6.芸術家の嫉妬
「きっと彼は、俺より先にキミに会ってたんだよね」
「!?」
阿佐美の声の変わり方に違和感を覚え、月城は身構えた。
先程まで聞いていた適当さと人懐っこさを含んだ声とは打って変わって、阿佐美の声は肌で感じられるくらいの〝嫉妬〟が含まれている。
顔を上げて月城は彼を直視した。
「捕食者」は月城に好意を抱いていると阿佐美は話していたが、彼は別の好意を抱いているんだとその顔を見ればわかった。
「キミはいつ会ったんだい? あいつに」
「彼」という呼称は「あいつ」に変わってしまった。
「……二年前」
「あぁ、あいつが派手に人を殺しまわってた時か……いいなぁ。でも、俺もあいつに会ったからこうして目覚めることが出来たんだし、あいつがキミを追っていなかったら会えてなかったから……キミに感謝しないと」
わざとらしい笑顔に悪寒が走る。
落ち着いていた心拍数がまた徐々に上昇し始め、月城は息をのんだ。
「あいつがキミを好きだって聞いて、何か嫉妬したっぽいんだよね……俺。俺さ、いつも嫉妬される側だったし? 正直よく自分の気持ちがわからなくてね。だからまずはあいつを調べることにしたんだ」
「調べるって……どうやって」
「世の中、金があればなんでも出来るんだよ」
「捕食者」と出逢ってしまった後、まだ大学生だった阿佐美は自分の中に渦巻く感情に答えを見つけたくて四方八方を当たって回った。
だが彼の情報はどこにもなく、そもそも名前も職業もわからない彼をどうやって調べようかと行き詰ってしまったのだ。
そこで大学のあるサークルにいる怪しい噂の絶えない院生に当たってみた。
するとその院生は快く迎えてくれて、阿佐美をある人物へ紹介したのだ。
「情報屋っていうのは色んなのがいてさ、個人情報の売り買いから詐欺用の口座番号のやり取りもあるんだけど……。犯罪界に精通している情報屋っていうのもいるんだってね」
院生に紹介された情報屋はとにかく金にがめつく、更には現金主義者だった。
バイトで貯めた貯金を切り崩すことには抵抗があったが、それでも自分のこのモヤモヤの正体がわかれば気が済むんだと自分に言い聞かせ。
一度きりのやり取りだと決めて、情報屋に五十万支払った。
「五十万……」
「まず相談受付に現金三十万を持って行かないと取り合ってくれない奴だったんだ。……けど、それ相応の収穫はあった」
その情報屋は金を渡せばきちんと対応してくれて、ようやく阿佐美は知りたかったことを知ることになる。
彼が出会ったあの男はあの「捕食者」という殺人鬼だということ。
そして彼が作った特徴的な死体のこと。
情報屋界隈でも、彼の居場所を突き止めるのは難しいということ……。
「それだけで十分だった。あいつの作る死体は……悔しいけど、美しいとしか言えなかったよ」
情報屋からもらった死体の数々を見て、自分の中のモヤモヤの正体がわかった。
これは〝嫉妬〟だと。
そしてその嫉妬は彼自身、「捕食者」に対して向いているのだと。
得も言われぬカリスマ性、手掛けた死体の美しさ、その数、何もかもが羨ましく……同時に妬ましかった。
「だから、俺もやろうと思ったんだ。俺だって芸術家の端くれ、美しいものはこの手で作りたい……!」
その話を聞いていて月城はあることを思い出していた。
影浦と「捕食者」について話した時、彼は「あいつは人を変える何かを持っている」と言っていたのだ。
「捕食者」に殺されかけた不死原が人殺しになったように、「捕食者」に嫉妬した阿佐美もまた殺人鬼になった。
そしてまた、自分は彼等を呼び寄せてしまった。
「初めの女子高生は、どうして殺したんですか……?」
月城のその言葉に、どうして知っているんだい? と阿佐美は言わなかった。
尋ねられた彼は作業台に載っていた彫刻刀を手に取り、そのことを思い出す。
「今言った通り、俺も芸術品を作りたくなったんだよ。だからまずは消えてもいいものから消すことにしてさ、当時秘密で付き合ってた彼女を作品にすることにしたんだ」
教育実習中の大学生と女子高生が交際していた。
教職に就く以上、いずれは別れなければならない。
だったらちょうどいい。
「初めてだったからえらく手こずっちゃったんだけど、なかなかいい出来だったでしょ?」
「……」
阿佐美は手の中で彫刻刀をくるくると回し、それを壁へと放った。
彫刻刀は回転したまま宙を舞い、壁にぐさりと突き刺さる。
「でね、彼女を殺し終った時に……キミのことを思い出したんだ」
「……」
「一つ作品を作ったことで多少欲求は満たせたけど、あいつへの嫉妬は全く消えない……。どうしてだろうと俺も思ったけどさ、そんなの自分でわかってるんだよ。あいつの作った死体の方が美しいと思ってたから。……だから」
阿佐美は手を伸ばし、今度は壁にかけられているナイフを手にした。
その瞬間、肌が粟立ったのを月城は感じた。
「だから、あいつが欲しがってるキミを……俺が作品にしたら?」
両手を縛るロープをほどこうともがいても肌にめり込むだけ。
焦燥感が体を震わせ、強張らせる。
早く、早く……と。
「でもキミはいつも誰かに狙われる。俺は自分の作品には時間をかける方だから、邪魔はされたくないんだ。それで、いっそのこと練習台にしようと殺すことにした」
一歩、また一歩と阿佐美は近付いて来る。
足のロープもほどけない。
ガタガタと椅子の脚が音を立てるだけで、ビクともしない。
ロープと擦れた箇所が、摩擦により熱くなる。
「キミも見てくれたろ? あの校門に飾った
ヒタ、と首にナイフの峰が首筋に添えられた。
血の気が引き、体の震えがぴたりと止まる。
今、自分がどんな顔をしているかわからなかった。
頭は真っ白で、こんな風に終わってしまうのか……と思考が停止して声も出ない。
ゆっくりと顔を上げると、ナイフの持ち主はこちらを無表情に見下ろしていた。
「……」
視線が交じり合い、空気が張り詰める。
その沈黙の中、噛みしめられていた唇が開くと言葉を放った。
「あたしは、死なない」
芯の通った強い声が空気を揺らす。
無表情だった阿佐美はそれを聞いて、微かに笑った。
「今度はキミの番だ」
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