理性教育

ダリ岡

第1話

「なんで黙ってたの! 宿題はちゃんとやりなさいって、何回も言ったじゃないの!」


 お母さんがどなった。そのかおを見るのがこわかったので、ぼくは少しうつむいたままよこをむいた。お父さんはまだしごとからかえってきていない。家の中にはぼくとお母さんしかいなかった。


「ちゃんとこっちを見なさい!」


 お母さんに、あたまをつかまれた。


「どうしてなの? なんで一週間も宿題やってないの。なんでそれを黙ってたの!」


 ちがうんだ、お母さん。

 クラスの中川くんがてんこうしちゃうんだ。だからみんなで、中川くんにも先生にもナイショで、千羽づるをおっていたんだ。

 それがおわってから、たまったしゅくだいをやるつもりだったんだ。


「どうしてなの! わからないところがあるなら、お母さんに訊けばよかったじゃないの! ずーっと黙ったままでどうにかなるとでも思ってたの?」


 お母さんはなみだをうかべていた。ぼくには、お母さんの気持ちがわかった。お母さんは、しゅくだいをやっていないことにおこっているわけじゃない。僕が何も言わなかったことにおこっているんだ。

 お母さんは、ナイショをゆるしてくれないんだ。


「何があったの。ちゃんと話すのが普通でしょ。どうしていっつもそうやってボーっとしてるわけ?」


 ぼくはかおをあげて、何か言おうとした。でも、何を言えばいいのかわからなかった。何が言いたいのかもよくわからなかった。そしたらお母さんがまた「何なのよ!」とおこったので、ますますわからなくなってしまった。

 やっぱり、ナイショはいけないんだろうか。ぜんぶ話さないといけないんだろうか。

 だれにもナイショ、ってきめたのに。

 中川くんのかおがあたまにうかんだ。


「何とか言いなさいよ! なんなの? ちゃんとお母さんの話聞いてるの? さっきからボケーっとしたままで――みたいに!」

 

 お母さんはとても大きな声で何かを言った。そのことばは、家の中にひびいたサイレンの音にかきけされてしまった。でもぼくはなんとなく、お母さんが何を言ったのかわかっていた。お母さんは、頭のおかしな人、のことを言ったんだ。それは言っちゃいけないことばだった。だからぼくの家にしかけられたセンサーが、すぐさまお母さんのマチガイに気づいて、しょうぼうしゃみたいなサイレンの音をならしたのだった。

 ぼくの目の前で、お母さんがあおざめていた。げんかんの方からバタバタと足音がきこえてきた。げんかんのカギががちゃり、とひらいて、五人くらいの男の人がいきおいよく家の中にかけこんできた。男の人たちはお母さんをとりかこむと、しんりてきぎゃくたいです、と言って、お母さんの両手にてじょうをかけた。

 お母さんは赤ちゃんみたいに、んわああ、んわああと泣きはじめた。それでも男の人たちのようすはかわらなかった。てじょうをかけたままでお母さんを家の外につれだした。一人の男の人がぼくの近くにやってきて、もう大丈夫だよ、と言ってくれた。


「あんまりびっくりしてないね。もしかして、これが初めてじゃない?」


 ぼくはうなずいた。さっきのお母さんで、三人目だった。

 前のお母さんも、その前のお母さんも、しんりてきぎゃくたいです、と言われていたっけ。ぼくはまだ二年生だから、どういう漢字で書くことばなのかわからない。こんどお父さんにきいてみようと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

理性教育 ダリ岡 @daliokadalio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