4.心の闇


 一階の奥まった場所に位置する美術室は夏でも比較的涼しい方だが、更に冷房も効いている為非常に快適だった。



「あー知ってるよ、あのヒト。吹奏楽部の子から聞いたもん」

「何だっけ? 楽器屋さんか何か?」

「そーそー」



 鉛筆が紙に擦れる音が幾重にも重なり、更にそこへ女子生徒達の声も重なる。

 静かな美術室にはわずかな音だけが響いていた。



「確か……外部顧問の知り合いとかで楽器のメンテナンスに来てた人って」

「へ~そうなんですか。やっぱりこういう情報は校内で聞くに限りますね」



 綾子は美術室の中心で椅子に座り、タブレットをいじりながら少女達の声に耳を傾ける。

 そうしていると突然、スマートフォンのアラーム音が彼女達の会話を遮った。



「はーい、じゃあ今日は終わり!」



 美術部部長の女子生徒が声を上げると、部員達は次々に鉛筆を置きながら伸びをする。

 そして綾子も椅子から立ち上がり、あくびを噛みしめた。



「すみませんでした、綾子さん。デッサン会に付き合って頂いて……」

「いえいえ、お喋りOKなら問題ないですよ。欲しかった情報も手に入りましたし」



 喫茶店で影浦達と別れた綾子は学校へ向かったのだが、昇降口で美術部員達に捕まった。

 何事かと初めは困惑したが、デッサン会のモデルをしてくれという話になり……お茶菓子とお喋り(もとい情報収集)を交換条件に快諾したのだ。

 そして経った今最後のデッサンモデルを終え、解放されると百合がすかさずやって来てチョコレートが手渡される。

 美術部員達は活動時に菓子を持ち寄る習慣があるらしく、教壇にはそれ専用の受け皿が置かれているくらいだ。



「綾子君だっけ? いつも女子ばっかりデッサンしてるからさ、助かったよ」

「こちらこそご馳走様です。というか、僕なんかデッサンしてもあんまり女の子と変わらないんじゃないですか? 小柄ですし」

「そんなことないさ。こんな猫背のモデルなんてそういないし」



 そう言いながら歩み寄ってきた部長は綾子の猫背を撫でるのだが、どうにもその手つきがわざとらしく、鳥肌が立った。



(部長さん、体系フェチなので……早く出られた方がいいかと思います)

(そんなフェチいるんですか……)



 時間も潰せたし、欲しい情報も聞けたし、もうこれ以上長居する理由もなくなった綾子は勧められるがまま退散を試みる。

 しかし美術部と接点があるはずもない彼にとってこの空間は少し不思議なもので、いくつものイーゼルに立てかけられるスケッチブックが気にならないはずがなかった。

 見てもよいものだろうかと少々挙動不審でいると、部員達は見たかったらどうぞと快く進めてくれる。



(……僕、クラスでもこんなに誰かと接することもなかったのに)



 入学してから三ヶ月経って初めて、学校で誰かとまともに話すことが出来たと今更ながらじんわりと感動してしまった。

 ただ単純に彼が変わり者であるように、美術部も変わり者しかいないから……という事実は伏せておこうかしら、と百合は綾子の背中を見ながら心配する。



「へぇ~鉛筆一本でこんなに描けるんですねぇ」

「それはデッサン好きなデッサンだからだよ。私は平面が苦手だからデッサン下手だし」

「そんなことありませんよ。僕、絵心がないので尊敬します。……ん?」



 二年生にスケッチブックを見せてもらっていると、その隣のスケッチブックが目についた。

 イーゼルに立てかけられたままで、まだしまわれていないのだが……。



「……こ、これは? どちらの……」

「あ、それはわたくしのです。お恥ずかしい」

「……じょ、上手……です、けど……」



 百合のスケッチブックには先程までのデッサンが描かれていた。

 まだ椅子は描きかけのようだが、綾子のデッサン自体は終わっている。

 ……のだが、引っ掛かる点が一箇所だけあった。

 それを指摘しようか迷っていると、綾子は他の部員に引っ張られて遠ざけらる。



「やっぱり綾子君でも変だと思うよね? 

「い、いや……変と言うか……え? どういうことなんですか?」

「ウチらがいくら言っても直らないというか、何か自覚がないっぽいんだよね……」

「せっかく部の中でも一番上手いのに……何と言うか」

「ホラーだよねぇ……百合ちゃん」



 ひそひそと百合本人に聞こえないよう話すが、部員達の指摘も綾子の抱いた違和感も全て事実だ。

 誰よりも一番上手く、まるで写真のようなデッサンなのに……。

 顔が黒く塗り潰されている。何度も、何度も。



「……僕、嫌われてます?」

「心配しないで。誰がモデルでも写真の模写でもああなるから」

「? どうかなさいましたか?」



 しかし先程部員の一人が言ったように、百合には自覚がないらしい。

 顔を塗り潰したデッサンを彼女はまじまじと見つめているが、自分の描いたその違和感に気が付かないのだ。

 百合を除く部員全員が、彼女にどうにか心療内科を勧めたいんだとこぼしていた。



「綾子君何か知らない? 百合さんと友達なんでしょ?」

「友達―……と呼んでいいものかはわかりませんが……そうですね~」



 大体の原因は思い当たっていた。

 影浦と月城は百合本人の口から直接聞いているが、綾子はとっくのとうに百合の過去を知っている。

 原因は幼い頃からの境遇だろうが、それを綾子が勝手に口にする権利はなかった。

 やはり心の闇というのは絵に現れるのだな……と、綾子は海外の殺人鬼の心理分析結果を思い出していた。



「ところで綾子さん」

「ふぁい?」



 大方の片付けを終えたところで百合が再び話しかけると、綾子はクッキーを口いっぱいに頬張り頬を膨らませていた。

 部長にすっかり餌付けされているようで、これからの彼を心配した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る