開けない夜は無い
まさぼん
君たちは同一人物か?それとも…
もう、何日目であろう?朝が訪れない1日の始まりを迎えるのは。
駅周辺のビルの薄明かりに照らされた空には、辛うじて冬の星座がぽつぽつと見える。
轟轟という音を轟かせて、頭上の暗黒という名の天井の空は、渦を巻いている。
時空のゆがみを来すのか、もしくはブラックホールの入り口で吸い込もうとしているのか、渦は不気味に、日に日に近づいて来ている様に思えていた。
今や、テレビは疎か、ラジオも、ネットのニュース配信もストップしている。
起動しているのは、中小企業の小に属する工場の機械生産くらいだ。発注元の企業では生産レーンが完全に停止しているのに、それにも関わらず、機械を動かして下請け生産を行うプライドを持った下町エンジニア。彼らは、太陽が昇らない真っ暗な中でも、9時―17時で働いている。
プライドを持って働いているのは、下町工場のエンジニアだけではない。
公共交通機関でこそ運行はストップしているが、個人タクシーの運転手さんは客を運んでいる。
ごく少数の職務を熟す者たちの存在で、なんとか社会が機能している様に思えていたが、現実は、
街は、崩壊している。
ネットの通信状況も悪くなってきた。咲良はスマホを握り、夫の健一にラインでメッセージを送ろうと試みているが、繋がらない。
咲良が、一番最後に見たSNS上には、ある言葉が拡散されていた。
「日本は危ない!北へ逃げろ!!」
プライドを持って今日も仕事に出かけて行った健一の帰りを、しびれを切らして待っていた嫁の咲良は、悲痛に訴えた。
「健一。仕事なんてしても意味はないわ。北へ、北に逃げましょう。」
「ああ、そうだな。」
健一の生産した製品は、
運送をボイコットした宅配業者に引き取られること無く、工場の隅っこに積まれ、ゴミ箱の中のゴミの様に、場所を取っていた。初めは隅っこだけに留まっていた生産製品の山は、今や、溜まりに溜まって、従業員3名と工場長の立つスペースを侵す程の領域に広がっている有様となっている。
「日が短くなったわね。」
初めは、近所の奥さん連中らの間で、仕事を終えたサラリーマンらの間で、世間話程度に、そう話されていただけであった。笑顔交じりに交わしていた会話。あれからもう何日、何週間、何か月が経った事であろう。
何度も説得を試みてきた咲良の意見を、軽くかわして仕事を続けていた健一だったが、やっと重い腰を上げて、日本から北へ逃げる意志を示してくれた。ホッと安堵のため息をついた咲良は、
「早速、行きましょう。シリアルなんて食べるてる場合じゃないわ。今。今すぐ、ここを出ましょう。食事は北に着いてからよ。」
と、急かした。
「ああ、そうだな。何か飯らしいものが食いたいな。」
健一が、非常用に備蓄してあったシリアルから口を離して、食卓から立ち上がった。
底をつきかけた食料と飲料を含めた防災グッズが詰まったリュックを咲良が背負うと、健一は一旦その場を離れた。そして、さっき脱いだばかりの工場の作業着のポケットの中をまさぐり、中から分厚い封筒を取り出して、咲良の元へ戻ってきて渡した。
「工場長が、「社長から」って、今日の帰り際に渡してくれたんだ。これ、何かの足しになるかな。」
封筒の中には100万円の束が2つ。200万円入っていた。
咲良は、日照時間が3時間程になった頃。街の様子がおかしくなりはじめた頃に、手元に置いておくより銀行に…と、貯金を銀行に全て預けてしまって手元のお金が尽きかけている事を、健一に言えずにいた。
今、全く機能していないATMと銀行窓口の中に、健一と咲良夫妻の全預貯金全が入れられている。通帳に印字された貯金残高230万円超は、偽のお金同様になっている。
今日こそ、今日こそおろせるだろう。と、咲良が何度も足を運んだ銀行。
そこでは、
「お金を渡せ!」
と、声高に叫ぶ群衆が抗議を行っている光景がむなしく目に写るだけだった。
「助かるわ。ありがとう。」
咲良は、健一から渡された封筒を、大切に自分の上着の内ポケットの中に入れて、お礼を言った。
一言で、
“北へ逃げる”
と言っても、どこへ向かって、どのようなルートを辿って行けばいいのかは、ざっくりとした案しか思い浮かべずにいた。
