クリームを盗んだ猫

@tea55555

クリームを盗んだ猫

席替えで、教室の最後尾窓側の席に座れたのはかなりの幸運だった。しかし、隣があの新崎ミユキであったことは、僕にとって、僥幸を覆しかねない不安だった。

 

 大体誰でも、教室の席なんて後ろになるほど嬉しいものだ。先生から当てられ難いとか、居眠りしてても気付かれないとか(実際先生たちはよく見ているのだけど)。特に僕の場合は日陰者というか、目立ちたくないのでぴったりだ。ふと窓の外を見ると、雲がのんびり流れていて、ぼーっとする。それが良い。

 そんな穏やかな日々を想像していたが、隣の暗雲はすぐに轟音を響かせた。

 派手な見た目の女子が、新崎さんを中心に騒いでいるのだ。まさに姦しいの字の通り。昨日のテレビやら化粧品やら、他の男女の噂やら、聞きたくもない金切り声が鼓膜に刺さる。トイレに逃げようと席を空けてしまったのが失策だった。戻る頃には、僕の椅子と机は彼女たちの腰掛けに使われてしまう。ちょっとどいてよ言うのも面倒くさいので、僕は離れた席の友人に話しかける。

 「また勝手に座られちゃったよ…。本当に自分たちさえ良ければ良いんだよなあ…」

 「ヤスも俺もそういうキャラだし、ああいう人とは合わないよねえ。せっかくの角席なのに御愁傷様」

 僕はため息をついて新崎さんたちを見る。ニヤニヤケタケタと笑ってテキトーなことを言う彼女たちの様は、ヒトと違う生き物を見ている気分にさせた。そう、家の猫を思い出す。自由気まま、人の気も知らないで好き勝手な猫だ。遊んであげようと、猫じゃらしを振っても見向きしないくせに、勉強しているときに机の上で邪魔してきたりする。

 

 予鈴が鳴っても彼女たちは喋り続けていた。他の生徒が席に戻り、話を止め、徐々に教室が静かになってきたところでようやく、僕の席は解放された。

 席には香水だろうか、どうにも鼻につく匂いが残っており、何度かむせた。息を潜める羽目になり、恨めしく新崎さんを横目で見たが、当然僕の苦痛など知る由もなく、眠そうに授業が始まるのを待っていた。

 席を奪われても、声をかけて退いてもらえばいいわけだか、既にそれは何度か実行しており、そして再び占拠されることが繰り返されているのだ。新崎さんがどこかに行けば、皆彼女に付いて行くので一時の平穏が訪れる。しかし新崎さんは動きたがらない人らしく、なかなか静寂は望めない。

 むしろ授業中の方が教室自体も静かで、ノートをとってさえいれば事もなく過ごせる分、平和だと言える。

 黒板とチョークが擦れる小気味良い音を聞きながら、僕の意識は授業から離れていった。

 幼稚園くらいの頃、どうしても欲しかったサッカーボールを買ってもらい、喜んで遊んでいたら、転んで捻挫してしまい、数日まともに歩けないことになった。

 雑誌の懸賞で旅行が当たった時も、楽しみにしていて行きたかったのに、2日前からインフルエンザに患ってしまい行けなかった。

 良いことがあると悪いことが起こる、塞翁が馬とか禍福は糾える縄の如しとか言うけど、悪いことの後に良いことが起こった記憶がないので、期待していない。

 悪いことが続く方が用心するようになるし、良いことが起こっても、本当か?と疑ってしまう。我ながらろくでもない性格だと思うけれど、期待値が低い方が幸せの閾値が低くて普段から幸福を謳歌できるのではないだろうか。


 放課後。部活をしていない僕は、友人と一緒に帰ろうと誘ったが、彼は用事があるそうで連れなかった。ひとりの帰り道、家ですることを考える。

 宿題、テレビ、ネットにゲーム。テレビの時間は決まっているから、それ以外の時間で宿題を早く終わらせて、好きなことをしよう。

 学校で授業を受けたり、友達と遊んだり、家族と過ごしたり、人と一緒にいる時間と比べると、ひとりで楽しむ時間は早く過ぎるように感じる。人といると時間が長く感じるというよりは、人それぞれに時間軸がばらばらにあって、それらが交錯している。スローペースな人がいるし、せっかちな人がいる。みんなが足並みを揃えようとするとどこか歪な感じがして、時間の流れが淀むのかも。ともかくひとりの時は自分の最速で時間が進む、ような気がする。

