juiji

2-1:"Ey are satisfied?" -楽しませてくれよ?-

「ほら、おいでジュジ」


(はい)


 太陽の光に照らされて、彼の金色の髪が揺れる。外側に跳ねた癖っ毛と、白い肌、それに真紅の瞳。

 英雄であった証の神獣の毛で織られたっていう白いローブは脱いで、代わりに古びた茶色のローブを着ているけれど、彼の輝きだとか格好良さは変わらない。

 腰辺りに鼻先を擦りつけると、彼は柔らかく微笑んだ。


「さて、今日は服を見に行くぞ」


 目の前にいる彼――カティーアは、私を助けるために、魔法院の最高責任者の片腕を傷つけて、白い塔の壁に大穴を空ける大騒ぎを起こした。

 あの日から、もう二つの季節が過ぎていた。

 怖い兵士や暗殺者に追われてもいかしくないし、てっきり私たちは毎日なにかにおびえ、わびしい思いをしながら身を隠して生きていくかもしれない……と思っていた。

 そんな私の予想とは裏腹に、青々とした葉が茂る季節を終え、再び芽蕗の季節を迎えたけれど特に追手が来たことも、お金に困るようなこともない日々が続いている。

 カティーアも殺気立っている様子なんてなくて、どちらかというと魔法院にいたころよりもなんだか穏やかな表情を浮かべている気がする。

 今までは、魔法院から離れた場所にいるからかな……と思っていたけれど、そうではないらしい。だって、今、私たちは魔法院の目と鼻の先にある大都市ムノーガに来てしまっているからだ……。

 油断しすぎでは? と内心ギョッとした私の気持ちを知ってか知らずか……多分知らないんだろうけれど、彼は鼻歌交じりに市場で新しい衣類を見繕みつくろっている。

 布がたくさん飾ってある店の中へ入っていく彼を追いかけていくと、店の主人が彼に替わった毛皮を見せているところだった。

 彼は大喜びで毛皮を手に取って、見つめている。


「やっと手に入った……ずっと欲しかったんだよなこれ」


 今までに見たこともないくらい嬉しそうな顔をしながらカティーアが私に見せてきたのは、金色の毛皮に美しい斑点はんてん模様が散らばっている獣の毛皮だ。どうやらこれはマントらしい。すごい派手に見える。


(綺麗だろ? 異界に住んでいる大きな山猫のものらしい。俺も実物は見たことがないんだが……異界からの漂着物は、時々こうして市場に出回ったりする)


 念話テレパスで彼はそう教えてくれる。

 ここに来る前に、世界や宇宙はたくさんの場所にあって、どこかから生まれる境界の揺らぎから、別世界のものや人がこちらの世界に辿り着くことがあるんだって教えてくれたことを思い出しながら、マントを見る。

 ……異世界の漂着物なんて身に付けていて目立たないんだろうか。

 そういえば、生きた人だけじゃなくて、魂が前世の記憶を受け継いだままこの世に生を受けることもあるらしい。

 それを聞いたときは、本で読んだカティーアの叙事詩に描かれていた異界から来た勇者と旅をするお話は本当なんだ……ってとても感激したんだけれど。

 詳しく聞こうとしたら、カティーアは少し複雑そうな表情をしたから、本人からそれ以上聞くことは出来なかった。


(豹って獣の毛皮で、こいつは牛を狩ることも出来るくらい強い獣らしくてさ……これを狩ると一人前の戦士だと認められるって一族もいるんだと聞いたことがある)


 彼は私が退屈にしないように気にかけてくれているのか、相変わらず念話テレパスで話しかけてきてくれる。

 この綺麗な斑点が特徴的な毛皮の持ち主は、どうやら異世界にいる「豹」という名前の獣らしい。


(異世界から来る冒険者がさ、何人かいて、豹の話を聞かせて貰ったり、絵を見せて貰った時から気になってたんだ)


 体に毛皮を当てて、口では店の主人とマントをどうするかとか、飾りをどうするかを話し合っている。


(ずっと探していたけれど、魔法院で英雄として振る舞っている間は服を自由に選べなかったし、諦めていたんだが……ここで見つかるなんてな)


 彼はキラキラと瞳を輝かせながら話してくれるけれど、私は少し不安だった。

 目立ってしまって、魔法院の追っ手から逃げるときに大変かもしれないなんて、そんな心配は些細なことで、彼の楽しい気持ちに水を差してまで伝えることじゃないかもしれない。そう思って口を噤む。

 間に合わせで買った茶色の少し古びたローブを仕立屋のテーブルに無造作に置いたカティーアは、おろしたての派手なマントを身に着けた。

 彼の髪と似た色合いのマントは斑点の模様も美しくて、確かにそれを身に付けたカティーアはとても素敵なのだけれど、それでも見慣れない姿は注目を不要なまでに引く気がしてハラハラとしてしまう。

