったように見えたヘニオだったが、ゆっくりと全員の顔を見回してから小さく溜息を吐く。


「解析が長引くことも考えられることだし……、そうね、そこの二人は学生として編入させることを考えましょう。ついでに、あなたたちにも魔法院で動きやすいような配慮をするので、考えておいてちょうだい」


 そう言ってヘニオはサッと立ち上がると、動く度に揺れる青銀のローブを揺らめかせて、優雅に背を向ける。

 扉に手をかけながら、彼女は洗練された美しい動きで振り向いた。


「話はこれで終わりでいいわね。後ほど、報せを送らせるわ」


 ヘニオが左手で支えている扉の横を通り、俺たちは執務室を後にした。

 俺たちを見送るヘニオの表情は相変わらず無表情で、何を考えているのかわからない。まだ魔法院に居た頃は、もう少し悪辣というか、生きているヒトらしい挙動も取っていたはずなんだがな。

 そんなことを思いながら、扉を閉めようとした彼女を見る。すると、ヘニオはフッと口元を緩めて息を漏らすように笑みを浮かべた。


「最後に、これも教えてあげましょう。お前を支配するために高圧的に接していましたが、私という機構システムは、今その必要性がないと判断しているの。私の正体を明かした以上、ヒトらしく振る舞う必要はないわ」


「……今のあんたでも冗談を言うんだな」


 それだけ言って、俺は彼女に背を向けた。

 少し離れた場所で、心配そうに俺を待っているジュジの隣へ戻って彼女の手を取って歩き出す。


 支配するために高圧的な接し方をしていた……というのは、あながち嘘ではないだろう。

 だが、俺は覚えている。俺が魔法院を出る直前……始祖の六角からの影響が弱まったときに、あいつが一瞬だけ昔の瞳に戻ったのを。

 魂の形は変わっても、多分、あの時のヘニオは完全に消えたという事ではない。そう勝手に思うことにした。


「緊張しましたけど、なんとかなってよかったです」


 彼女の肩を抱き寄せようとしたところで、駆け寄ってきたフィルが、ジュジの肩に手をかけて顎を乗せた。


学院カレッジってなんだよ。あたしたち、酷いひでー目に遭わないだろうなあ?」


 ジュジによりかかり、中腰になりながら歩くフィルは唇の先を尖らせながら俺を見上げる。


「おれはフィルがいるなら平気だけど」


 頭の後ろで腕を組みながらシャンテが言うが、返事もしないままフィルはジュジから離れ、少し先を歩いているジェミトの方へ駆け寄っていく。


「ジェミトぉ! なんか言ってくれよ」


「いいことじゃねーか。学び舎に通って覚えたこと、オレにも教えてくれよ」


 自分の言葉を聞いて口角を下げて唇を尖らせたフィルの髪にジェミトはそっと触れて撫でてやっている。すぐに機嫌を直したフィルは、そのままジェミトの腰辺りに抱きつきながらシャンテとわあわあと騒いでいる。


「シャンテもいるから平気だろ? オレとしてはお前には新しい友達を作って欲しいところだが」


 ジェミトは、シャンテのことを抱き寄せながらフィルにそう応えた。


「そうですよ。きっと楽しいです」


 学院カレッジは、俺も何度か仕事で教師として潜り込んだことがある。

 細かいことはどうなるかわからないが、ジュジにも同世代と関わる経験は必要かもしれない。文字すらまともに読めないこいつらが学院カレッジへ行くついでに、ジュジにももう少し人間が多いところで暮らす経験をさせてやれるのも悪くない。


 俺たちが元いた部屋へ戻る頃には、別棟に施した結界は解けていた。もうすぐここを出ることだし、新たに結界を張る必要もないだろう。

 残り少ない滞在時間は、別棟の広間で全員一緒になってくつろぐことにした。

 ちょうど広間には、食事が用意されている。フィルが薄いパンのような生地で焼いた卵を挟んだものを皿の上に載せて持ってきた。


「それにしても、学院カレッジってどんなところなんだろうな」


「文字も嫌いだけど、算術もあるんだろ? おれ超嫌なんだけど」


 皿の上のものを分け合って食べながら、ジュジとフィル、シャンテの三人は同じ長椅子に腰掛ける。

 どうやら、仲良く学院カレッジについて色々と話をしているようだ。

 アルカの管理区で育ったジュジも学院カレッジについては詳しくない。しかし、アルカたちは生きて働く魔力供給源として学院カレッジや、黒壁内部の魔法研究機関で働かされるため、魔法院に都合の良い歴史や算術、薬草の扱い方については一通り教育を施されていると聞く。事実、ジュジは文字を読むことが出来たし、簡単な薬草の調合や家庭菜園ガーデニングも任せることが出来ていた。


「ありがとうな」


 ジェミトが、そう言いながら俺の隣へ腰を下ろす。先ほどの険しい表情を浮かべていたやつとは別人みたいな人懐っこい笑みを浮かべているからなんだと思ったが、やつの傍らには壁際から引きずって持ってきたのであろう先細りの長い壺アンフォラが置かれている。


「ああ、気にするな。なんでもないことだ」


 ジェミトが木杓を手にしているので、仕方ないなと言う代わりに首を竦ませて、すぐ側にある机からゴブレットを二つ手に取った。

 ジェミトが、先細りの長い壺アンフォラに木杓を入れて、赤みを帯びた橙色の酒をゴブレットに注いでいく。


「あれだけ毛嫌いしていた氷の蛇魔法院の本拠地にオレが行くとはな」


「嫌か?」


「まあ、複雑な気分ではあるが、あいつらが文字や算術を学べるなら、オレの好き嫌いなんざ二の次だ」


 そう言うと、ジェミトは果実酒を飲み干して、シャンテたちへ目を向けた。その表情はとても優しげだ。

 俺に父という存在の記憶は無いが、なんとなくセルセラが似たような表情を浮かべていたのを思い出す。家族の成長を思う大人の表情とでもいえばいいのだろうか。

 それを見て、少しだけ自分のことを省みる。俺は、こいつみたいに素直にジュジの成長を喜べているのだろか。

 正直、ジュジが学院カレッジへ通うことになるなら、不安の方が大きい。手元から離れて欲しくないのが本音だった。

 手元へ視線を落とし思案する。そして、くだらない気持ちを誤魔化すように、手元のゴブレットから酒を呷った。

 喉が焼けるような熱さを感じる。酔いはすぐ覚めるが、一瞬だけ浸れるふわっとした感覚は心地よい。

 小さく息を吐くと、ジェミトが俺の肩を叩く。なんだよと応える代わりに顔を上げた。


「あんた、長く生きてるって割には、人間臭いというか……世俗離れしてないよな」


「どういう意味だよ」


「さっきのお偉いさんより、お前の方が好きだって事だよ」


 肩を小突かれて少しよろめく。

 悪い気はしない。少し前までの自分からすれば考えられない感情に、自然と笑いが込み上げてくる。


 仲間を失ってから、こんな風に素性を明らかにして誰かと笑いながら酒を飲む日が来るなんて思わなかった。


「ありがとよ」


 ククッと肩を揺らして笑いながら、ジェミトが差し出してきた木酌にゴブレットを傾ける。

 俺たちは二人肩を並べながら、まだ大人とは言い難い三人の若者を見る。そして、何杯目かの酒を口に運んだ。

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