8.過去の敗北


 二つの工房は学校からも阿佐美の自宅からも徒歩で行ける距離だが、車で移動した方が早い場所。

 しかし、学校から一番近いのは阿佐美の自宅だった。

 どうせ人手は足りているし、更に百合の一声で車がすぐに用意された。

 綾子は工房Aへ行き、百合は工房Bへ……。

 不死原は興味がないと言い勝手に帰って行ってしまった。

 付き合わせる必要もなかったし、影浦にとってはむしろ付き合わせたくなかった。仮に彼が月城を発見したとして、無事に助けるかどうか怪しかったのだ。


 影浦は阿佐美の自宅を一目確認してすぐに百合の方へ合流すると言ったのだが、実際に阿佐美の家に来てみると違和感を感じた。

 マンションにでも住んでいると思っていたのに、阿佐美は友人の家に同居していた。

 更に隣人に話を聞けば、その友人は県外へ研修に出て行ってしまい、阿佐美に貸しているというらしい。

 その友人が、「貸す代わりに家賃を徴収出来るから儲けもんだ」と自慢をしていたそうだ。

 二階建てで細長い、デザインに凝った一軒家。

 しかし敷地内に駐車場は見当たらなく、どこに車を停めているのか辺りを見回す。



「簡単な話だよな。こんな敷地の狭い家、地下にガレージを作らないでどうすんだ」



 玄関の郵便受けに手を滑り込ませるとリモコンが入れられていて、それを押すと壁だと思っていた部分がシャッターのように上がっていった。

 そこには阿佐美の車が停められていたが、車庫内には更にボタンがついている。

 警報が鳴るかは一か八かだったが、そのボタンを押すと車はゆっくりと下へ下がって行った。

 そこに飛び乗り地下まで下りると、そこにあったのは車の整備が出来るような広い倉庫と上への階段。

 そして、物置倉庫であろう金属製のドアが目の前にあった。



「リモコンを郵便受けに突っ込んだってことは、時間が惜しかったんだろ?」



 影浦の言葉に阿佐美は反論しなかった。

 月城も静かに彼の話を聞いている。



「車を下ろしてから月城をこの部屋に連れ込んで、あとは車を上げちまえば気付かれないよな」

「それで?」



 しかし、影浦を挑発するように阿佐美は口を開いた。

 その声に月城はビクついたが、影浦は全く動じていない。



「どうするの? 彼女を助ける為に駆けつけたんだろうけど……どうするつもりかな?」

「綾子にはもう連絡をしてある。警察引き連れて、すぐこの家に来るぞ」

「へぇ……それで」

「お前は逃げられない」

「逃げようなんて思ってないよ、俺の目的はただ一つ」



 阿佐美の手が月城の肩に置かれると、影浦の指先が微かに動いた。



「この子を殺せれば、俺は満足なんだ」

「殺させねぇ、絶対に」

「どうにか出来ると思ってるわけか」



 ふーんと鼻を鳴らして阿佐美はナイフをちらつかせる。

 月城は緊張のあまり黙っているしかなかったが、自分の後ろに影浦が来ていることだけはきちんと認識していた。

 ちゃんと彼は来てくれた、それが何よりも心強かった。



「女の子を救おうという心意気はいいけどさ、俺がナイフを下ろす方が絶対早いと思うけど?」

「解体は出来ないだろ、それでいいのか?」

「そりゃきちんとした作品にはしたかったけど、もうこの際いいよ。捕まるんだったらとにかく殺せれば満足。月城さんの喉からナイフを入れて、お腹を開ければ肋骨と心臓はすぐに見られるし……」



 阿佐美はナイフを持っていない方の手で月城の喉から腹部までを指でまっすぐなぞった。

 自分の身体をなぞる指を、月城はぐっと息を止めて耐える。



「それにさあ、本当にキミに助けられるかな? 影浦君」

「……? どういうことだ?」



 意味深な物言いに首を傾げると、阿佐美は乾いた笑いをあげた。



「だってキミ、『殺させない』とか言いながら『一回死なせてる』じゃん」









 ――日下部くさかべ日和ひよりちゃん、だっけ?









