9.手向けの侮辱

 影浦はナイフの刺さる血塗れの手を勢いよく引き、器用に阿佐美の手からナイフだけを引き抜いた。

 影浦の手に覆われた阿佐美の右手も血に濡れ、それを潤滑油の要領で利用したのだ。



「!?」



 まさかそんな芸当をするとは考えていなかった阿佐美は驚いたが、すぐに壁にかかる工具へと手を伸ばした。

 影浦は反対の手でナイフを引き抜き、それを構える。

 そして踏み出す前に、自分に言い聞かせた。



(殺すのが目的じゃない、捕まえるんだ……俺は)



 不死原のようにはいかない、とナイフを握り締めて阿佐美へ突っ込む。

 だが阿佐美も壁からレンチを取ってそれを影浦目がけて振りかぶった。元々車庫用の物置部屋の為、工具なら一通り揃っている。

 レンチが影浦の頭に、ナイフが阿佐美の脇腹へ迫った。

 だがその時、大きな音と声が同時に上がる。



「影浦君止まって!」

「!」



 首を捻ってその現場を見ていた月城は声を上げ、椅子に縛り付けられたまま体重を横へ一気にかける。

 すると大した支えもなく固定もされていない椅子は簡単に傾き、そのまま阿佐美を巻き込んで勢いよく横転した。



「いっ……!」



 阿佐美と月城から呻き声がもれ、椅子が地面に叩きつけられる音が工房に反響し耳をつんざく。

 月城の声により踏み止まった影浦だけは被害を受けず、ナイフを握ったままその瞬間を見ていた。



「邪魔をっ!」



 打ち付けた体を抱えながら阿佐美はレンチを月城へと振り上げる。

 しかしその腕は影浦に掴まれ、あっという間にねじ伏せられてしまった。



「俺の右腕に触るな! 芸術品を作る腕だぞ! 折りでもしたら……」

「何だって言うんだよ」



 喚く阿佐美の腕をミシミシと締め上げる。

 そうすると彼は更に声をあげて抵抗する力を強めたが、その間に月城は椅子ごと引きずって反対の壁側へと移動していた。

 大の大人を押さえるだけで影浦も手一杯だったが、阿佐美の言葉を聞いてあることを思い出した。



「そういや……あのナイフとフォーク、いつ作ったんだ?」

「はあ!?」

「教員室に飾ってあった彫刻、アレを被害者の心臓に刺してたんだろ?」



 そんな話を切り出すと自分の作品のことだからか、阿佐美は怒るのをやめて驕り始めた。



「何だ……キミも見たのか。そうさ、アレをいくつも複製して作品の著名にしていたんだ。俺が作った死体だっていう印にね! 彼女の分もそこの引き出しに入ってる」

「へぇ……」



 しかし影浦の反応を見て、阿佐美は顔を歪めた。

 自分から話を振ったくせに、どうしてそんなに興味の無さそうな顔をするんだ……と。



「いや、不死原に言われた言葉を思い出したんだよ。あんたの作品の評価」

 評価、という言葉に阿佐美の体が揺れて反応した。

 しかし彼の望む評価など下るはずはなかった。

「俺はてっきり、市販の銀食器だと思ってた」

「なっ……」

「〝俺にそう見られるってことは、あんたもだったってワケさ〟だってよ」



 芸術家として、美術に携わる者として……これ以上のない侮辱。

 阿佐美はその怒りを影浦にぶつけようと起き上がろうとしたが、それを察していた影浦に背中を膝で踏まれてしまいそれは叶わなかった。



「あの……影浦君、忙しいとは思うんだけど……」

「?」

「これ、切って……」



 いつの間にか近くまで這いずっていた月城は目一杯こちらに両腕を差し出していた。

 ロープがどうにも外れないらしく、ナイフで切ってくれというジェスチャーだ。


 阿佐美をどうにか拘束したかったが道具が手元になく、影浦は月城の腕のロープをナイフで切ると、それを今度は阿佐美の拘束へと使うことにした。