 とりとめのないことを考えて歩いていたら、大学の近くまできていた。講義終わりなのか人が多い。門付近の往来を縫うように進むと、ふと匂いがした。これは…。

 横を見ると髪を下ろした新崎さんがいた。気づかないうちに近くにいたようだ。彼女は僕を少し見上げ「安高、くん」と言った。

 その声のトーンが、いつもの金切り声よりだいぶ低く聞こえた。

  人の波間を抜けたところで新崎さんは咳払いをした。

 「安高君、家こっちの方なんだね!」

 急にいつもの新崎さんの調子で話しかけられ、僕はたじろいてしまった。

 「う、うん…。新崎さんもなんだね」

 「うーん、私はちょっと用事があったんだけど。せっかくだからマックに寄っていこうかなと思って」

 じゃあ途中まで一緒に歩くことになるのか、会話の種なんてないぞ、しかし話す必要もないのか、などと、恐らく同じことを彼女も考えているだろう。

 どうしようかと悩みながらも歩み進んでいく。このまま無言で終わりそうだな、と思ったところで、背後から「ミユキ!」と呼ぶ男の声がした。

 20代くらいの若い、眼鏡をかけた男性がこちらを見ている。新崎さんと僕を見比べているようだ。何か面倒事になりそうな予感がする。

 「ミユキ…そいつは…いや、それより…」

 呼吸を整えるためだろうか、男は大きく息を吸った。

 「どうして…」

 「もうあなたとは会いませんから」

 男が言葉を失い唖然とした表情になる。ギロチンみたいな無機質な冷徹さに、傍から聞いていた僕もぞっとした。

 言葉を続けようとする男を無視して、新崎さんは踵を返した。

 颯爽と去ろうとする新崎さんの腕を、彼は慌てて掴む。

 「ミユキ!話を…」

 「また暴力ですか?離してください、いや、もう喋らないで」

 彼女は男の手を振りほどく。

 男は新崎さんを睨み、乱暴に払われた手を、振り上げた。

 理由はあとで分かるのだが、このときの僕は何も考えずに行動していた。

 男の手が新崎さんの顔めがけて降り下ろされる直前、僕は彼女の手を取り駆け出していた。きっとあの男も、新崎さんも、そして僕だって不思議そうな表情をしていただろう。

 新崎さんの手首を握って走る。始めは彼女を引っ張るような重さを感じたが、新崎さんもスピードに乗って来ると軽くなった。彼女は今どんな気分だろうか。

 運動が苦手な僕が全力で走ったところで、すぐに疲れてしまうことはわかっている。だから目的地は近く。息が切れて口が乾いて来る前に、僕らはマックに飛び込んだ。ガラス戸をぶつかるように押して中に入る。僕は肩で息をしながらぴったりとドアを閉める。外の様子を伺うけれど、あの男は追ってきていないようだった。

 新崎さんを見ると、僕と同じく呼吸を荒らげてはいるが、外に彼がいないことに安心しているみたいだった。

 彼女が僕を見る。

 「安高…」新崎さんは咳き込んだ。「安高君、ありがと。…どうして助けてくれたの?放っておいても別に、良かったのに。むしろ殴られた方が警察に言い易くていいかなと思ったけど…」

 強かなことを考えるものだなあ、と思ったが口には出さない。

 しかし何故だろう?クラスメイトだから、にしては僕らしからぬ度胸があった。放っておけないと感じたのは、そう、彼女の…。

 「でも…ふふ、安高君面白いね。ただ大人しいだけの人だと思ってたけど…。やるじゃん。せっかく席が隣だし、これから仲良くしてね」

 新崎さんが微笑む。その表情はまさに、新しいおもちゃに目を輝かせるときの、好物を手に入れてご満悦なときの、猫そのものだ。

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