4.死体の作者
あの日、阿佐美の工房を抜け出した影浦と月城は階段を上がり家の玄関を目指した。上りきると書斎のような部屋に出て、その部屋を出るとリビングに出られた。
電気のついていないリビングはどことなく薄暗く感じられたが、夏の夕暮れはまだ明るい。
よく見回してみると、全てのカーテンが閉じられていた。
阿佐美はこの状態で過ごしていたのだろうか……と影浦が考えていた矢先、月城が突然床にへたり込んだ。
「ちょ、ちょっと休憩して……いい?」
今更になって腰が抜けたらしく、とりあえずソファに彼女を座らせた。
そしてそれから全ての部屋をチェックしてから、家の中は完全に無人だと影浦は確認した。
その確認を終えて、彼は書斎のドアへ手をかける。
「悪い、包帯落として来たから取って来ても大丈夫か?」
「うん。あたしは全然」
「誰もいないから大丈夫だとは思うんだが……走って取ってくるから待っててくれ」
「わかった」
影浦の左手からは未だに血が流れ続けており、包帯で縛ってしまいたいと考えた影浦は再び工房へと戻った。
その出血量を月城も心配していて、阿佐美も拘束しているし影浦なら大丈夫だろうと判断して彼女はリビングで待つことに。
影浦が阿佐美を殺しに戻ったとも知らず、彼女は自分の気持ちを安定させることに集中していた。
階段を駆け下りた影浦は迷うことなく工房へ再び足を踏み入れ、地べたに落ちている自分の包帯を拾い上げる。
突然戻ってきた彼の姿を、阿佐美は弱々しく笑いながら眺めていた。
「呑気だねぇ……のこのこ戻って来ちゃって」
「……」
だが影浦は答えることなく、ポケットから手袋を出すと右手にだけそれをはめて床に転がるナイフを手にする。
一体何をするつもりだ? と訝しんでいた阿佐美だったが、影浦が自分の元へ歩み寄り、自分を仰向けに転がしたところでまさかと気付いた。
しかし、気付くのが遅すぎた。
「ま、まさか……おまっ」
喚かれる前に手早く喉にナイフを突き立てる。
ざくりと音を立てたナイフをそのまま横へスライドさせると、一本線の傷口からは止めどなく血が溢れて来た。
影浦は無表情のまま、淡々とその作業をこなす。
「かっ……げう……」
驚いた表情のままの阿佐美はパクパクと魚のように口を動かし何かを訴えようとしていたが、影浦は全く取り合わずに彼の服を適当に切り裂く。
露出した胸の中心に人差し指を置いて、そこから数センチ右へずらし、狙いを定めるとナイフは迷うことなく肌の上を滑った。
ぷつぷつという音と痛みが阿佐美を襲い、またどうして影浦がこんなことをするのか理解出来ない混乱に飲み込まれる。
どうして、彼は人殺しを嫌悪するような少年だったはず……と。
やがて阿佐美の開胸が終わると影浦は立ち上がり、工房の作業台の棚を一つずつ開けてあるものを探した。
そして阿佐美自作のナイフとフォークを見つけると、それを手に再び阿佐美の元へと戻る。
美しく切り開かれた胸の中には規則的に、芸術的に並んだ肋骨が。
そしてその向こう側でトクトクと脈を打っている拳サイズの真っ赤な心臓。
肋骨の上に丁寧に、そして素早くナイフとフォークを添えて、心臓の脇を飾る。
「な……んで……」
全ての作業を終えて腰を上げた時、阿佐美が何とか声を絞り出した。
問われた影浦は、怒りも悲しみも、同情も慈悲も嫌悪の表情すらも見せず、ポツリと答える。
「美しくない死体を作る殺人鬼なんて目障りだ。それに、あんたは日和を殺そうとした」
「ひ……り……?」
掠れてほとんど聞き取れない声でもまだ阿佐美は質問を続ける。
そうしないと死んでしまう、喋り続けていないと……と思い込んで、言葉になっていない何かを唱え続けている。
だが影浦はそんな阿佐美を見て顔をしかめ、去り際にこう吐き捨てた。
「美しく殺しても、元が駄目なら意味ないな」
回収した包帯を左手にきつく巻いて、巻き終えると右手の手袋を外してまたポケットにしまい込んだ。
また駆け足で階段を上がってリビングへ戻れば、月城が安心した顔をこちらに向けていた。
「この通り」
「よかった……あたしももう立てるから、出よう」
そのタイムロスがあったからか、阿佐美の家を出ると綾子達は既に到着していて、影浦達は合流したのだった。
***
影浦は顔を上げ、もう一度化粧室の鏡に映る自分を睨んだ。
こんなこと間違っている。
どうして俺は人を殺して、常に殺人衝動に駆られ続けて、阿佐美を……殺人鬼を殺して、スッキリしているんだ?
そう感じている自分に混乱し、あの日から自己嫌悪が消えてくれない。
理性はそれらが悪いことだとわかっているのに、本能はそれらが間違っていないと思い込んでいるのだ。
自分の意思でどうして阿佐美を殺したのか、どうしてあんなに「捕食者」と全く同じ殺し方を出来たのかがわからない。
ただそうしなければと思っただけでは正当な理由にはならない。
(警察や綾子にもバレてない……なのに、どうしてだ? どうして月城は俺に何も聞かない?)
一度戻ったことを知っているのは月城だけなのに、彼女は影浦を疑うこともそれについて触れるような発言もしてこない。
意図的なのか……と疑いたかったが、彼女のあの真っ直ぐな目は彼女の心を全てさらけ出しているということは重々わかっている。
(まさか……俺は人殺しなんてしない、なんて思ってるんじゃ……)
不死原には軽蔑の姿勢を見せていた彼女は、影浦に対しては今までと変わりない。
そんな間抜けなことがあるか? と影浦は何度目かわからないため息を吐いて、化粧室を出た。
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