第37話 寂しかっただけ

 土曜日の深夜、一縷いちるのスマホが彼と涼音すずねの眠りを妨げた。


「いっちゃん、火曜日に帰るからね!」

 いきなりハイテンションのまいが耳元で飛び跳ねるような声を出す。


「…… うん。予定より早い?」

「そう! 嬉しいでしょ! はながおじさんとおばさんにちゃって、私はもうお払い箱なの、アハハハハ」

「…… そう。華ちゃんが大丈夫なら」


 半分寝ぼけた一縷の隣で、涼音がごそごそ動き出す。


「迎えに来てくれたりしたら、すご~く嬉しいだろ〜な〜」

「…… 何時?」

「来てくれる!? できるだけ早い便にする!」

「…… う~ん、できるだけ行こうかな、見送りできなかったし……」


 無意識にそう応えて隣を見ると、下から覗き込むように涼音がはっきり会話を聞いている……。


「やった~! じゃあ、明日チケット取ったら連絡するからね!」

 涼音が一縷の胸に唇を当てる。一瞬で気が逸れ、知らず知らず舞への反応がワンテンポ遅れてしまう。



「いっちゃん? 眠い?」

「…… う~ん、そうね、眠いかも」

 涼音がクスっと笑う。彼女はその手を徐々に下に滑らせると、一縷自身を手のひらで弄び始めた。


「ま、真夜中に電話してて大丈夫? おじさんたちに…… 迷惑にならない?」

 一縷は気を逸らそうとするが、涼音はそれを許さない。


「うん! 平気。もうみんな寝てて、私だけリビングにいるの」

「ちょ、ちょっと待ってね。トイレ行ってから折り返すからね」


 一縷は電話を切ると、ベッドから跳ね起きて部屋の灯りを点けた。


「なにすんだよ!」

「ふふふふふ、すぐ反応するんだね」

「するに決まってるだろ! 遊ぶな!」

「だって…… じゃあ、電話誰から~、って声を出した方がよかった?」


「…… 」


「折り返し電話するんでしょ? していいよ」

「怒らないの?」

「怒らないよ…… 寂しかっただけ」


 言葉ではそう言うものの、彼女の顔は決して寂しそうでもないから、一縷はきっと涼音の冗談だと思い込んだ。


「じゃあちょっとだけ」

「いいよ、ごゆっくり……

 でも、私の彼氏から連絡があっても怒らないでよね!」

 そういうと、彼女は反対側を向いて布団を頭から引っかぶった。


 それを確認した一縷は、もそもそと起き上がり、キッチンから舞に電話をする。


「もしもし」

「いっちゃん、お腹の具合でも悪いの?」

「あっ、うん…… ちょっとね」

「そうなの? 明日はゆっくり休める? それともバイト?」

「バイト」

「そうなんだ…… 少し減らしてもらえば?」

「う~ん、今でもギリギリだから、なかなか難しいかも」

「そうだよね…… じゃあ私も雇ってもらえないかな?」

「それはどうなんだろ…… まだそんなことを言える立場でもないしね」

「そっか…… でもね、土日に全然会えないのって、ちょっと恋人同士としてどうなんだろ? って思うよ」


 恋人同士…… これまで聞き流してきた言葉だったが、今夜は重く突き刺さる言葉に変わっている。


「ゴメン、お腹痛くなってきたから今日はこれで切るね」

「うん…… いっちゃん、帰ってきたらいっちゃんの部屋に行ってもいい?」

「なんで? 面白いものなにも置いてないよ。ゲームもないし」

「でもさ、恋人同士なら部屋で会ったりするもんじゃないの?」

「そうとも限らないでしょ…… あ~、お腹いたい、ゴメン切るね」


 一縷は無理やり通話を切ってベッドの方を見た。ふとんに包まった涼音はピクリとも動かない。


「涼音?……」


 一縷がそっと布団を剥がそうとするが、涼音はぎゅっと布団にくるまったまま放そうとしない。困った一縷は毛布と寝袋を引っ張り出し、フローリングの上で眠る準備を始める。


 11月に入って寒い日が続いている。外が寒くなればなるほど、人肌を感じながら眠るベッドが恋しい。一縷は天井の一点を見つめ、涼音の肌のぬくもりを思う。すぐ傍のベッドの中にその温もりがあって、それに手を伸ばせない不自然さを思う。


