26

長い長い、一人語り。―― ➀


 歩き回るのが好きだったんだ。ただそれだけで、特別な出会いなんかじゃなかったよ。


 気の利く奴の家に転がり込んで、飯でもありつけたら嬉しいなあぐらいの散歩だ。腹が鳴らない生活を送れれば、それでよし。欲しいものなんて他に無かった。煩い男に絡まれるようになってから、道を変えたり遠出をする事も増えたかな。


 それで……いつだったか。まあそんな風に生きてる内に、大きな屋敷が建ったんだよ。金持ちか道楽者が住んでるんだろうと思った。店も家も、ひしめくように建つあの町で、それはゆったりとした所だったから。


 ……幾つぐらいだろう? いってても三〇……半ばぐらいか? でかい屋敷なのに二人だけで、ぽつりと暮らしてる男女がいたんだ。夫婦? 恋人だったんだろうか? まあどっちでもいいけれど、睦まじかった。

 女の人の方は慎ましくて美人なのに、男の方はまあ身形もだらしなくて。いつも無精髭が生えてて、腰に刀はあるから、身分はあるんだろうなと思ってた。でないとあんな大きな屋敷、とてもじゃないけど建てられないだろうって。まあその寺みたいな庭をうろうろしてる所を、その男に見つかったんだけどな。襟首をひょいと掴まれて、女の人に嬉しそうに、何か言ってた。


 嫌いだったんだよ。人。偉そうで。簡単に殺すし。だからなるべく、近付かないようにしてたんだけれど、あの二人は優しかったな。


 よくないとは思いつつ、入り浸るようになった。あそこの縁側で男と一緒にごろごろしてたら、飯には困らなかったし。あの二人に可愛がられている事も、何となく分かっていた。


 いつからだろう。いつも寝てばかりだった男が、家を空けるようになったんだ。朝から晩まで。まあそれまでが働いてなさ過ぎてたから、たまにはいいんじゃないかと思ってた。いつも笑ってた女の人の表情は、少し寂しそうだったけれど。


 段々……そういう日が続いて、女の人は笑わなくなって、だらしなかった男の表情は、険しくなっていった。私が来ると二人共笑顔が戻って、じゃあ、それでいいのかなって、思ってた。こうしていればその内、戻るんじゃ、ないかって。


 そう思うだけにしておけば、よかったのに。


 どうしても気になって、見に行ったんだよ。もうあの屋敷の側で寝るのが習慣になってて、思い立てばもうそこだった。その日も昼間に、顔を出しにやりは行ったんだがな。十分とは分かっていても、足はそちらを向いていて。


 雲一つ無い快晴で、ぽっかりと丸い月が浮かぶ真夜中だった。

 途中でまたあの煩い男を躱して、いつもみたいに、塀を飛び越えて潜り込もうかと、屋敷の周りをぐるぐる歩いていた。

 何でなんだろう。飛び出しておいて、どうしてかその日は躊躇ってしまって。


 まあ、時間も時間だったからな。寝てるだろうし。こんな夜中に私が行った所で、あの二人が笑顔になる事は無い。

 やっぱり明日にしよう。明日はいつもより少し早く出て、少しだけ長くいよう。そしたらきっと、大丈夫だ。


 そう思って引き返そうとした時、身体が宙に浮いたんだ。


 塀を飛び越えて……納屋の裏だろうか。倉庫みたいなものの足元に叩き付けられて、その痛みの種類が、打撲じゃないって気付く。

 やけに鋭いんだよ。灯りも無いのに、何だか急に、辺りも明るく見えてきて。そもそも私、ちょっと塀から落ちたぐらいで痛いと思うなんて、今まで一度も無かったのに。

 衝撃が内臓を貫いていく、あの鈍くて重い痛みじゃなくて、皮膚から肉を急速に蝕んでいくような、鋭い痛み。経験した事の無いそれに、私は早く振り払おうとのたうち回った。でも全然消えてくれない。それ所か痛みは増して、痛みの範囲も広くなっていく。

 おかしいな。何か病気だろうか。変な虫にでも刺されたんだろうか。右足から始まった痛みはどんどん酷くなりながら広がって、堪らず暴れながら目を向けた。


 火だ。


 右足いっぱいに、火が点いて燃え上がっている。


 何で足が燃えてるんだ。いやまず、どうして火が点いている?

 そうだ思えば……。投げ飛ばされる直前、誰かに足を掴まれた。きっとその時に、そいつに火を点けられて……。


 まともに考えていられたのはそこまでで、熱さと痛みに転げ回った。早く火を払いたくて。

 でも消えてくれないんだ。それ所か、暴れ回った所為で左足にも火は移っていて、それでも焼かれていく足を必死に動かして、地面や辺りにこすり付けて、必死に消そうとした。

 熱い熱い、痛い痛い。もう終いには、訳の分からない事を叫んでたよ。


 だーれも助けてくれなかった。


 当たり前だ。そんな遅い時間、皆寝てる。それに、幾らのたうち回っても、仕方無かったんだ。寒い冬の頃だったからな……。納屋の裏なんて枯れた草がぼーぼーで、火は消える所か、勢いを増したよ。


 でも仕方無いだろう? 熱くて、怖かったんだから。


 何でこんな目に遭わないとならないんだろう。畜生。誰が火を点けやがったんだ。もう一回、二人の顔が見たかったなあ……。


 ひとりぼっちで火に囲まれて、分からなくなった。


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