 その名前を聞いて影浦は目を丸くする。



「……その、名前……」



 すっかり動揺しているのが声を聞くだけでもわかり、彼の顔が見えない月城にもそれは伝わった。

 そして彼女もまた、その「日和」という名前には聞き覚えがあった。



「その両手の包帯がまさしく死なせた証拠だろう? 目の前で殺人鬼に幼馴染を殺された、だっけ?」



 阿佐美の指摘を受けると、手の平の傷が疼き始めた。

 どうしてそのことを知っているんだ、ほとんど接点もない教師に……と影浦は立ち尽くす。

 傷の痛みと目の前に殺人鬼と少女がいるその光景とが被り、今まで冷静を保っていた影浦の心が揺れる。



「惨めだよねぇ……可哀想に。あんな風に取り上げられちゃあ……」

「どうして先生が影浦君のこと知ってるんですか!?」



 言葉を発さなくなった影浦の代わりに月城が声を上げた。

 すると阿佐美はわかりきった質問を……と呆れながら答える。



「さっきも言ったろ? 俺はあいつが『捕食者』だって情報を買った。その後に事件のことが気になって色々調べたんだよ……そしたらさ」



 愚かなものや哀れなものを見るような目で、阿佐美は影浦を見下す。



「殺人現場を目の当たりにさせられた少年が生き残った、って。週刊誌なんかに取り上げられてるんだから笑っちゃうよね」



 二年前の事件の生き残りは影浦達五人だが、その中でも一番顔も名前も露出してしまったのは影浦だけだった。

 日和という少女は彼の目の前で殺された。

 そして彼は殺人鬼にその殺害現場を一部始終見せられていた。

 事件直後、精神病院に通っていた影浦から警察が何とかその事実を聞き出せたが、どこかから漏れたのかよりにもよって週刊誌が嗅ぎつけてしまったのだ。

 哀れな少年として誌面は影浦を取り上げ、「捕食者」に興味のある人間には彼の顔が完全に割れているのが現状だった。



「抵抗も何も出来なかった……とか書いてあったけど、実際のところは何もしなかったんだろ? 『捕食者』を目の前にしてビビっちゃっただけとかさ」



 面白い話を披露するように阿佐美は語ったが、月城も影浦も全く笑っていなかった。

 月城はただ影浦の心配をし、影浦は俯いたままピクリとも動かなくなる。

 彼の両手には今も変わらず白い包帯が巻かれていて、敗北を意味するその傷は今でも彼の手の平に刻まれている。



「そりゃその時はキミも中学生だったんだし、ためらうのもわかるよ~。でもビビって腰が抜けて何も出来なかったって、目の前で女の子が殺されてるのにさ。そういうの何て言うか知ってる? 腰抜けって言うんだよね~?」



 いじめられっ子をいじめるように、阿佐美のテンションはどんどん高くなっていく。月城を殺すどころか影浦をいじめることがメインになっているかのように。

 いつまでも俯いている影浦へ一歩二歩と阿佐美は歩み寄り、ナイフで彼の左手を叩き始めた。



「何なら、俺が再現して見せようか? 二年前みたいに。今から月城さんを殺すから」



 影浦は俯き、口を閉ざしたまま手の平をゆっくりと握り締める。

 だが悔しさにも見えた彼の手は、すぐに開かれてしまった。

 その様子を見て、また阿佐美はクスクスと笑う。



「どうせ『今度は死なせない』とか思ってるんだろう? 丸腰のキミに何が出来る? ほら」



 ほら見て、と阿佐美は影浦の手の平にナイフをさくりと突き刺した。

 白い包帯に赤い汚れが滲み始め、しばらくすると指を伝って血が一滴地面に滴り落ちる。



「影浦君!」



 それでも反応のない影浦に、月城は咄嗟に声をかけた。

 ナイフが肉と皮を突き破って痛みを感じるはずなのに、影浦はまだ無反応のまま。

 まるで心ここにあらず、と言わんばかりだ。



「そうだ、それじゃあこうしよう! 警察が来るまで俺は彼女を作品として仕上げていくから、キミはそこで見ててよ!」

「……」

「そうすれば『捕食者』再来、とまではいかないだろうけど……俺の名前も有名になるかもしれない。それと一緒に俺の作品達も有名になれば」



 ぐ、と阿佐美は自分の手に違和感を感じた。

 あれこれ夢を膨らませながら語っていた彼は、自分の手へと視線を戻す。

 するとナイフを持って影浦の手を刺している自分の手は、しっかりと彼の手の平に包み込まれて掴まれていた。

 力のこもった影浦の手からは次々と血液が流れだし、巻かれている包帯もどんどん緩くなってほとんどほどけてしまっている。



「……離してよ、影浦君」



 阿佐美の言葉に、影浦は返事をしなかった。

 ナイフを持つ手に力を加えても、引っ張ってみても、ナイフを動かして傷口を広げようとしてどんどん血が出て来ようとも。

 影浦は呻き声一つ、あげない。



「……離して、くれない? キミと手を繋いでちゃ、彼女を殺せない」



 苛立ちが募って来た阿佐美がいい加減にしろという声音でそう言うと、やっと影浦はあるリアクションをとった。

 阿佐美のことを、鼻で笑った。



「今度は死なせない……とか言ったか? 先生」



 嘲笑を含んだ言葉に、阿佐美は顔を歪める。

 そして手は更に強く握られた。



「死なせないじゃない……。、の間違いだ」

 


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