二日目の昼

 人の住まうことのなくなった都市廃墟には、人以外のものが住み着くこともある。『タラヅカ』から西に位置するこの都市廃墟、かつては『トョナ』と呼ばれていた場所もそういった、変異生物種の棲家となっている。


 太陽が昼に位置する頃、クーとストラップはその『トョナ』の廃墟を歩いていた。鞄の中には『タラヅカ』で揃えた旅の用意が収められている。食糧、簡易な寝床、衣服に、拳銃一式。ストラップは人間ではないので、食糧の用意だけで済むのは楽だった。


 ストラップはすっかりクーを信用したようで、どこへ行くにもちょろちょろと後を追い、時には肩に乗った。たった一度救われただけで暢気なものだと思う。ある種の料理人の中には楽に獲物をしめる為、知能の高い動物を懐かせてから殺すともいう。クーが調理人であればきっとそうしていたことだろう。


 『タラヅカ』で食料品を揃えに店を覗いた時は、したたかにもホットサンド屋の屋台に上り、クウクウと鼻声を鳴らした。結局、ストラップを可愛らしい客だと喜んだ店主によって、クーはホットサンドを二つ買わされた。ストラップは初め、香ばしく焼けたパンに興味を示していたが、一口かじると然程気に入らなかったらしく、中に挟まれたハムに気が付くとそちらの方を夢中で食んだ。結局、クーは残った二つ分のパンを食べる羽目になった。出来たてのホットサンドは空腹をよく満たした。


 『トョナ』はこの辺りでは最初に破壊された街だ。かつては三番目に大きな都市だったが、今では崩れたビルや家屋に蔦や樹木が生い茂っていた。人気のない舗装道路の上を、額に角が生え、よく肥えた中型の変異生物種が通っていく。ここに住み着いた種の一つだろう。数匹の大きな個体の後ろを、小さな個体がついていく。どうやら群れのようだった。大きな個体は成獣で、未成熟な若者たちを誘導している。

 ビルの上では首が二つ生えた鷹のような変異生物種が虎視眈々と獲物を探していた。


 このような様子は南側の『ケーニシ』では見ることはない。『ケーニシ』に住むのは虫や鼠といった小型の生物種に過ぎず、中型以上の生物種が現れるとしても、そこを住処としている訳ではない。乾いた風が支配しようとも、未だ『ケーニシ』は人の土地の気配を残している。


 しかしこの『トョナ』は違う。人の叡智の形でありながら、緑に覆われ多様な生物が生活している。もはやここは人の都市ではなく、彼らの土地だ。ここに生きる変異生物種にとってはショーウィンドウに突き出たアクリル製の屋根も自然の木々の覆いも変わりないようだった。


「食われるんじゃないぞ?」

「クイイ……」


 レスプ・マスクの中から二つ首の鳥を示す。捕食者の存在を視認したストラップは、その場をやり過ごすまでクーの影に隠れるように歩いた。

 『トョナ』の土地を半分ほど進んだ頃、ストラップが小さく鳴き声を上げた。


「クイイ」

「何だ? 方向でも間違ってるか?」


 クーが足を止めると、ストラップはクーの足にしがみ付いた。それから鉤爪の付いた八本の手足で器用にクーの体を上ると、鞄の上でもう一度鳴いた。暫し思案したが、やがてクーはその意図に気がついた。


「……まったく、解ったぞ。おまえ、メシだろ?」

「クイイ!」

「おいおい、メシって言葉は覚えたのか? チビのくせに現金だな、お前は」


 クーはレスプ・マスクの奥で苦笑した。昼食には丁度良い時間だった。クーとストラップは瓦礫の廃墟の中から程よく平らな場所を見つけ、そこで昼食をとることにした。


 近くからかき集めた枝の上に携帯燃料の火が燃え上がる。冷たく乾いた空気に熱が灯った。

 ストラップは小柄ながらよく食べた。朝にはたっぷりと分厚いハムを堪能したにも関わらず、今も分け与えられた食料に勢い良く噛み付いている。


 天に星が瞬いてから二十数年。地上の生態系は一変し、変異生物種の研究はまだ進んでいない。何しろ、突如地球に数え切れないほどの新種が見つかったようなもので、その上彼らの多くはかつてより鋭い牙や巨体を備えており、おいそれと近付けるものではなかった。


 故に、この銀色の鱗を持つ四脚四腕のトカゲの嗜好や生態も謎めいている。初めは肉食かと思ったが、与えてみればドライフルーツも好んで食べた。八本の四肢は器用なもので、しっかりと食べ物を掴むし、段差や壁も難なく登る。樹上生活をする種なのかもしれなかった。


 四本の腕で抱えたドライフルーツの欠片を食べ終えると、ストラップは機嫌よく尻尾を上下させると、自分用の小さな水桶に鼻を突っ込んだ。


 『トョナ』を抜ければ夕焼けの山に辿り着く。タルアの持つ地図で調べた所、山の麓には今も使われる道が存在し、その道をぐるりと回れば山の向こうへ辿り着くようだった。

 ストラップの群れが山向こうのどこで暮らしているかは解らない。この小さな体で遠い道を歩けるとは思えないし、遥か彼方ということはないだろうが、このちっぽけなトカゲの言う通りに進むしかない。


