5-38:One last sweepー最後の大掃除ー

「大仕事だったネ」


 石像に戻った蛇は、元の大きさに戻った。

 横倒しになって動かなくなった蛇を見て、遠くにいたアルコが口角を上げて牙を見せながら笑う。

 しゃがみ込んで、石像にめり込んでいる吸魔の銀杭シレント クラウィスを拾い上げる。銀色だったはずの杭は、魔力を吸ったからか、深い海のような青色に染まっていた。

 ゆっくりとした足取りでこちらへ近付いてきたアルコは、毛皮に包まれた小さな拳を持ち上げた。

 俺はそれに合わせるように自分の拳を差し出し、音のしない程度に軽く打ち合わせる。目と目を合わせると、お互いに自然と笑みがこぼれる。

 これで目的達成だ。思ったよりも骨が折れる仕事だった。


「すっげえ魔法だったなジュジちゃん」


 ジュジの頭を撫でているホグームにも、僅かに疲れが浮かんでいるように見える。しかし、事前に掛けていた障壁魔法のおかげで外傷はない。

 力強く頭を撫でられて、多少ふらついているように見えたジュジだったが、笑顔を浮かべているので問題はなさそうだ。


「よくやったな」


 アルコから離れ、ジュジの元へ向かうと、彼女はぱぁっと瞳を輝かせながら俺の顔を見る。

 俺は、そっと彼女の右頬に手を当てる。先ほどの余韻だろうか、いつもより僅かに熱い。

 俺の手で涼をとるかのように目を伏せたジュジは、眉尻を下げて心地よさそうな表情を浮かべた。

 そんな彼女の肩を、空いている方の手で抱いて自分の方へ引き寄せる。


「あの、まだ……緊張してて」


「大丈夫。よくやったよ」


 彼女の熱くなった頬から手を離し、少しだけ腰を曲げる。それから彼女の膝裏に腕をすっと通した。

 絵物語に出てくるお姫様のように、彼女を抱き上げて歩く。小さく感嘆の声を漏らしたジュジに、笑顔を返しながら前を向いた。

 この中庭を真っ直ぐ行けば、すぐに城内へ続く扉へ辿り着く。


「カティーア、ジュジありがとう」


「仕事だからな。それに……昔の俺はお前を守れなかったから」


「ふふ、そうでもなかったよ?」


 イガーサの視線が俺の左腕へ向かう。それで「ああ、そういうことか」と、彼女が琥珀色の瞳に浮かべた不安そうな表情に合点が付く。

 そんなかつての恋人からの心配を解消すべきなのか迷って、俺は視線を落として僅かに考え込む。

 俺の声色とイガーサの視線を見たジュジは、俺の胸に頭を預けながら、深緑色の瞳で俺を見つめていた。


「私の魔力、使っていいですよ」


 柔らかいジュジの声と微笑み。念話テレパスを使わなくても、俺が何を言おうとしていたのかわかっていたらしい。


「……ありがとう。お前は本当にいい子だな」


 ジュジは穏やかに笑いながら、俺の左手を指さした。

 立ち止まって、彼女をその場にをそっと下ろす。そんな俺を見た三人が、首を傾げて不思議そうな表情を浮かべながらこちらへ目を向ける。


「俺の仕事はここにお前らを送り届けるところまでだ。だが……最後にもう一仕事させてくれ」


 ボロボロになったローブを脱いで地面に落とす。二の腕が外気に晒されて少し寒い。

 手袋を外して、獣の呪いに蝕まれた腕を、ジュジへ差し出した。


「ジュジ、いいか?」


 にこりと頷いて、細くて華奢な腕をジュジは俺の方へ差し出した。

 俺の呪いに蝕まれた手に、小麦色の細い指が絡んでいく。


「ま……待って」


 イガーサの声を無視して目を閉じた。ジュジから魔力を受け取るイメージ。そして、彼女へ呪いが向かわないように……。

 掌を伝って魔力が流れてくる。温かで優しくて……薔薇の香りがする。

 

 目を開くと、口を両手で覆ったままこちらを見ているイガーサと目が合う。

 俺がジュジと絡めていた指を離すと、彼女が俺の肩に自分の肩を勢いよく当てた。

 イガーサを受け止めきれずに少しよろめいて、なんとか踏みとどまる。

 甘い花の香りが強くなった。視線を下へ向けると、イガーサが俺の胸に顔を埋めている。彼女の腰に手を回しそうになるのを止めて、行き場のなくなった手でイガーサの髪を撫でる。