 もちろん拘束時にも阿佐美は抵抗してきたが、寝ている体勢からの抵抗は虚しく、影浦は彼の腹に膝を載せて縛り上げることに成功した。

 ナイフを渡した月城も残ったロープを自分で切り、椅子から解放される。

 彼女はよろめきながらも影浦の元へ歩み寄り、足の分のロープも使えないかと渡して阿佐美を完全に拘束した。

 自分の腕や脚を切断しない限り、拘束は解かれないだろうと影浦は一安心する。



「大丈夫か? 何かされたりは……」

「ううん、何もされてないから大丈夫」



 犯人を捕らえた影浦はすかさず月城の身を案じたが、月城はつとめて平気だと主張した。



「何とか時間稼ぎしなきゃって思ってたら、影浦君が来てくれたから……」

「そうか……」



 先程まで張り詰めていた緊張が徐々に解けていく。

 そんな影浦の顔を眺めながら、月城は今はまだ話すまいと言葉を飲み込んだ。

 「捕食者」が自分に執着している理由、去年阿佐美と接触していた事実、阿佐美が殺人鬼になってしまった原因……。

 まだその話はしなくていい、今はまだ……。

 せめて綾子達と合流してから、と月城は自分の両腕を強めに握った。

 そんな彼女を横から見ていた影浦は、一拍置いてから声をかける。



「本当に大丈夫か?」

「ううん! 大丈夫! そ、それより綾子君に連絡入れたって……」



 月城の声を着信音が遮り、影浦がスマートフォンを出すと綾子から電話がかかって来ていた。

 地下だというのに繋がるものだな、と電話に出る。



『あ、よかった、やっと出ましたね~』

「取り込み中だったんだ。で、今どこだ?」

『もう少しでそちらに着きますよ! 月城さんは……』

「あたしは大丈夫」



 向こうに聞こえるよう大きな声で返事をすると、綾子は「よかったですね~」と安堵の声を漏らしていた。



『警察もそろそろ着くと思いますんで、えーっと……阿佐美先生の方は』

「目の前で床に寝てる」



 言いながら影浦は阿佐美を見下ろし、阿佐美もやけに静かにそこに寝ている。

 先程までの怒りは何処へ行ったのだろうか、と月城は不思議に思った。



『あ~じゃあとりあえずお二人は外に……出られますか? 先生と一緒にいない方がいいとは思うんですけど……』

「家の外にいればいいんだな?」

『はい。よろしくお願いします~』



 電話を切り、その旨を月城に伝えて二人は工房を出ることにした。

 ここから地上に出るには車ごと上に上がるか、普通に階段を上るかのどちらかだ。

 工房を出て上へ続く階段の方を見ると、ドアがわずかに開いていた。



「あそこから上に出れるかな?」

「多分そうだろ」



 影浦はドアへ近付いて中に頭を突っ込んでみたが、一階への階段が続いていた。

 外からの光が一切届かない場所の為、壁には小さなランプが一定間隔でつけられている。電源は入れっぱなしだ。



「……多分上には誰もいないだろうし、仲間がいそうな奴にも見えないしな。大丈夫だろ」

「じゃあ、上がろうか……」



 そう言いつつも月城の視線は自然と工房へ向いていた。

 いくら殺人鬼と言えど、自分達の教師でもあった阿佐美を心配しているような彼女の眼差しに、影浦が釘を刺す。



「自殺するような奴じゃない」

「その心配はしてないけど……」

「芸術家気取りのただの殺人鬼だ。どうせなら自殺するより世間に名を馳せる方を優先させるだろ」

「……うん、そうだね」



 あのままでいいのだろうか……と月城は考えていたが、影浦の声を聴いてすぐに踵を返した。

 影浦は殺人鬼という者を嫌っている。

 阿佐美に向けられた彼の嫌味な声音に、月城はそれ以上何も言わずに彼について行った。

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