7.僥倖の出会い


 彼女を見かけたのは二週間前。

 その日は雨が降っていた。



「あの、これ落としませんでしたか?」

「?」



 駅で声をかけられたのがきっかけだ。

 優しい彼女は、私の落としたパスケースを拾ってくれたのだ。

 鞄の外ポケットに入れておいたのだが、恐らくハンカチを出す時に一緒に出てしまったのだろう。



「あぁ……ありがとう」

「いえ。渡せてよかったです」



 優しい彼女は微笑んでそう言ってくれた。

 一方私はというと、情けないことだが彼女にすっかり見とれていて半分上の空だった。

 靴と鞄は雨に濡れ、教授からの呼び出しメールに辟易としているところに、まるで天使が現れたようだった。



「それじゃあ」

「……じゃあ」



 しかし驚いたことに、彼女をそのまま目で追っていると何と彼女は反対側のホームに行ったのだ。わざわざ落し物だけの為に、私なんかの為に自分が使わないホームまで下りて来たのだ。

 きっとパスケースは改札付近で拾ったのだろうが、私はすっかり感動してしまった。


 あんなに美しく、優しい少女と出逢ったのは初めてだ。

 高鳴る胸が収まるのを待ちながら、恍惚の余韻に浸っていると電車を一本逃してしまったがそんなことは構わない。


 それよりも、電車が去った後もまだ彼女は向かいのホームにいた。

 また彼女を見られたことの方がこの上なく嬉しかった。

 だが他人の目も気にせず私が彼女を見つめていると、彼女の顔には先程の美しさが宿っていなかった。

 一体どうしたのだろうと心配していたのだが、何か心配事でもあるのか……俯いたまま、思い悩む顔から一向に変わらない。


 何かあったのだろうか? 彼女の顔を曇らせるようなことが……。

 彼女は一人でいると、いつもああなのだろうか?

 そう私が心配していると向かいのホームに電車が来てしまい、彼女は行ってしまった……。



「可哀想に、どうして……何が一体そんなに」



 一人問答をしてもその答えが導かれないのはわかっている。

 だが彼女からはこんなにもの幸福感を与えられた。

 また会いたい。彼女に会って、また笑って欲しい。

 私が彼女に出来ることは……私が彼女の前に堂々と現れる為には。



「そうだ、私も……」



 落し物を届けるような、それくらいがちょうどいいんじゃないだろうか?

 そう閃いたのと同時に、スマートフォンがうるさく鳴り響いた。

 メールだけでは飽き足らず、教授は電話でもまだ文句を言いたいらしい。



「……もしもし」

『メールは十分前に出したはずだが? 今どこにいるんだ』

「申し訳ありません……雨が降り始めてしまって。それに、そちらまで電車で四十分はかかりますので……」

『言い訳はいいんだよ、君の言い訳はもう聞き飽きた。そんなことを言っている暇があるなら必死にこちらまで向かわないか』

「……申し訳ありません」

『謝罪こそもううんざりだ。行動で示しなさい』



 そうして電話は一方的に切られた。

 しばらくすると電車が到着し、渋々私は教授の元へと向かうことにする。

 こんなことをする時間があるなら、彼女の為になる時間にしてしまいたいのに……。



「……そうだ、あの教授もプレゼントには弱い。彼女ももしかしたら……何かプレゼントしたら」



 ただ一度会ったきりの人間から何かプレゼントされるのは気持ちが悪いだろう。

 彼女も年頃の女の子だ。

 少し迷ったが、匿名のプレゼントともなれば彼女も手放しに喜んでくれるかもしれない! と、我ながらアイデアが冴えた。

 プレゼントはもう決まっている。すぐに思い付いた。

 きっと喜んでくれるに違いない……友人に何かプレゼントをする時、自慢ではないがいつも喜んでもらえる。

 プレゼント選びが上手いと他の友人に言われたこともあるくらいだ。



「楽しみだなぁ……喜んでくれるかな」



 教授からの呼び出しと突然の雨とに落ち込んでいたが、彼女と出逢えたおかげですっかり気分がよくなった。

 大学の研究室に向かうのも億劫だったが、今ではそうとは思わない。


 さあ、彼女の為にもプレゼントの準備をしよう。

 そのことを考えるだけで、思わず口元が緩んだ。


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