第34話 プロ見習いは修羅場る


「わたしが、いないうちに、何を、やってるの?」


 オレの全身になぜだか嫌な汗が浮いた。

 グラフィックのバグなのか瞳からハイライトを失ったリリィが、喫茶店のテーブル席に座ったオレとミナハを見下ろしている。

 あかん。

 オレの中に住む関西人が警笛を鳴らした。これはアカン!


「え……えぁーっと……リリィ? これはだな……」


 オレの言い訳を聞くこともなく、リリィはオレの隣にどすっと座る。

 それから正面のミナハを見据えて、挑むように言った。


「こんにちは」

「……こんにちは」


 返すミナハの声も、少しトーンが低い。前にリリィと口喧嘩っぽくなったことが、まだ尾を引いているのか。


「自己紹介、した方がいい?」

「……そうね。そういえば名前も聞いたことないわ」

「ジンケの彼女のリリィです。本名は森果莉々」


 本名まで!?

 オレは目を剥いた。

 ミナハもかすかに目を見開き、すぐに対戦中みたいな目つきになる。


「ツルギの幼なじみのミナハよ。本名は春浦南羽」


 そして、鍔迫り合うかのように、ミナハもまた本名を名乗った。

 束の間、沈黙が場を支配し、オレは迂闊に息も吐けない。

 怖い。

 逃げたい。


「……ツルギ」


 じろりと、ミナハの目がオレに向いた。

 ジンケとキャラネームで呼び直してくれていたはずなのに、本名呼びに戻っている。


「やっぱり、付き合ってるんだ?」

「それは……まあ……その……」


 予定というか、内定というか……。

 厳密にはまだ付き合ってないんだが、実質的にはっていうか。


「付き合ってる。1ヶ月くらい前から」


 煮えきらないオレの背中をひっぱたくように、リリィが断言した。


「1ヶ月前……前に私と会った直後くらいね、ツルギ」

「そ、そうだな……」

「あんなことがあった後に、能天気に彼女なんて作ってたんだ?」


 そう言われるとその通りだが!! いろいろあったんだよ、こっちにも!!

 ……と、言えるはずもなく、オレは貝のように口を噤んだ。


「ふう~~~~~ん…………」


 見てる……。

 というか睨まれてる……。

 呆れられてんのか……? 無理もねーけどさ……。


「あんまり見ないで。人の彼氏を」


 リリィはぐいっとオレの腕を抱き寄せた。


「いくら幼なじみだからって、人の連れにコナをかけるのはどうかと思う」

「あら、そう?」


 ミナハは勝ち誇るようににやりと笑う。


「でも、誘われたのは私の方なんだけどね? 『お茶でも行かない?』って。この場合、コナをかけられたのは私の方じゃないかしら? ね、ツルギ?」

「……………………」


 リリィが無言でオレの顔を見上げた。

 怖い。

 マジで怖い。


「いや、あの……ほら、せっかく会ったから……」

「…………わたしには、そんな風に誘ってくれたことない」

「え? そうだっけ……?」


 ……いつも一緒にいるから、改めて誘ったことはないかもしれない。


「へえ、そうなんだ。お茶にも誘われたことないんだ。彼女なのに? ふう~ん」


 ミナハが煽るように言う。

 やめて。マジでやめて。

 リリィがオレの腕を強く掴みながらぶるぶる震えた。

 それから、呪詛めいた声で呟く。


「…………おっぱい触られたこともないくせに」

「……えっ?」

「膝枕したこともなければ押し倒されたこともない、た・だ・の・幼なじみが、何を調子に乗ってるんだか」

「んっ……なっ……!?」


 ミナハが血相を変えて腰を浮かせた。


「ちょっ、ちょっとツルギ! あなた、たった1ヶ月でどこまで……!?」

「いや! 誤解――」


 ……でもないな。

 全部本当にやってる。


「そっ……それなら、私だって!!」


 顔を真っ赤にしたミナハがテーブルに乗り出しながら叫んだ。


「あなた、ツルギとお風呂入ったことある!? 裸見られたことある!? あっ……アソコ見たことあるのっ!? ゲームじゃない、リアルでよ!? ないわよねっ!」

「う…………」

「たかが1ヶ月くらいでマウンティングしようなんて笑わせるわ! 6年間毎日遊んだ末に初めて着けたスポーツブラの匂いを嗅がれてから出直しなさいっ!!」

「ぬおおおおおぉぉ……!!!」


 やめろぉぉぉお……!! オレの黒歴史を掘り返すなぁあぁぁ……!!


