6-8:Watching it growー新たな試みー
「――っ」
刃が通った場所が、異質な熱を持つ。
ヘニオの眉が僅かに顰められ、口元から苦しそうな声が漏れた。
手首から肘に伝った赤い滴が、仄かに光を帯びている
ふわりと浮き上がった書は、二枚に増えてそれぞれの手元に飛んでいく。
契約が発動した
「これで私たちは、
咥えていたナイフを左手に持ち直してから机に置いたヘニオは、柄を
彼女はジュジをじっと見てから俺の方へ視線を送る。
「
「相談させてくれ」
そう言った俺の言葉を聞いて、ヘニオが初めてまともに感情を表に出したような気がした。目を僅かに見開いて、不思議そうな表情を浮かべた彼女に背を向けて、俺はジュジ達の方へ目を向ける。
魔法院へ来て貰うと聞いて、少しだけ不安そうな表情を浮かべるジュジの横から、ジェミトが身を乗り出して腕を伸ばしてきた。グイッと肩を掴まれて急に引き寄せられたので、ジュジの前に体を倒すように体を傾ける。突然のことに驚いて顔を持ち上げた。
「なあ、魔法院ってのは学び舎もあるんだったよな?」
耳元に寄せられたジェミトがぼそぼそと話すものだから、吐息が耳にかかって少しくすぐったい。
「ああ、なるほど。ガキ共のことか」
首を縦に振ったジェミトの表情が少し和らいだ気がした。
「俺たちが魔法院へ滞在する場合、頼みたいことがあるんだが」
「できる限り協力はしましょう」
「
すんなりと同意したヘニオだったが、俺が笑うのを見て少しだけ怪訝そうな表情を浮かべた。変に勘ぐられる前に正直に伝えた方が良いなと判断した俺は、フィルとシャンテの方を指差しながら彼女にそう告げる。
大人たちの真面目な話にすっかり飽きて、大きく伸びをしながら欠伸をしていた二人は、急に全員の視線が注がれたことに気付いて、目を大きく見開いてこちらへ顔を向けた。
細い顎に手を当てて、数秒固まったように見えたヘニオだったが、ゆっくりと全員の顔を見回してから小さく溜息を吐く。
「解析が長引くことも考えられることだし……、そうね、そこの二人は学生として編入させることを考えましょう。ついでに、あなたたちにも魔法院で動きやすいような配慮をするので、考えておいてちょうだい」
そう言ってヘニオはサッと立ち上がると、動く度に揺れる青銀のローブを揺らめかせて、優雅に背を向ける。
扉に手をかけながら、彼女は洗練された美しい動きで振り向いた。
「話はこれで終わりでいいわね。後ほど、報せを送らせるわ」
ヘニオが左手で支えている扉の横を通り、俺たちは執務室を後にした。
俺たちを見送るヘニオの表情は相変わらず無表情で、何を考えているのかわからない。まだ魔法院に居た頃は、もう少し悪辣というか、生きているヒトらしい挙動も取っていたはずなんだがな。
そんなことを思いながら、扉を閉めようとした彼女を見る。すると、ヘニオはフッと口元を緩めて息を漏らすように笑みを浮かべた。
「最後に、これも教えてあげましょう。お前を支配するために高圧的に接していましたが、私という
「……今のあんたでも冗談を言うんだな」
それだけ言って、俺は彼女に背を向けた。
少し離れた場所で、心配そうに俺を待っているジュジの隣へ戻って彼女の手を取って歩き出す。
支配するために高圧的な接し方をしていた……というのは、あながち嘘ではないだろう。
だが、俺は覚えている。俺が魔法院を出る直前……始祖の六角からの影響が弱まったときに、あいつが一瞬だけ昔の瞳に戻ったのを。
魂の形は変わっても、多分、あの時のヘニオは完全に消えたという事ではない。そう勝手に思うことにした。
「緊張しましたけど、なんとかなってよかったです」
彼女の肩を抱き寄せようとしたところで、駆け寄ってきたフィルが、ジュジの肩に手をかけて顎を乗せた。
「
