5-39:Predators and Preyー喰う者と喰われる者ー
「約束の品だ」
中庭には、俺たちを待ち構えるようにプネブマが佇んでいた。随分と手際がいいな。
俺は、プネブマに向かって
周りに待機していた僅かな衛兵たちを下がらせたプネブマは、俺の方へ一歩進み出る。
「
彼女は、ゆっくりと腕をあげると、庭園の奥にあるレンガ造りの小さな小屋を指し示した。
「
薄らと青く輝くローブの緩やかな袖が、風に煽られて虹色の燐光と共に揺れる。
彼女が指さした小さな建物の入口にはホムンクルスが一人、見張り代わりに立っているだけのようだった。
「身体も精神も健康なまま保全してあるわ」
「やけにすんなり引き渡すんだな。もっとごねるかと思っていたが」
魔法院のことだ。何か考えているはずだ。
なかなか小さな建物へ向かわずに彼女を見て訝しんでいると、プネブマが柔らかい笑みを浮かべた。
初めて見たその表情に驚いていると、彼女は笑顔のまま持っている杖を一撫でして、ふっと短い溜息を吐く。
「わかっているでしょう。貴方が本物のカティーアなら、
少し冗談めいた表情で胸を張って見せたプネブマの言葉に、ジュジがふふっと声を漏らす。
ジュジに対して柔らかな優しい視線を向けてから、姿勢を正したプネブマは凜とした表情で俺を見つめた。
「耳長族、いえ
角を両手で覆ってから頭を下げる。耳長族が同族の王族や神に対して行う最敬礼のようなものだ。
今ではもう耳長族たちに角はないし、古めかしい書跡上の儀式となって久しいが、まさか目の当たりにする機会があるとは……。
プネブマにとって、いや、耳長族にとってアルパガスを倒すことはそこまで重い意味を持つことだったのか……と俺は認識を改めた。そして、最大限の敬意を捧げてくれたプネブマに対して、英雄として応える。
俺は、彼女に対して頭を深く下げ、体を水平にして膝を折り曲げて礼をする。
少しだけ顔をあげると、穏やかな表情を浮かべて微笑んだプネブマが見えた。彼女が、ゆっくりと淡い青のローブを引きずりながら背を向けて、白い塔に続く入り口へ戻って行く。
プネブマが入った扉が閉められたのを見てから、俺は体を起こして、回れ右をした。
それから、なんだかそわそわと落ち着かない様子のジュジの手を引いて、俺たちは小さな建物へ向かう。
見張りをしていたホムンクルスは、俺たちを見ると何も言わずに石膏で作られた鍵を手渡して、扉の前から離れた。
おそらく他の仕事を割り振られているのだろう。そのホムンクルスは、何事も無かったようにその場から離れて白い塔へ向かう。
緊張しながら、鍵穴に鍵を差し込み回す。ガタン……と音がしたのを確認してから、扉をゆっくりと開いた。
取り付けられた格子窓から差し込む光に満ちた部屋の中央に、俺が救うべき少年はいた。
短く切りそろえた黒髪の少年は、両足を放り投げるようにして座り込んでいる。
イガーサと同じ赤銅色の肌と、琥珀色の瞳。少年は、扉の音に気が付いて気怠そうに俺たちは視線を向けた。
「っ!」
少年は言葉も無く立ち上がり、こちらへ突進してきた。ここで下手に暴れられてこいつが怪我をするのは本意じゃない。
体当たりを受け止めて、そのまま腕を掴んで少年の敵意に満ちた顔を見つめる。
「お前の姉さんと約束した。お前を
憎しみと嫌悪感を宿した少年の瞳が、しっかりと俺を睨み返した。
イガーサの弟、タフリール。こいつが唯一生き残った彼女の親族……。
少年の瞳孔が小さくなり、呼吸を浅くした。タフリールは俺の手を振り払って部屋の中央へ向かって後退りをする。
「人殺し!化け物!姉さんを返せ!オレはお前を知ってるんだ!人喰いカティーア」
唾を飛ばしながら、タフリールは大きな声を上げる。
正しい認識だ。
紋章が熱を帯びて、手の甲が熱い。
距離を詰めようと一歩前へ出ると、タフリールが振り上げた手が俺の頬へ当たりパチンという派手な音を響かせる。
「姉さんの耳飾りをなんでお前が持ってるんだよ」
手が当たったときに俺の耳飾りに手が触れたらしい。
激昂したタフリールは今にも俺に殴りかかってきそうに見えた。殴られたところで痛くもないが……おそらく俺に残された時間は少ない。
「あの……タフリールさん、今は落ち着いてください。あなたを助けるようにイガーサさんから頼まれたんです」
ジュジが俺の背後から出てきて事情を話すと、少年の表情は少し和らいだ。
こういうとき、元々は
「今はとにかく、行きましょう。カティーアなら私たちを遠くへ連れて行けます」
「……わかった。あんたは多分同族だ。あんたに免じて今だけはこの
俺のことを警戒しながらも、少年は手を差し出したジュジの手に恐る恐る触れる。
ジュジは柔らかい微笑みをタフリールへ向けながら頷くと俺を見た。
手をつなぐ。場所はどこでもいいだろう。
とにかく魔法院から離れた場所で……出来るなら魔素が濃く小さな村がある場所がいい。
耳飾りが揺れ、小さな声が聞こえてくる。
――可愛い
女神レスカテの囁きだ。どうやら耳飾りを通して俺の魔法へ介入してくるらしい。
「頼む」
今回はお言葉に甘えることにしよう。契約が絡んでいることだ。気まぐれを起こすことはないだろう。
俺が頷くと、足下にはいつもの紅い魔法陣ではなく、女神レスカテの体を包んでいる明るい橙色をした光の魔法陣が現れる。
目を閉じると、ジュジが俺の手を強く握ったのがわかった。それと同時に甘ったるい香りの乗った風が下から吹き付けてくる。
目を開く。俺たちが転移したのは、鬱蒼とした深い森の中だった。
少し蒸し暑い森にはツタが木々に絡みつき、甘い香りを放つ花が大きな花びらを開いて色とりどりの蝶を集めている。その花はジュジの手に飾られている花飾りに似ていた。
「……ここは」
なにやら確信めいた表情を浮かべたジュジが、タフリールの手を引いてどんどんと歩いて行く。
迷っているでもなく、操られている感じもしない。辺りの気配を探ってみたところ彼女が進む方向に人が存在しているようだ。俺は黙って二人の背を追った。
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