第1話 蛇と蛙

 思えば人からは「変わっている」と言われて過ごした中学時代だったように思える。

 そんなふうに語り出してしまえばそれ相応の変人紀行記でも綴ることになりそうなものなのだけど、私はそれでもやっぱり自分を変だとは思ったことは一度もない。

 ただ、普通に、普通すぎるほどに、真っ当な学校生活を送っていただけだ。


 ただ周りに溶け込んでいたかと言えばそうでもなくて、よく言えば少し浮いていた。悪く言えば馴染めないでいたのは自分でもわかる。


 昨日見たテレビの話題も、今人気のアイドルの話も私にはどうにもピンとこなくて。SNSで人気のダンスも、スイーツも。ネットで騒がれているあれやこれやにも、ついていけない。興味がない。わからない。

 だから、なんとなく曖昧に頷いているうちに友達は離れていって、なんだか、お腹の下の方がジクジク痛んで、苦しくて。

 そういうのはなんていうか、嬉しくないから、自分から一人を選ぶようになっていって。気がつけば人との話し方を忘れてしまったように、黙っていることが多くなった。


 騒がしく、目まぐるしく回る教室の中、一人、読書に浸る。

 それが私の日常だった。


 私のお小遣いには限りがあルカら、図書室や市立図書館で借りてきた文庫本だ。ライトノベルに手を出すと「オタクだ」って目で見られる気がして、あまり目立ちたくなかったから、一般文芸と呼ばれるものにして、その上からブックカバーを被せて。

 自意識過剰だと思う。

 オタク趣味だからって揶揄われるようなこともないだろうし、誰も私のことを気にしない。


 それでも、外の世界の音は耳障りだった。

 耳障りだと思う程度には、周囲のことが気になってしまっていた。


 物語の世界へ、小説の中身に集中できればいいものを、……私には、その才能すらなかったらしい。


 ただ、本の文章を目で追って、聞こえないふりをして。本当に耳を塞いでしまえればどれだけ楽だっただろう。

 イヤホンで耳を塞ぎ、机に突っ伏して、やり過ごす。


 そんな想像をして、それはそれで暗闇の向こう側の世界が気になって仕方がないんだろうなって思うと、実行には移せない。


 少し席を離した隙に他の人が私の席に座っていたりすると、どうしようもなく胸の底が苦しくなる。

 泣きたくなる。

 なんで。そうなるのかなんてわからないけど。悔しい。

 ぎゅっと下唇を噛み締めて、踵を返して、あてもなく校内を歩き回る羽目になる。


 だけど、いざ教室の入り口で踵を返して予鈴が鳴った。

 ほっとした自分がいる。

 無言で自分の席に戻っておしゃべりに夢中の名前もわからないクラスメイトに視線を落として、「なんとなく」席を返してもらった。


 私の日常。学校生活。


 高校生ってもっと楽しいものだと思っていたけど、どこで躓いたのかやっぱり私には良くわからない。


 小学生の時はまだ友達がいたような気がする。小さい頃からずっと一緒だった幼馴染とか、近所の子とか。

 今とは違ってそれなりに人と話せたはずだ。

 なのに、いまの私は独りだ。廊下で顔見知りの人を見るだけで緊張する。

 向こうは全然気にしてないみたいで、「よっ」とか声をかけてくれるけど。

 ……いや、それももう、だいぶ前の話かな。私がそういう人を見かけるたびに避けるようになっていたから。いつの間にか。向こうも気には止めてくれてるようだけど、今はもう、声もかけてくれない。

 声をかけてこないことに安堵している癖に、変に気遣われているのかもしれないと思うと、それだけで苦しくなる。


 わからない。どこで間違えてしまったんだろう……?


 幸いにも、学校の授業はそれほど難しくもない。


 毎日先生の話を聞いて、予習復習を欠かさずやればついていけるし、テストの点も平均点より少し上をキープできてる。

 進学校だから心配してたけど、平気だった。

 だけど、お腹は痛む。じりじりと。嫌な傷み方をずっとしている。

 俯いてしまうほどにキリキリと締め付けられるようにねじられて。これ以上変な子だなんて思われたくないとか思ってるからそれでも我慢して。

 虐められてるわけじゃない。そんなに仲の良い子が居たわけじゃない。

 ただ独り。自然と孤立した。私が教室にはいるだけだった。


 そんな私にも唯一、居場所と呼べる場所はあった。

 文芸部だ。


 図書室の隣、図書管理室と掲げられたプレートの下に「文芸部」と筆で殴りかかれた板がぶら下がっている。

 なんとなく、他の部活ではうまくやれる気がしなかったから入ったのだけど、私の他に部員はいなかった。

 私が入らなければ廃部になっていたであろうというのは担任の話で、私自身、幽霊部員になっているから特に活動内容とか、ない。部長会議とかには呼ばれるけど、生徒会からのお知らせを受け取るだけで特に仕事とかはなくて、活動の実績がないから廃部とか、そういった“物語的な”起伏もなく、ただ、部室の鍵だけが私を文芸部だと証明する手段だ。


 その鍵も、本来の目的で使用されることは滅多にない。

 他に部員もいないのだから、部室に足を運ぶのは昼休みにお弁当を食べるのに使うぐらいで、放課後、足を向けることはまずない。


「だから失敗したのかな……」


 中庭を楽しそうに話しながら横切るテニス部員たちの姿が目に入った。

 ほとんどが知らない人たちだけど中には教室で見たことがあるような無いような、そんな子もいる。


「はぁ……」


 いや、そうじゃないってことは自分が一番良く知っている。

 多分、文芸部に先輩がいても私は変わることはできなかっただろう。

 私の人付き合いの不器用さは、私自身の欠陥なのだから。

 きっと、先輩がいたところで――、


「…………あれ?」


 放課後。昼休みに文芸部に置き忘れてきたお弁当箱を取りに戻ると人の気配があった。鍵は掛けたはずだ。

 先生、かな……。


 文芸部は図書管理室を間借りする形で存続されている。

 だから、私がいない時に先生が中で資料を探していたりすることがって、そういう時はそっとタイミングを外したり、帰ったりする。


 だから今日も、しばらく時間を潰して、あとでお弁当箱は回収すれば良いやって思ったんだけど、なんだか部屋の中から甘い香りが漂ってきたような気がして、その香りに導かれるように私は扉を開けた。


「……へ」


 開け放たれた窓から吹き込む風に、長い髪が揺れていた。

 ストローを口に咥え、イチゴ牛乳を片手に私とは一番縁遠い女子生徒が窓際の席でなにやら文庫本に目を落としていて、私に気がつくと目を細める。


「ぇ、あ、え、えっと……」


 そんな射殺す視線に、私は、蛇に睨まれた蛙のように、動けなくなってしまって。


「あんた、なに?」


 その言葉に、呼吸すら忘れてしまったのでした。

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