仮想世界への帰還編――レベルで測れない初心者

第1話 伝説は女の子に弱い


「ジンケ。これ、あげる」


 1学期最後の日、終業式直後の教室で、オレは同級生の女子にいきなり紙袋を渡された。


森果もりはて……藪から棒になんだ? バレンタインには半年ほど早いはずだが」

「誕生日プレゼント」

「それは2ヶ月前に終わったし、お前からは婚姻届をプレゼントされた。もうちょっと真面目に説明しろ」

「むう」


 森果もりはて莉々りりは淡白な表情のまま、華奢な両腕を薄い胸の前で組む。


「おー、森果! どうした? どれだけ寄せて上げてもないものはなゴフゥオッ!?」


 セクハラ発言をかました男子に無言で金的を喰らわせつつ、森果はジッとオレの目を見つめて言った。


「……女が男に贈り物をするのに、理由はいらない」

「結局なんも考えてねーじゃねーか」

「お……お前ら……普通に会話を続行するんじゃねえ……」


 オレは渡された紙袋を開けてみる。


「なんだこれ? 箱? 結構重いが……」


 紙袋の中には箱が入っていた。箱に書いてある文字を見て、オレはその正体を悟る。


「バーチャル……ギア? 最新式の家庭用VRマシンじゃねーか!」

「正確にはVRとARのハイブリッドデバイス。眼鏡型のAR端末として普段使いできて、専用の機械にケーブルで繋いだ時だけフルダイブ機能が解放される」

「へー。最近のはそんなんなのか」


 フルダイブ。コンピューター上に作ったデータの世界に、意識を丸ごと入り込ませる技術。実用化されて結構経つが、その端末は今でもそこそこ高価だったはずだ。


「……で?」

「?」

「小首を傾げるな。これをオレにくれるとはどういうことだ?」

「そのままの意味」

「理由を説明しろと最初の最初から一貫して言い続けてんだよ!」

「わたしと一緒にゲームして」

「……その心は?」

「そしたら夏休みの間もジンケに会えるようになる」


 森果は決してオレから視線を外さない。一分一秒が勿体ないとでも言うかのように。

 表情はまるで変わらないし、声だって淡々としているが、その視線にこもった気持ちは本物だった。……錯覚かもしれないが。


 ジンケ、ジンケとまるで旧知の仲のごとく森果が言っているのは、オレのニックネームだ。

 本名は竜神たつがみつるぎ。字面が必殺技っぽいもんだから、周囲が『リュージンケン』なんて呼び始め、いつしかそれが縮んで『ジンケ』になった。子供の頃から変わらない、オレのもう一つの名前だ。

 ……なのだが、森果と知り合ったのは高校に入ってからだった。つまり、まだ3ヶ月そこそこの付き合いである。


「……ちなみに、森果」

「なに?」

「このマシンは、もしかして買ったのか?」

「懸賞で当たった」

「なんだ。そうか……」

「あっ、やっぱり買った。ジンケのために」

「あからさまな嘘をつくな!」

「贈り物は値段じゃない」

「言葉が反復横飛びしすぎだ!」

「……ダメ?」


 ここで初めて、森果の声が少しだけ震えた。

 ……ズルいんだよなあ。

 森果には、高校生活が始まってわずか3日目に告白された。そのときもこの調子で、表情も声色も平然としているもんだから、なんか罰ゲームでやらされてんのかと思って、丁重にお断りした。