ジュジによりかかり、中腰になりながら歩くフィルは唇の先を尖らせながら俺を見上げる。
「おれはフィルがいるなら平気だけど」
頭の後ろで腕を組みながらシャンテが言うが、返事もしないままフィルはジュジから離れ、少し先を歩いているジェミトの方へ駆け寄っていく。
「ジェミトぉ! なんか言ってくれよ」
「いいことじゃねーか。学び舎に通って覚えたこと、オレにも教えてくれよ」
自分の言葉を聞いて口角を下げて唇を尖らせたフィルの髪にジェミトはそっと触れて撫でてやっている。すぐに機嫌を直したフィルは、そのままジェミトの腰辺りに抱きつきながらシャンテとわあわあと騒いでいる。
「シャンテもいるから平気だろ? オレとしてはお前には新しい友達を作って欲しいところだが」
ジェミトは、シャンテのことを抱き寄せながらフィルにそう応えた。
「そうですよ。きっと楽しいです」
細かいことはどうなるかわからないが、ジュジにも同世代と関わる経験は必要かもしれない。文字すらまともに読めないこいつらが
俺たちが元いた部屋へ戻る頃には、別棟に施した結界は解けていた。もうすぐここを出ることだし、新たに結界を張る必要もないだろう。
残り少ない滞在時間は、別棟の広間で全員一緒になってくつろぐことにした。
ちょうど広間には、食事が用意されている。フィルが薄いパンのような生地で焼いた卵を挟んだものを皿の上に載せて持ってきた。
「それにしても、
「文字も嫌いだけど、算術もあるんだろ? おれ超嫌なんだけど」
皿の上のものを分け合って食べながら、ジュジとフィル、シャンテの三人は同じ長椅子に腰掛ける。
どうやら、仲良く
「ありがとうな」
ジェミトが、そう言いながら俺の隣へ腰を下ろす。先ほどの険しい表情を浮かべていたやつとは別人みたいな人懐っこい笑みを浮かべているからなんだと思ったが、やつの傍らには壁際から引きずって持ってきたのであろう
「ああ、気にするな。なんでもないことだ」
ジェミトが木杓を手にしているので、仕方ないなと言う代わりに首を竦ませて、すぐ側にある机からゴブレットを二つ手に取った。
ジェミトが、
「あれだけ毛嫌いしていた
「嫌か?」
「まあ、複雑な気分ではあるが、あいつらが文字や算術を学べるなら、オレの好き嫌いなんざ二の次だ」
そう言うと、ジェミトは果実酒を飲み干して、シャンテたちへ目を向けた。その表情はとても優しげだ。
俺に父という存在の記憶は無いが、なんとなくセルセラが似たような表情を浮かべていたのを思い出す。家族の成長を思う大人の表情とでもいえばいいのだろうか。
それを見て、少しだけ自分のことを省みる。俺は、こいつみたいに素直にジュジの成長を喜べているのだろか。
正直、ジュジが
手元へ視線を落とし思案する。そして、くだらない気持ちを誤魔化すように、手元のゴブレットから酒を呷った。
喉が焼けるような熱さを感じる。酔いはすぐ覚めるが、一瞬だけ浸れるふわっとした感覚は心地よい。
小さく息を吐くと、ジェミトが俺の肩を叩く。なんだよと応える代わりに顔を上げた。
「あんた、長く生きてるって割には、人間臭いというか……世俗離れしてないよな」
「どういう意味だよ」
「さっきのお偉いさんより、お前の方が好きだって事だよ」
肩を小突かれて少しよろめく。
悪い気はしない。少し前までの自分からすれば考えられない感情に、自然と笑いが込み上げてくる。
仲間を失ってから、こんな風に素性を明らかにして誰かと笑いながら酒を飲む日が来るなんて思わなかった。
「ありがとよ」
ククッと肩を揺らして笑いながら、ジェミトが差し出してきた木酌にゴブレットを傾ける。
俺たちは二人肩を並べながら、まだ大人とは言い難い三人の若者を見る。そして、何杯目かの酒を口に運んだ。
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