 心配があるとすれば食料のことだったが、山を越えた先にはシェルター都市の一つ『ウムダ』が存在する。『ウムダ』は『タラヅカ』より大きなシェルター都市で、他の巨大シェルター都市との地下直通線が通っている、大都市だ。先が遠いようであれば、そこで旅の用意を補給するのも良いだろう。


 昼食を食べ終わり、クーは下半身にぶるりとしたむず痒さを催し、立ち上がった。食べれば出る。自然の摂理だ。


「ちょっと待ってろ、すぐ済ませてくる」


 ストラップに声をかけ、クーは陰に向かおうとする。しかしちっぽけな怪物は短い足を動かし、クーの後を追おうとした。


「大丈夫だ。置いていくワケじゃねえ。待ってろ。解るか? 待て、だ」


 出会ったばかりの野生種に言葉の意味が解るはずもない。しかしストラップは考えるようにじっと見上げると、クーの意図を汲んだように燃料焚き火の元へと戻った。


「そうだ、偉いぞ。荷物の番をしててくれ。頼りにしてるぜ?」

「クイ」


 クーが軽口を叩くとまるで応えるようにストラップは鳴いた。一丁前に振る舞うその姿にクーは苦笑した。

 ストラップを残し、クーは木陰へと近寄った。四脚四腕のトカゲはついて来ない。本当に意図を理解したようだった。


 置いては来たものの、歩いている間だけでも多種多様な生物種が生息しているのを見た。概ね中型から大型の生物種だったが、ストラップのような幼体を狙う捕食者も少なくはないだろう。

 早く済ませて戻ってやらねば――クーが思った時、茂みから音がした。


 ズボンを下ろしかけたクーはぞっとして音の方向を見た。枯れ草の中から、赤い顔の獣がぬっと姿を現した。猿のような顔をした変異生物種は短い毛を逆立たせ、尖った唇から牙を見せた。上半身は猿のようだが、下半身はしなやかな捕食者の筋肉と長い尾を備えており、虎のようだった。


「チ――ッ……」


 クーは逃げようとした。しかし猿虎の動きは素早かった。赤い顔の変異生物種は一足飛びにクーに組み付き、地面に押さえ込んだ。クーは抵抗しようとした。しかし猿虎の力は凄まじく、レスプ・マスクごと顔を引き裂かれ、呻いた。猿虎の牙が肩に食い込んだ。鋭い後脚がクーの古びたブーツを裂いた。猿虎の牙が肩に食い込んだ。


「クソッ! やめろ……!」


 必死で足掻き、腰に下げた銃を取ろうとした。しかし慣れた金属の感触がない。失態だった。食事の際に銃を外したままだったのだ。猿虎が肉を食いちぎり、肩に痛みと熱が走った。溢れた血潮で服が濡れ、地面が濡れた。痛みで明滅する意識の中で、クーは死を覚悟した。


 ――その時、ギャンと低い悲鳴が聞こえた。猿虎の力が緩んだかと思うと、クーの体の上から伸し掛かる重みが消えた。その隙にクーは必死に近くの木に縋り、這いずるように立ち上がった。

 痛む視界の中、クーが見たのは――大きな猿虎の尾に噛み付く四脚四腕の銀色のちっぽけな怪物の姿だった。


「ストラップ! よせ、逃げろ!」


 己の傷も忘れ、クーは反射的に叫んだ。体格差は歴然としている。クーの胸ほどもあろうという赤顔の猿虎に対して、ストラップの体躯はその四分の一すらない。しかしストラップはその牙を放そうとしなかった。背に乗る小さな敵を振り払おうと猿虎が暴れる。猿虎の爪がストラップの腿をかすり、引き裂いた。しかし四脚四腕の銀のトカゲはその逆立つ剛毛をしっかりと掴んでいた。


 壮絶さにクーは息を呑んだ。低い悲鳴が上がった。血を零したのは猿虎の方だった。頭頂部まで上り詰めたストラップの指が猿虎の片目を抉り抜いたのだ。赤顔の獣は痛みに一際大きく暴れ、ストラップは地面に転がり落ちた。凶暴な捕食生物は狂乱に陥り、片方の目から血を溢れさせながら、茂みの方へと逃げ去っていった。


「ストラップ!!」


 クーは小さな怪物の名を呼び、破れたブーツにも構わず駆け寄った。ストラップは高揚からか、敵の逃げた方を睨み、フスフスと鼻息を荒げていたが、近寄るクーの方を見た。クーはしゃがみこみ、血の滴る四腕の一つを握った。


「ストラップ! ハハッ! お前やってやったのか! やるじゃねえか、さっきは鳥にビビってた癖に、ああ、凄かったぜ、立派なやつだお前は!」


 クーの興奮が伝わったのか、ストラップもまた己の戦果を誇るように首を上げた。その左腿には戦いによる傷が刻まれており、銀色の鱗の内側の肉が見えていた。痛々しいそれにクーはそっと触れた。


「ああ、くそ。無茶しやがって。馬鹿野郎。いや、馬鹿は俺だ、お前を置いていった上しくじった」


 悔いる声に、ストラップは首を傾げた。クーは苦笑した。


「ああ、助かった。お前は命の恩人だぜ」


 レスプ・マスクの奥で笑ったのが伝わったのか、ストラップも喉を鳴らした。クーにはそれが嬉しく思えた。

 クーは銀の鱗を赤く染めた小さな怪物を抱き上げると、肩の痛みを堪えながら荷物の所へと戻っていった。

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