「……ジュジちゃんを使のかと思って、心配したじゃない!ばか」


 ポロポロと大粒の涙を流して取り乱す彼女を見たことがなくて、俺は何も言えないままイガーサの泣き顔を見ることしか出来なかった。

 涙が乾かないうちに、イガーサは俺から離れる。そして、胸を音がするくらい強く拳で殴られた。派手な音はしたが、そこまで痛くはない。

 叩かれた場所に手を当てて、それから、彼女の頬を濡らしている涙を拭うためにもう片方の手を伸ばす。


「呪い、人に移さなくなったんだね……よかった」


 笑顔を作ったイガーサは、俺の手をそっと退けて、自分の腕で豪快に涙を拭った。

 呪いは解けないし、彼女を少しでも守れたところで、もう一人の俺が彼女を殺すことは変わらない。

 こうして呪いが進行しないことや、相手を呪わずに魔力を補給できることを見せたのも、ただ俺がすっきりしたいだけだった。

 どうしていいかわからずに立っていると、イガーサは俺の隣に佇んでいるジュジに抱きついた。

 穏やかな表情を浮かべながら、ジュジは彼女の背中に手を回して抱擁をする。

 声をあげて泣いているイガーサと、慈しむように髪を撫でて、静かに泣いているジュジを見ていると、背後にそっとアルコとホグームが近付いてきた。


「元カノと今カノを引き合わせるトクシュな性癖ネ」

「これがハーレムってやつか」


 そっと耳打ちをしてきて、二人は顔を見合わせる。


「ちがうっての」


 俺の言葉を聞いて、二人は肩を揺らしながら笑いをかみ殺している。

 しばらく、イガーサとジュジが何かを話していたけど、何を話してるのかはよく聞こえなかった。

 多分、そんなに悪いやりとりはしていないんだろう。と思いたい。


 二人が顔をあげて笑い合ったのを見計らって、俺は咳払いをする。


「さて、最後の仕事だ」


 全員の視線が自分に向いたのを確かめてから、最後の仕事の準備に取りかかる。

 解錠の呪文を唱えて、鉄の扉を開く。

 そのまま魔素の流れを見て、中に残っている兵士たちがどれだけいるのかを調べる。


「少し多いな。一応、邪魔ものを減らしておいてやるか」


 このままアルパガスの部屋に行くには少々手間がかかりそうだ。過去の俺が使用する分の兵士は、十人程度でいいだろう。

 ジュジから貰った魔力を使って、特別な大掃除をすることにした。


「忍べ蜘蛛のように、這い回れ蛇のように、流れろ河の水のように、張り巡らされた朱い糸」


 壁に手を当てる。目に見えない程度の小さな炎が、城の壁という壁を覆いながら進んでいく。

 ひっそりと、アルパガスに感知されバレない様にするには、この方法が確実だ。


「弾けて満たせ、炎狼の息吹が如く」


 俺の言葉で、壁と天井、床から炎が一気に噴き出し城が一瞬だけ朱く光る。

 一瞬だけの魔法なら、今頃正門付近で戦っている過去の俺も、アルパガスも何が起きたのかわからないはずだ。

 思った通り悲鳴を漏らす時間すら与えずに、城内の兵士を焼き尽くすことが出来た。死体も炭になるまで燃やしたので、よほど鼻の利く奴でもない限り痕跡にも気が付かない。風を纏った妖精たちが城を駆け抜けて、その灰すらも運び出してくれるだろう。


「邪魔者は排除しておいた。あとは目的の部屋へ向かうだけだ」


「ひゅう。至れり尽くせりってやつだな」


 ホグームが俺を抱擁して分厚い鋼製の鎧に頰が押しつけられた。がははと豪快に笑ってすぐに腕を離したホグームは、少し緊張した面持ちになって城の扉の中へ頭を下げて潜っていく。


「小さいオマエにもうチョトやさしくしてやるネ」


 アルコはそう言って「ししし」と笑い声を漏らすと、ホグームの後に続いて城の中へ入っていった。


「それじゃあ……元気でね」


「おう」


 にこりと笑った彼女の目には、もう涙は浮かんでいなかった。思わず「そっちもな」と言おうとして言葉をつまらせる。

 イガーサに「元気な未来」がないことを俺たちは知っている。だから、そんな言葉を言うべきではない気がして……。


 彼女が後ろを向くと、揺れた髪から甘ったるい花の香りが微かに薫った。

 ホグームたちを駆け足で追いかけるイガーサの後ろ姿に「行くな」と声をかけたくなって、言葉を飲み込んむ。そんな俺の気持ちを察したのか、ジュジが俺の腕に自分の腕を絡めてキュッと力を込めた。

 俺は俺のすべきことをしよう。それが、かつて愛した人に対して唯一の出来ることだ。


「あ!そうだ」


 突然振りむいたイガーサは、俺たちを再び見た。彼女の表情は、まるで花が咲いたみたいに華やかで明るい。


「二人ともお幸せにね!ばいばい、ジュジちゃん」


 大きく手を振って、それから彼女は再び背中を向けた。

 隣で大きく手を振り返しているジュジの頬には、涙が幾つかの筋を作って痕を残している。


「いい人でしたね」


「ああ」


 指で目を拭いながらそう呟くジュジに相槌を打って、三人の姿が見えなくなるまでその場に佇んでいた。


『刻外れの英雄よ。貴方おまえはよく仕事をしましたね』


 耳飾りが熱を発して、レスカテの声が頭に響く。

 手の甲に刻まれた蝶の紋章が光り、紅い魔方陣が勝手に足下に浮かび上がった。


『さあ、わたしとの契約を果たしに行きましょう』


 橙色の光の腕が肩からしなだれかかってくる。温かい光の塊は、俺を背中側から抱きしめながら耳元でそう囁いた。

 言われなくてもわかっている。

 あっと言う間に目の前が橙色の光に包まれたかと思うと、俺たちは魔法院の庭園に降り立っていた。

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