第6話 卒業式のカウントダウン
俺の地元の中学校の卒業式は、1年生も2年生も式に出席する。何度か事前練習もあって、歌も歌わされる。
ふと思い返すと、結構な時間の無駄に思える。世話になった先輩とお別れだからとか、有意義な意味あいもあるのだろうが、寝てるやつが大半だった。
寝てれば静かだし無難だが、くしゃみでもしようものなら結構目立ってしまい、思いのほか苦痛空間である。
俺が中学1年生だった頃の卒業式で、何よりも苦痛と後悔が勝った思いは、始まる前にトイレに行っていなかったことだった。
(トイレに行っておけばよかった・・・でも、いつもならこんな時間にトイレにいきたくなんかならないのに・・・)
後の祭りである。体育館は、寒いのである。式の本番当日だったから、ご父兄も臨席賜っていらっしゃるしで、席を立ち、トイレに行くことなどできやしなかった。
(ここは命に代えても耐えて見せる!)
と心に誓った。
(誓うも何も耐えなかったら、次の日から学校なんて行けるわけないだろ!!!不登校確定で俺の卒業が危ういわ!卒業式って、無茶苦茶過酷な行事じゃね。)
少子化なのに7クラスもあって、名前を呼ぶ先生の声の遅さ、返事をして壇上にあがる生徒の遅さといったらもう…
大でも小でも波があるのは、皆さんご存知だと思うが、大の方が耐え難いと思いきや、小の方もなかなか大した強者である。俺の場合その小の方だったのだが、第一波、第二波まではなんとか乗りこなしたが、その後は、意識を四次元辺りに飛ばして、椅子と足の位置を微調整しつつ、ひたすら卒業生の名前に集中した。集中しておいて何も考えないという悟りの境地に入る。
7組の生徒の名前が呼ばれる頃にはもう立派な顔面蒼白悟り人、もしくは修験者に人生のランクアップを果たしていた。
ご父兄は必死にビデオ撮影。中には生徒の感極まった泣き声も入り混じり、感傷的空間が創造されつつあったが、そんな中、俺は人知れず悟りの境地に達し、顔面蒼白のまま、椅子と足の位置は微調整しつつ、油断しなかった。
トイレに入って安堵した時が危ない!
3月9日、それは、恥辱に呻き泣く事態を避け、果てしなく続く生徒の名前のカウントダウンから解脱した日である。
ただ、普通に成長した今、思う。
席立ってトイレに行っても全然大丈夫。
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