ただ何となく、漠然と、
難破船で北朝鮮へ
ありがちな発想を浮かべていた。
健一・咲良夫妻の車は2台ともガソリン切れだ。ガソリンスタンドは営業していない。
北海道は帯広に住む2人は、十分、日本の中におけば“北”に位置する所に住んでいるのだが、その帯広ですら、最近では人影がまばらだ。
“もっと北へ”
200万円あれば、帯広から、10~20万円かけて、個人タクシーで稚内まで行ける。そこまで行けたら、船は何とか調達できるだろう。
いやまって、
きっと、銀行並みに、群衆が、
「船を出せ!」
と、抗議しているであろう。
到着地点が、北朝鮮であろうが、カムチャッカまでであろうが、海の無い帯広に居ては行けない。それから、個人タクシーに10~20万円かけるのもやめておいた方がいい。この先どうなるのかわからないと状況で、200万に手をつけるのはやめた方がいい。
「健一さん、歩いて港まで行きましょう。」
「ああ、わかった。港ってどこだ?小樽か?」
「小樽でも、石狩でも、どこでもいい。とにかく歩きましょう。港に船がなかったら、海沿いを船に辿り着くまで北に向かって歩きましょう。」
「ああ、わかった。」
咲良が背負った防災リュックを、咲良の肩から下し、自分の肩に背負った健一は咲良の手を引いて歩き始めた。
今は、
何時であろう?
2人の住む帯広駅周辺から、かなり歩いて広大な自然の中に入って見上げた空には、くっきりとオリオン座が輝いていた。
その横に、轟轟と音を立てて渦巻いている暗黒の闇がある。
「一体、あの渦は何処へ繋がっていて、何を日本の国民、日本という国に与えようとしているのか?危ないのは日本だけなのか?北へ行っ…。」
手をつなぎ、並んで歩いていたのは束の間、黙々と健一の前を歩みゆく妻の咲良に向かって、健一は問いかけた。
咲良は、何も答えずに、ひたすら歩いた。健一もそれ以上口を開こうとはせず、咲良の後を着いてひたすら歩いた。
何日歩いたことであろう。
丸2日?いや、体感時間で言えば丸一週間は歩いた。
「休憩しましょう。」
「ああ、そうだな。」
2人は、布団はおろかシュラフすら無い中、べたっと地面に横たわって眠りについた。
何時間眠ったのであろうか?
どっしりと肩や腰、足に疲労感を残して、2人は目を覚ました。
咲良が、腕にしているベビージーを確認すると、朝、真っ暗な朝7時を指していた。本当に朝の7時なのか、はたまた夜の7時なのか、それはオリオン座の位置を方位磁石と照らし合わせて、西側に位置していたので朝の7時であろう、と無知ながらの知で解釈した。
2人は、また歩き始めた。
「海よ!」
「海に、着いたな。」
2人は、手を取り合って、達成感を味わった。しかし、ほんの一時の、その場しのぎの達成感。
辿り着いた海の景色の中には、船の姿も、人の姿も、何も無かった・たどり着くにはたどり着けた2人だったが、
海に着いた。さあ、これからどうしよう。
となると、言葉が出てこなかった。
本当に船がみつかるまで海沿いを歩き続けるのか?もう、身体が限界だ。
2人の身体は悲鳴をあげていた。
呆然と、海岸で佇む2人。
健一が目を細め、凝らして眺めた視界に、何か漂流物が入った。
咲良に余計な期待を持たせない方が良いと思い、咲良には黙って、その漂流物を見つめていた健一が、口を開いた。
「イカダだ!」
咲良の疲れ切った顔が、ほころぶ。健一の顔にも笑みが現れた。
健一が発見した、漂流物は、まさしく、イカダであった。
安堵した2人は、からからの喉をしていた。少しでも喉を潤そうと、防災リュックの中の飲料水を取り出し、飲もうとした。
「ちょっと待って。」
そう言い、咲良が確認した飲料水の残りは、そこまで来た道中に酌んだ雨水を含め、残り500ミリリットルのペットボトル1本分に満たなかった。
これからの船旅、いや、イカダで漂流する旅の上で、2人が自己判断で思うところの限界が来るまで水分補給は我慢しよう、と、1度開いたリュックの口を、2人は2人で閉めた。
天井の空も、轟轟とうなっているが、真っ暗闇の中で、時にはさざ波、ほとんどが大きく押し寄せては引き、また、押し寄せてくる波の音も、それに匹敵するくらい、轟轟とうねり、音を立てていた。