 ところが。

 その次の日も、次の次の日も、次の次の次の日も。

 オレは毎日この同級生に校舎裏へ呼び出され、愛の告白を受け続けることになった。

 それが1週間ほど続いた頃、オレはようやく、森果は本気らしいということに気が付いた。

 平然とした顔をして。

 冷然とした声をして。

 なのにオレにフラれるたびに、女子トイレに駆け込んで一人ぽろぽろ泣いてるっていうんだから――

 そりゃあ、よく知りもしない相手でも、多少は気になるってもんさ。

 どうして彼女がオレをそこまで気に入っているのか、それは今をもって謎だが……。ともあれ、まずは友達付き合いからってことで、今に至っているのである。

 日課の告白はまだ続いてるけどな。

 そんなわけで、たまに森果が表に見せる感情に、オレは弱い。女子トイレの前で聞いてしまった啜り泣きを、思い出してしまう……。


「……まあ、タダでもらったのを、いらねーから譲ってくれるって話なら……ありがたく受け取っておいてもいいぜ」

「ほんと?」

「でも、ゲームって何のゲームだ?」


 格ゲーならやるつもりはなかった。


「わたしがやってるのは、MMO」

「MMOって……VRMMORPGってやつ?」

「そう」

「へー……いいじゃん。モンスターと戦うやつだろ?」

「基本的には」


 人間と戦うんじゃないんなら気楽でいい。どうせ夏休みは丸ごとヒマだし、悪くはなさそうだ。


「わかった。付き合うぜ。いい機会だし」

「ほんと?」

「ほんとだって」

「……よかった」


 かすかに――目を凝らさないと気付かないほどかすかに、森果は笑う。


「じゃあ、そのゲーム、タイトルは?」


 不覚にも乱れた動悸を誤魔化すために訊くと、森果は少しだけ弾んだ声で告げた。


「《マギックエイジ・オンライン》」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 マギックエイジ・オンライン。

 森果から聞くところによると、いま一番人気のVRMMOがこれだそうだ。

 いわゆる西洋風ファンタジー世界を舞台としたゲームで、モンスターを狩ったり商人になったり、建物を建てたり汽車を走らせたり、果ては国を作って運営したりなんてことまでできる、とにかく自由度の高いゲームらしい。


「一番の特色は《クロニクル・クエスト》の進行に応じてゲームがアップグレードされることで―――」


 などと、珍しく早口気味にいろいろ説明してくれた森果だったが、いきなり全部を覚えるのは不可能だ。悪いが半分くらいは聞き流してしまった。

 細かいことはやりながら覚えていこうということになり、オレは森果に譲られたバーチャルギアを手に帰宅した。

 ベッドの横に箱型の機械を設置し、眼鏡型のデバイスとケーブルで繋げて、準備完了。

 Li-Fiライ・ファイ回線でネットに繋ぎ、バーチャルギアに《マギックエイジ・オンライン》をインストールする。最初は接続料無料だそうだ。

 ギアで目元を覆ったままベッドに横たわり、《MAO》を起動する。


〈Magick Age Onlineを開始します。よろしいですか?〉


 オレは答えた。


「イエス」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 チュートリアルはストーリー仕立てで、基本的なシステムを自然と理解できるように作られていた。非常に好感が持てる。チュートリアルがうまいゲームは大体面白いというのがオレの持論だ。

 チュートリアルの終わりに現れた扉を抜けると、頬を優しい風が撫でた。

 そこは、小高い丘の上だった。


「おお……」


 感嘆の息をつく。

 右側には森。左側には山岳。そして、正面には見渡す限りの草原と、大きな街が広がっていた。

 中央に巨大な城を構えた街――石畳の目抜き通りを、大勢の人々が行き交っているのが見える。

 現代日本なら、髪色ゆえに、それは黒い丸の群れに見えただろう。だが果たして、川のように街を流れているのは極彩色。赤だの青だの黄色だの、現実ではまずお目にかかれない髪色で溢れている。