「涼音? 寝た?」


 眠ってないことは気配でわかる。一縷は布団の上に乗っかって彼女の顔を引っ張り出そうとする。


「寝てないんだろ? 機嫌直して! もう電話しないから」


 それでも涼音は布団から顔を出そうとしない。


「拗ねちゃって…… 変なの」


 諦めた一縷は狭いベッドの端にようやく身体一つ分のスペースを見つけ、その上から寝袋を身体に掛ける。眠ろうとするが寝付けない。涼音も寝息を立てる様子がない。

 しばらく天井を眺めていた一縷も、我慢できずに布団の隙間から涼音の身体に手を伸ばす。だが、彼女は頑なに何の反応も示さない。

 意地になった一縷は、今度は彼女の潤いの場所に指を這わせてみる。指先の動きに彼女がわずかに反応する。それを確認して一縷は彼女に挑みかかった。


「ほら、こっちおいで」


 優しく涼音に問いかけると、ようやく彼女が一縷の方を振り向く…… だが、そこに思いもよらぬ涙の跡を見て取った彼は、彼女の急な変化に戸惑ってしまう。


「えっ…… なんで泣いてるの?」

「一縷…… 私はあなたの何?」


 この至極当たり前の変化ですら読み解けない彼は、つい言い訳めいたことを口にしてしまう。


「だって、涼音が自分も彼氏から電話があったらその時は静かにしろとか…… 最初の時だって、彼氏がいるとか言うから…… そういう付き合いかなと……」

 また溢れそうな涼音の涙をみて、さすがの一縷も曖昧に語尾を途切らせた。


「本当にそう思ってるの?」

「…… 本当にって、…… 」

「いないよ、そんな彼氏なんて! 知ってたくせに!」

「でも…… じゃ何で嘘なんか…… 」


「怖いから…… 」


「…… 」


 怖い…… その言葉も、これまでの涼音からは想像しにくい言葉に聞こえた。


「…… 涼音がそんなふうに思ってるなんて、想像もしてなかった」

 情熱的な彼女は、きっと誰かと激しく抱き合ったことのある女性だろうと、一縷は勝手に思い込んでいた。むしろ、彼女をこんなふうにした見知らぬ男に嫉妬すら感じていたほどだ。


「私が簡単に一縷を受け入れたから?」

「…… それもあったかも……」

 いつの間にか彼女は泣き止み、むしろ一縷を問い質すようにしっかり向き直っている。


「一縷…… ホントに私のこと、何も気づかなかった? ずっと好きだったんだよ」

「うん…… 」

「私ね…… あなたのことばかりずっと思ってた。あなたのこと考え始めると、訳が分からなくなる、手に負えない自分になる……」

「…… うん」

「…… みだらなことだって……」

「凄い告白だな」

「もう頭の中が変になるくらい……」

「女の人でもそういうことあるんだ」

「こんなこと感じたのは一縷だけだよ」

「うん……」

「一縷が死ぬほど好き。一縷のためなら何でもできる。一縷にどうにでもして欲しくなる」

「Mなの?」

「…… そうも思った。一縷になら見せてもいいって気になる」

「そうなんだ……」


 …… 一縷には刺激的すぎる告白ではある。


「一縷もきっとそうでしょ? あの白い後ろ姿の話を聞いたとき、この人、私を求めてる、って思った」

「…… そ、そんなこと」

「後ろからしたい、ってはっきり言った!」


「…… 」


「きっとこの人も私を求めてる、ってそう思った…… なのにさ、酔っぱらって先に帰るし、その次の日もキスもしないしさ、なんだこのヤロー!! ってマジで思った」

「そうですか…… すいません」

「あの夜…… 別れ際、タクシーに乗る時にさ、私が手を伸ばしたのになんで拒んだの?」

「そんなことあったっけ?」

 そのシーンを憶えてはいるが、彼女が手を伸ばしたことなど…… あったっけ? な感じだ。その様子を見た涼音は、あからさまに呆れたという表情になり、一縷から視線を外して天井を見ながら呟いた。


「…… エッチなくせに肝心なとこ見てないよ」

「…… すいません」




 恋人たちは、夜ごと繰り広げるピロートークで、互いのすれ違いを埋めていく。少なくとも、この日の夜、涼音は心の裸を見せた。もし、一縷がそのことに気づくか、自分の裸をこの時に見せていれば……

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