5-32:Girl With Amber Eyesー彼の大切な人ー

 甘い花の香りが、テントの中に漂っている。女神レスカテが現れるときと、すごくよく似た香り。


「あの……大丈夫ですか」


 一声かけて中に入ると、露わになった彼女の肌がまず目に入る。肩や、引き締まった横腹に深く刻まれた傷跡は肉が盛り上がり、色が周囲よりも薄くなっているため目立つ。


「ああ、心配させちゃってごめんなさい」


 彼女が別の服を手早く身につける。あまりじろじろ見るのも良くないと思って、私は彼女の体から目を背けた。

 体を拭くのに使ったであろう布が、簡素な鎧立てにかけられている。

 水を温めるために使われた小さな炎の魔石は、水滴を綺麗に拭われて灰褐色の陶器があるすぐ隣に置かれていた。

 まだ湯気が登っている陶器を端に寄せた彼女は、下ろしていた髪の毛を再び括りながらこちらへ振り向く。


「これ、カティーアから貴女へ渡すように言われました」


「あら……これ」


 さっきより穏やかな微笑みを浮かべる彼女へ、カティーアから先ほど渡されたバングルを差し出した。

 急いで衣類を身につけた彼女は、私から差し出されたそれを手に取ると、目を丸くする。


「痛みを和らげる魔法を込めたと、カティーアが」


「あ……そう。ふふ、これかぁ。ありがとう」


 うれしそうにバングルに腕を通した彼女は、私の両手を取ってにっこりと笑った。


「ジュジさん、で名前は合ってるよね?」


 私と同じくらいの背丈で、多分同じくらいの年齢。そのはずなのに、なんだか私より大人っぽく感じる。


「少し、お話ししてもいいかな」


「は、はい」


 琥珀色の瞳が私を捉える。彼女は大きくて丸い目を柔らかく細めて、人懐っこい笑顔を浮かべながら私の手を取った。

 イガーサさんが、すぐそばの敷物の上に腰を下ろしたので、私もその隣に座る。


「すごいね、このテント。魔法院のやつなのかな?」


 テントの中は鎧立てと寝具、虫除けの香炉と最低限のものだけが置いてある。そのお陰で人が5人寝ても窮屈にならない広さはある。鶴革の袋コルボルドから出してカティーアが組み立てたテントは、外から見ると小さいけれど、妖精の魔法のお陰で中はすごく広くなっている。

 この不思議なテントは床も上質な毛皮を敷いたみたいにふわふわで、すごく心地良い。


「多分、彼の私物だと思います。野営自体をあまりしたことがないので、私もよくわかってないですけど」


「すごいね……いいなぁ。あ、もっと砕けた感じの話し方でいいよ。同じくらいの年だと思うし」


「あ、ありがとう」


 気後れしてしまう。そんな私のことを気遣ってくれたのか、こういう人の心の壁を取り除いてしまう人なのかわからないけれど……無邪気に笑う彼女の言葉に甘えて、私は少し砕けた言葉を返す。


「あのね、もしかして……あたしのこと気にしてる?その……ジュジは、あいつの伴侶、だもんね」


「あ……その、少しだけ、気にはしてます」


 無邪気な笑顔が少しだけ曇る。視線を私から少し外したイガーサさんは、テントの天井を見上げた。


「カティーア、そういうの隠しちゃいそうなのに意外。ちょっとだけ……悔しい、かな」


 弓なりに整えられた眉尻を少し下げた彼女は、私を見つめて悲しげに笑う。琥珀色の瞳が潤んで、彼女の長い睫毛に僅かに水滴を滴らせた。


「実はね、あたし、女神様と契約をしたの。魂を捧げるから弟を助けてくださいって。その時に、ちゃんと覚悟はしたんだけどな」


 知っています……とは言えずに、私は涙を指で拭って話し始める彼女を見つめる。

 私よりも少し長い髪。引き締まった体と、服を着ていても見える部分に刻まれた幾つもの傷跡。

 光蟲ランプシーが閉じ込められた角灯カンテラが、彼女の横顔をゆっくりと明滅する光で照らす。


「でも、安心した。本当だよ?カティーアがあんな風に笑えるようになって……大切な人を見つけられたならよかった。少しだけ、やっぱり悔しいけど」


 少しだけ間を開けて、彼女は私を見た。穏やかな光を放つ琥珀色の瞳から、敵意は感じられない。

 イガーサさんが鼻をスンと鳴らす。彼女の一連の仕草を見て確信した。

 ああ、こんなに感情豊かな人だから、彼は心を開いたんだって。

 優しくて、人懐っこくて、そして危うい。こんな人を……彼は自分の手で……。


「世界はなかなか変えられないけど、自分を変えることなら出来る」


 彼がよく言う言葉が頭に浮かんで、思わず呟いていた。

 驚いたように動きを止めたイガーサさんは、私の方を黙ったまま見つめている。

 何も考えずに、口にしてしまった。

 この言葉をカティーアに教えたのは、イガーサさんだったじゃない。

 あわあわと両手を動かしながら、私は自分の言葉じゃ無いと伝えるため言葉を続けた。


「あ、これ私じゃなくて……カティーアがよく言うの。その……この頃から彼が変わったとしたら、その言葉が関係してるのかなって」


「そっか……うん。本当に、よかった。神様に感謝だね」


 にこっと笑いながら出てきた、彼女の言葉に首をかしげる。


「感謝?魂を奪われてしまうのに?」


 魂という重い代償を求めた神に感謝?貴女は、助かった弟をこの目で見ることができないのに?


「そう。だって、あなたに会えたから。カティーアの隣にいるのがジュジみたいな人でよかったって安心できたよ。……あたしは、彼を残して死んでしまうから」


 眉尻を下げながら、切なげに笑う彼女を見て胸が痛む。

 カティーアのために命を投げ出したって構わないと、私だって思っている。でも、その直前になっても、こんなに朗らかに私は笑える気がしない。

 自分と他人を比べるのは、意味がない。頭ではわかっているけれど、どうしても私は、イガーサさんのようになれない自分を心許なく思ってしまう。


「あのね、これ、あげる。仲良くお話してくれたお礼」


 彼女が差し出したのは、木を彫って作られた花飾りだった。綺麗に磨かれていてツヤツヤとしているそれは、花びらの一枚に穴が空けられている。

 イガーサさんは、懐から取り出したナイフで、花飾りがぶら下がっていた革紐を裁ち切った。そして、切った革紐の片方を花飾りに通してから、両端を不思議な形に結んでいく。


 あっという間にブレスレットに作り替えられた彼女の首飾りを、イガーサさんは私の右手にくぐらせた。


「あたしの大切なもの……壊れるよりは貴女に持っていて欲しいな」


 花飾りを愛おしそうに指先で撫でて、そう言った彼女はにっこりと無邪気に笑う。その笑顔にどことなく寂しさを覚えながらも、私は「ありがとう」と言って頭を下げた。


「じゃ、みんな心配するから、そろそろ戻ろっか」


 手を引かれて、私は彼女の後に続く。

 テントから出ると、煮込んだ鹿肉と野菜のいい香りが漂ってきて、私とイガーサさんのお腹が同時に「ぐう」という音を立てた。


 顔を見合わせて笑う私たちに、カティーアは木の器を手渡しながら座るように言う。

 声を揃えて「はあい」と応える私たちを見て、三人は驚きと安心の間みたいな複雑そうな顔をしてきたので、私とイガーサさんはもう一度見つめ合ってクスクスと笑い合った。

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