 噂に聞いちゃあいたが、これがVRMMO――これだけの人間が同じVR空間で好きに動き回れるなんて……。


「昔じゃ考えられねーな……」


 ちょっと知識が古いオレには、なかなかのカルチャーショックだった。

 ……さて、森果はどこだ? スタート地点で待ってるって言ってたんだが。

 周りに人はいない。だから現実と多少顔が違ってもすぐにわかるはずだ。

 オレのアバターは、現実とあまり変わらなかった。髪の色と髪型をちょっとイジくる程度にした。ほら、あんまりイケメンにするってのも、見栄張ってるみたいで恥ずかしいし。

 プレイヤーとしての名前は《ジンケ》。仇名をそのまま使った。昔からハンドルネームはいつもこれである。だから森果にもすぐわかるはずだが――


「――ジンケ!」


 そら来た。一人の女の子が、手を振りながら丘を駆け上ってくる。

 ――ぽよーん……ぽよーん……。


「んん???」


 オレは首を傾げた。


「ジンケ……よかった、ちゃんと会えた」


 起伏のないその声には聞き覚えがある。

 ある、が。


「どなた様?」

「?」


 女の子は首を傾げる。現実では有り得ない銀髪がさらりと揺れた。


「森果……だけど」

「んんん????」


 オレの知るクラスメイト・森果莉々を名乗る少女を、改めて観察する。

 ボブカットの銀色の髪。綺麗に整っていながらも、表情筋が凍りついたかのような顔つき。

 ……森果だ。髪の色こそ違うが、ここまでは森果莉々だと理解できる。

 が。

 問題は、その下だ。


「……でかい……」


 思わずごくりと唾を呑み込んでしまう。

 非常にたわわな果実が二つ、少女の服を大きく盛り上げていた。

 まるでグラビアアイドル……。

 いや、アニメだ。これはアニメの乳だ。パッケージになったときいろいろと解禁されるタイプの。


「どこ見てるの」


 オレは腕を組んで唸り、現実での森果莉々の姿を想起した。特に、すっとーんと滑り台のごとき胸部を。


「お前……悲しくならねーか?」

「―――っ」


 巨乳少女――森果の理想の姿アバターは、たわわなお胸をさっと両腕で隠しながら、一歩後退った。

 こいつ……。ちょっとイケメンにするのにも激しく躊躇していたオレがアホみたいだ。アクセルベタ踏みじゃねえか。


「……悲しくなんてない。リアルでもすぐに、こうなるから」

「だといいな……」

「触る?」


 隠していた胸を、今度はオレに向けて突き出してくる森果。だから言動の振れ幅!


「……い、いいのか?」

「どうぞ」


 さしものオレも、ファンタジーでしか有り得ないその巨峰を前にしては、学術的興味を抑えきれない。学術的興味を。

 周りに人もいないし……。本人もこう言ってるし……。っていうか、偽乳だし……。

 ちょ、ちょっとだけな?


「どうして手を合わせてるの?」

「ご馳走を前にしたときは手を合わせろって親に習ったんだ」

「なるほど。召し上がれ」


 いただきます。

 ――ふにょっ。


「……………………」


 ふにょっ、ふにょっ。

 指を動かすたび、柔らかに形を変える。

 面白い。

 面白い、が……。


「……感触がないんだけど……」

「一般向けゲームだから」


 ……ゲームなのに夢がないっ……!


「お前も何も感じないわけ?」

「あん、あん、あん」

「死ぬほど下手くそなドラえもんの主題歌か」


 演技するときくらい声に抑揚をつけろ。

 ……まあ、見た目だけでもすごいインパクトだし、それで良しとしよう。っていうか偽乳だし。

 胸から手を離す――

 ――寸前、指先が突起のようなものに引っ掛かった気がした。


「ひあんっ!?」


 途端、森果から聞いたこともない高い声が出る。

 驚いて顔を見ると、彼女は手で口を押さえていた。――顔をほのかに赤くして。


「……お前、今」

「き、気のせい」

「やっぱり感触あるんじゃ……」

「気のせい!」


 ふいっと顔を逸らして、森果は歩き始めた。


「それより、案内する。街いこ」

「お、おう」


 これ以上は触れないでおこう。話題的にも物理的にも。


「何もかも初めてだからさ、いろいろ教えてくれよ。森――」


 本名で呼びかけて、オレは森果の頭の上に表示された名前を見た。


「――《リリィ》?」

「うん」


 森果莉々、でリリィか……。


「安直なネーミングだな」

「ジンケもでしょ」


 そうだった。




 ―――この時点では、想像だにしていなかった。

 この夏休み。

 このマギックエイジ・オンラインで。

 2年前に封印した《JINK》を、復活させることになるなんて―――


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