小さなイカダ。
人の手で作られたものには間違いない。丸太と丸太をロープで繋いで会場に平面を与えてくれているイカダ。小さなイカダ。
2人は、波に飲まれて振り落とされないよう、互いの身体を支え合って、イカダのロープを握り、漂流した。
突然、2人の頬が何かに強く打たれた。
けたたましく次から次へと頬以外にも、お腹、背中、腕にも何かが強くあたる。
「何?雨?」
「魚の群れだ。トビウオか何かじゃないか?しっかり摑まるんだ。」
健一は、そう言って、咲良の身体から手を離した。
離した手で、健一は、魚を捕まえ始めた。
咲良は、健一が何をしているのかさっぱり把握できなかった。
「危ないわ。ロープに摑まっていて!」
咲良の投げる声は、空の渦の音、波の音、魚の群れの飛び交う音にかき消され、健一の耳に届かなかった。
健一は、自分と咲良の顔や身体に打ち付けてくる魚の群れの中から、一心不乱に手探りで1匹また1匹と魚を捕まえてリュックの中に入れた。
イカダが大きく揺れる。
その上で、何の支えにも摑まらずに、健一が中腰で何かをしている。
咲良は、暗闇が続いてから、もう数か月経ち、暗闇の中でも大体の物を目視できる様になった視力の態勢のおかげで、ようやく健一が何をしているのか見えた。分かった。
咲良の身体に打ち付ける魚の群れと、高くうねる波。
轟轟。
健一は魚を捕まえている。食料だ。
帯広の家で、災害時用備蓄品で賄っていた食事は、缶詰と、レンジで温めるごはん。最初はそれでしのげていた。ごはんが底を付き、インスタントラーメンに変わった。カップ麺も底をつき、置き換えダイエットをしようと買いこんで放置していた粉末の酵素の水割りを飲むようになった。それだけでは、空腹が満たせず、そこら中の棚という棚を開けて探し出したダイエット用低カロリーシリアルが、最期に残った食べ物と呼べる物だった。
この置き換えダイエット食が、主な食事となるに至り、
現在は防災リュックに入っていた乾パンを食している。
最後に食べたのはいつであろう?
乾パンも、底をつきそうだった。飲料だけではなく、食料も必要になっていたのだ。
魚の群れとの遭遇の中、渦を巻く暗闇の空から、恵みの雨が降って来た。
咲良は、健一が魚を入れているリュックを自分の方へと手繰り寄せ、中から空のペットボトルを取り出して、キャップを開けた。
健一が食料を取り、咲良は飲料を手に入れる。チームワークの良いコンビプレイを暗黒の中行った。生きる為に。生き抜く為に。
魚の群れが去るのと同時に、大きくしけっていた波が穏やかになった。変わらないのは暗闇。
2人は、
「闇鍋でもしたいね。」
等と、笑顔を浮かべ、言い合い、まだピチピチと跳ねている生の魚をムシャムシャ噛り付いて食べた。
咲良が、無くさないように大切にポケットの中に入れたキャップで、きっちり口を閉めた雨水が入ったペットボトル5本。そこから。2人は1本ずつを飲料水として、飲んだ。
あと、何日か。これで持つ。持ってくれ。持つ間に陸に漂着してくれ。
2人は、久しぶりにお腹が膨れ、喉も潤い、うっかり交代にでなく、同時に眠ってしまった。ハッと我に返り起きた健一は、咲良がそこにいるか確認をした。咲良の姿を見てホッとしたけれど、よく見ると咲良の顔色が悪い。暗い中でも青白いのが見て取れる。自分の身体の様子も何か変だ。健一は、咲良を起こした。
「大丈夫か?」
脂汗を浮かべる咲良の身体を起こし、抱きあげようとした瞬間、咲良は嘔吐した。
何日も飲み食いしていなかったのを、急に食欲に身をゆだね、欲するがまま食べた魚。満腹感は束の間で、身体は、ショック症状を起こしたようだ。健一も、海の中へ嘔吐した。便もゆるくなっている様だ。お腹がぎゅるぎゅるしている。
2人は、イカダに乗ってからも、乗る前の帯広から海岸に出るまでの間も、互いの前で、おならをしたり、排便・排尿をする事はしなかった。2人の間の暗黙のルール。どちらかが、排泄行為をしている時は、目を反らす。そういう夫婦関係であった。
だが、状況は、そんな事を言っていられる場合では無い。