 だって、大英雄としてのカティーアは、死んだことになっている。それを本当のことにするために、魔法院は彼のことを捕まえに来るかもしれない。


 一応、公式では急に発生した災害級巨大で危険なの魔物が魔法院を襲った際、魔法院の長であるヘニオを庇って亡くなったということになっているらしい。

 それは、大々的に喧伝けんでんされているのを一昨日立ち寄った街で耳にした。 

 酒場などで聞いた人々の話によると噂によると、180代目カティーアの葬儀は、魔法院内で厳かにり行われたのだと。


 無意識に鼻から息を漏らすと「くぅん」と情けない声が漏れてしまった。それを耳にしたらしいカティーアが、こちらを見て微笑みながら頭を撫でてくれる。

 頭をそっと撫でられる感覚は心地よいのだけれど、胸の不安までは完全に拭いきれない。

 魔法院を出てからこれまでに、私たちは魔法の練習をするために深い霧の中を抜けて不思議な森の中へ行ったり、呪いを解く手がかりを探すためにキラキラと底が光る深い海の洞窟や、ドラゴンが寝床にするような高い険しい山なんかを放浪をしていた。

 最初の数日間は、彼に私の言っていることが伝わらなくてけれど、それも念話テレパスをすぐに教えて貰ったからなんとかなったので不便ではない。

 最初はなかなかうまくできなかったけど、今では直接話すのと変わらない精度で意思疎通ができるし、伝えたくないことのコントロールもできるようになった。

 練習の成果はそれだけじゃない。セルセラみたいに花弁を呼び出して目くらましをする魔法や、茨のツルを地面から生やしてヒトの足止めをするくらいのことは出来るようになりつつある。

 実戦では使ったことがないけど、多分それくらいは出来る……はず。

 でも、不安なことは山積みだ。その理由の一つは、カティーアが先のことや今の状況などのことを全く話してくれないことなのだけれど……。


 今の生活は、なんだか思い描いていた逃亡生活っていうものとはちがっていたけれど、それでも、魔法院というのは私にとっては絶対的な存在過ぎて、そんなものに逆らったのにこんな平穏でいいのかなって心がざわざわしてしまう。

 今までカティーアと二人で泊まった宿だって、以前に古い物語の写本で読んだことがある豪商や貴族の方々が娯楽のために行う旅行というようなものに似ている気がした。

 でも、それだけじゃなくて、カティーアと一緒に行く場所は不思議なところもたくさんある。

 妖精たちの国とこの世界の狭間の空間に不思議な店や、地下にある髭がもじゃもじゃのおじいさんたちのような妖精の工房……その他にもあったけど、たくさんありすぎて、なんだか夢みたいだなって頭の中がぐるぐるする。

 ある日、目が醒めたらあの何もない部屋の中や箱庭なんじゃないかって怖くなることも少なくなかった。


 知らなかった広い世界の不思議な感覚に圧倒されているうちに、お金のことや、追っ手のこと、魔法院のことをつい聞きそびれたままついに今まで来てしまったのだ……。

 いい加減きちんと色々聞かないといけない。私も彼と一緒に生きていくことを決めたんだから……と思っていた矢先に、魔法院のすぐ近くでのんきに買い物をするのだから本当によくわからない。

 戦いみたいなものといえば、立ち寄った村を魔物が襲った時くらいで本当に平和な日々が続いている。

 魔法院は私たちを追いかけたりしていない?

 でも、魔法院が彼を簡単に諦めるだろうか?

 ぐるぐると不安が頭の中を巡って怖くなる。でも、彼にはなかなか話せない。いつもタイミングを逃したり、こうやって楽しそうな彼にわざわざ暗い話をするのもよくないな……と気後れしてしまう。

 そんな私の気持ちを知る由もなく、カティーアはウキウキと服屋の主人と会話を弾ませながら新しい装いに袖を通している。

 新しく仕立ててもらったらしい黒い薄手のサーコートの上に、先程買った派手な豹の毛皮で仕立てたマントを羽織る。


「ブーツも欲しいが……こっちの革靴も貰おう」


 リネンで織られたゆったりとした薄灰色の脚衣と、着脱がしやすそうなショートブーツを身に付けた彼は、満足そうに姿見の鑑の前で全身を確認していた。

 姿見の鏡がある仕立屋なんて……村で育ったままだったら一生見ること何てないだろうな……なんて驚きながら、私は大人しく床に伏せて彼を眺める。

 白いローブ姿が好きだったのもあるけれど、なんというか魔法院の管轄下で育った私からしたら見慣れない、かなり目立つ服装だと思う。

 いつまでも英雄カティーアを象徴するような白いローブから着替えるのはいいとして、よりにもよってこんな時にこんな魔法院の目と鼻の先で何故奇怪な格好をするのか理解が出来なくて、私は思わず眉間にしわを寄せた。

 カティーアは、着るものを一通り揃えてくれた店の主人の目の前にやけに重い音のする革袋を置いた。それから、今身に着けているものとは別に購入したらしい真っ黒なツヤのある革で出来た丈夫そうなブーツを抱えて、上機嫌で店を出ていく。

 カティーアの後姿に頭を何度も下げる店の主人を尻目に、私も彼の後を追った。

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