「だったらわたしは―――」

「なら私は―――!」


 それから、人気のない喫茶店の奥でにわかに『どれだけオレに恥ずかしいことをされたことがあるか大会』がインフィニットエリミネーション制で開催され、オレのメンタルは無事死亡した。

 違うんだ……。子供の出来心だったんだ……。若気の至りだったんだ……。だって、目の前に同級生の女の子のブラなんてあったら、そりゃ気になるじゃん……。

 二人が繰り出すエピソードが本格的に社会的にアレな領域に踏み込もうとするにつけ、オレは降参した。


「……もう、マジで、勘弁してください……オレが悪かったです……」


 テーブルに突っ伏してぐったりとする。

 無理ゲーだよお……恋愛初心者にはハードすぎる、この状況……。


「……ふん! そうね。このくらいにしておいてあげるわ。付き合い初めてたかが1ヶ月の彼女さんにはもう弾が残ってなさそうだし?」

「ジンケの割と栓の緩い性欲を舐めないでほしい。わたしのエピソードはあと108個ある」

「性欲とか言うなよ!」


 全体的にオブラートが足りないんだよ!


「…………はあ」


 ミナハは軽く溜め息をついて、浮かせていた腰を下ろした。


「……そっか。…………付き合ってるんだ」

「なんだよ、今更……」


 初っ端の話だろ、それ。


「別に。……ちょっと空き巣に入られたような気分になってるだけ」

「何年も放置してたあなたが悪い」


 リリィは抑揚のない声で、はっきりと告げた。


「大切なものなら手放すべきじゃなかった。逃げられたなら追いかけるべきだった。そうしなかったのが、何よりも悪手」

「…………ぐうの音も出ないわ。それだけは」


 ミナハは淡く微笑むと、オレの顔を見て言う。


「ねえ、ツルギ。……私、あなたのことが好きだったのよ」

「は?」


 軽い世間話のような調子で放たれた言葉に、オレの頭はとっさについていかなかった。


「あなたは全然気付いてくれなかったけどね……。大体、私みたいな引っ込み思案な子が、6年も同じ男の子と一緒にいたら、そんなの好きになるに決まってるのよ」


 ミナハの口調は昔を懐かしむそれで……今を語るものでは、決してなかった。


「まあ、初恋なんて、大体そんなものでしょう? 大した理由もなく、なんとなく好きになって……結局、一度も口にしないまま終わる。よくある、ありふれた初恋を、私はあなたにしていたの」


 ミナハは飽くまで過去形で語った。

 なんて答えればいいのか……。慰めるのか。謝るのか。何もわからないでいるうちに、ミナハは目つきを変える。


「……でもね」


 オレの幼なじみ、春浦南羽ではなく。

 プロゲーマー・ミナハとしての目つきに。


ツルギあなたは諦めても、JINKあなたは諦めないから」


 言葉面は同じだった。

 だが、その意味するところを、オレは正確に受け取った。


「さっさと来てよね、私のレベルまで。見習いなんかで躓いたら、私、怒るんだから―――」


 そう言い残して、ミナハは席を立つ。

 そのまま、別れの言葉もなく去っていこうとする背中を――


「ミハネ!」


 オレは、思わず本名で呼び止めていた。

 ミナハが振り返ってオレを見る。

 ……言うべきことが思いつかなかった。

 オレはこいつに、何を言うべきなんだろう?

 答えが出ないまま、結局、棚上げにしていたことを引っ張り出す。


「結局、オレに足りないものって、なんなんだ?」


『直感』と『読み』。

 オレはそのどちらかがずば抜けていて、そのどちらかが全然ダメなんだと、ミナハは言っていた。


「ああ、それのこと」


 ミナハはゲーマーの顔のままで言う。


「ねえ、ジンケ。あなた、他に用事がない日、コンボ練習やスタイル対策にどのくらい時間を使う?」

「は? いや……たぶん、1時間あるかないかだな。ランクマで実戦してる方が多いと思う」

「私は、試合のない日は必ず5時間やってる。……それが答えよ」


 ミナハはくるりと背を向けて、ひらひらと手を振った。


「それじゃあね。出る大会って、たぶん《RISE》でしょ? ちゃんと見ておくから―――負けないでね」


 カランコロン、と入口のベルが鳴り、ミナハは扉の向こうに消えた……。

 その扉を見やりながら、隣のリリィがぽつりと呟く。


「…………あんなので、本当に終わらせられたと思ってるのかな」

「ん? どういう意味だ?」


 リリィはふるふると首を振った。


こっちの話」

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