三日目の夜

 『トョナ』の廃墟を抜けてからは、クーとストラップは延々と歩き続けた。人の手によって舗装された道路は割れ、傷んではいたが未だ使う者がいるのは確かなようで、風化してはいなかった。


 猿虎によってブーツは破かれてしまったため、『トョナ』の半壊した家から発掘した別のブーツに履き替えていた。長く使い続けた靴を捨てるのは惜しかったが、使い物にならなくては仕方がない。捨てられたブーツは小型の生物種の巣になるか、植物の苗床にでもなるだろう。


 ストラップは思いの外、良き旅の相棒だった。ちょろちょろと動いては道行くものに興味を示すさまは飽きなかったし、一度の戦闘を経て感が磨かれたのか、危険な変異生物種が近くに居る時はクーよりも早く気がついた。


 『トョナ』を出てから一晩が経過し、クーたちは山の半周まで辿り着いていた。『タラヅカ』を経ってからは二日目。『ケーニシ』での晩から数えると三日目となる。

 この山を越えれば、ストラップの群れが居るのか。それは解らない。少なくとも次の都市はある。


 今夜は一際寒く、冷たい空気に晒され夜空の星も一際白く輝いていた。

 今日の宿泊地の近くには、『ケーニシ』にあったものと同様、銀の花の群生地が月の光の下で静かにさざめいていた。この花の咲く期間は短い。開花日から三日目を迎え、多くの花弁は萎れ始めている。


 随分と心配したが、一日が経過してストラップの腿の傷は殆ど塞がっていた。クーの傷はまだ痛んでいるにも関わらず。変異生物種ならではの回復力なのかも知れなかった。


 燃料焚き火が燃え、火の粉が爆ぜる。ちらちらと風に舞う火の粒がストラップの銀の鱗に煌めく。

 食事を終え、腹をでっぷりと丸く膨らませたストラップは眠たげにクーの側に寄り添った。

 安心しきったその姿に――クーは遠いものを見た気がした。


 ――否。それは幻覚だ。そんなものはない。それは、とうに失われているのだ。

 他の幾万もの人間たちと同じように――。


 ◆ ◆ ◆


 ――それは、夢だ。遥か彼方の追慕に在り、今なお寄り添う記憶だ。


「お父さん! 見て見て! とっても綺麗!」


 小さな子供が銀の花畑の中で踊った。月明かりの下で、腰につけた明かり石のストラップが揺れる。


 ――あの頃の夢だ。人間の世界が壊れ始めた頃。それでも、まだ生きていけると信じていた。未来に希望があると信じていた。

 眠りに落ちた脳が作り出した幻であると理解していても、クーはその光景から目が離せなかった。


 新品のブーツが草を踏んだ。銀の花粉が美しく空気に広がった。天の星が落ちる前はなかった、幻想的な光景。小さな子供がクーの元へ駆け寄った。その顔は未知の光景への興奮と、変わってしまった世界への少しの不安があった。


「お父さん――わたしが大きくなるまで、世界はあるのかな」

「ああ、大丈夫だ」


 クーは安心させるように子供を撫でた。


「大丈夫だとも。俺がついてる。お前が立派な大人になるまで、導くのが父さんの役目だ」


 涙が溢れた。何故だろう、こんなに幸せな時間に、涙を流す理由などあるはずもないのに。


「さあ、家に帰ろう、■■■■■――」


 ◆ ◆ ◆


 熱い舌の感覚で、クーは目を覚ました。いつの間にか眠っていたようだった。燃料焚き火は消えている。温かい感触に意識をやれば、そこにはクーの目元を舐める四脚四腕の小さな怪物の姿があった。

 どこか不安げに見つめるストラップの銀の鱗を、クーの手が優しく撫でた。

 

「ああ、大丈夫だ。俺がついてる。お前が群れに戻るまで、俺が導いてやる」


 静かな夜の中でたった二人きり、寄り添う小さな怪物の細い腕をそっとクーは握った。


「……さあ、家に帰ろうストラップ」

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