「健一…。」
青白い顔に脂汗を浮かべた咲良は、ズボンを下ろし、排泄しながら、嘔吐し、繰り返している。健一も、同様だ。
「あれ…、蜃気楼?」
「いや、陸だ。」
「嘔吐と下痢の繰り返しで、幻が見えているだけでしょ…。」
「違う。違う、陸だ!咲良!着いたぞ!」
空を見あげると、頭上の頂点にあった渦巻が、少し横にそれている。様な気がした。いや、それていた。轟轟という音も、気持ち程度だが、遠くに聞こえる。いや、遠くで鳴っている。
北に、着いたのだ。
2人は、彷徨う事何日であろうか。
北の陸に着いた。助かった。
現地の住民が海岸にいた2人を見つけると、手慣れた様子で宿泊施設であろうか、スーパー銭湯の様な施設、何かしらの施設の中に、それぞれを抱えて連れ込み、介抱してくれた。
暖かい部屋のベッドの上で目が覚めた咲良は、健一を起こさないように、ガッツポーズをして、部屋のカーテンを開けて外を見た。真っ暗だ。きっと、夜中なんだろう。そう思い、咲良はもうひと眠りした。
咲良が二度寝したのと入れ替わりに起きた健一は、咲良と同じようにまた、咲良を起こさないように小さくガッツポーズをして、窓に閉められたカーテンを開け、外の様子を伺った。暗い。まだ、夜なのだ。もうひと眠りしよう。
2人は、深い深い眠りに落ちていった。
何語だか皆目見当つかない言語で、2人に呼び掛ける現地住人の声で眠りは覚めた。
白濁した青い瞳を持つ老婆が、2人の前に立っていた。何か話している。
多分、
「着いてきなさい。」
と言っているんであろう、と、アイコンタクトで会話を交わした健一・咲良夫妻は、老婆に導かれるまま後を着いて、長く入り組んだ廊下を歩いた。
着いたところは、
プール、
の様だ。
大きなプールがドンとあり、足元に横たわる様に小さいプールが横向きにチョコンと置かれている。
小さいプールの中で、幼い女の子が1人黙々と泳いでいる。2人は泳ぐ彼女を見ていた。一体全体、どれだけ長く泳ぎ続けられるのやら。黙々とクロールで2回に1回息継ぎをして泳ぎ続ける少女に、2人は見入っていた。
小さいプールの全体を、思い出したかのように眺めてみたら、黙々と泳ぐ少女と同じ水着を着て、同じ髪色をして、同じ年ごろの少女がプール際の飛び込み台の上に中腰に立って、泳ぐ少女を見つめていた。
「双子?」
「入れ替わってるのかな?」
「長いよね、泳ぎ。」
「ああ、あんなに小さい子がこんなに長い時間泳ぐとは思えないね。」
「入れ替わってるんだ。」
「そうだね。」
2人は、大きいプールに目をやった。
そこには、
双子が2組いた。
小さいプールの彼女ら同様。1人がひたすら泳ぎ、もう1人は、それを中腰で眺めている。
大きいプールの双子の1組は、30台前後の黒い髪色をした赤に青のストライプの入った長めのパンツの水着を履いた男性の双子。もう1組は、初老の茶色い髪色をした小太りの女性2人。水着は、細かいピンクの花柄だ。
ひたすら泳ぎ、ひたすら眺める。
そのプールの中には、3組の双子がいて、そうしていた。
ひたすら、永遠に。
プールに連れてきてくれた白濁した青い瞳の老婆が、2人の元へやってきて、何か話し始めた。アイコンタクトで、健一と咲良は、
「水着に着替えて泳げ。だね。」
会話を交わした。
そして、老婆の後に着いて、更衣室へ入り、水着に着替えた。
男専用更衣室でもなければ、女性専用更衣室でもない。更衣室で、2人は着替えた。用意された水着に対して、特に何も思うことなく着替え終えると、待っていた老婆が、プールへとご丁寧に、また、案内してくれた。
更衣室にも、プールにも、鏡はなかった。
2人は、プールにいた3組の双子と同じように、周りの人から見ると双子に見えていようとは思いもしないで、咲良が泳ぎ、健一が眺める。健一が泳ぎ、咲良が眺める。咲良が泳ぎ、咲良が眺める。健一が泳ぎ、健一が眺める。
2人が、1組の双子になって泳ぎ終えた後、施設の屋外に出ると、空に、太陽が昇り始めていた。
開けない夜は無い まさぼん @masabon
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