第183話 聞き違い
「……申し訳ありません。何か、聞き違いをしたかもしれません。もう一度、言って頂けますか?」
ボリスは怪訝な顔でそう言った。
確かにリュヌの言葉は聞こえていた。
ただし、内容が内容であるため、自分の願望がリュヌの台詞を間違って耳に届けたのかもしれないと思ったのだ。
しかし、リュヌは改めて言った。
「ん? そうか。いや、雪晶の継続的な取引をしないか、って言ったんだが」
「……そ、それは……本当、なのですか……!?」
常に冷静に取引をしなければならない商人にあるまじきことに、ボリスの声は震えていた。 リュヌはそんなボリスに対して至って普通に返答する。
「嘘だったらここにそいつはないだろ? ナヴァド商会はこの街で雪晶の独占的な取引をしてる。俺みたいな流れ者が少し金を出したくらいで手に入れられる品じゃない」
「それは……確かにそうですが……」
そうは言ってみたものの、もちろん絶対にありえない、というほどでもないことは分かっていた。
これくらいの大きさの雪晶なら、昔、ナヴァド商会がもっと沢山、雪晶を扱っていた頃にそれなりの価格で手に入れた者もいるだろう。
そういう者を探し出し、そしてある程度の金を出して買うことは出来る。
今枯渇しているこれを安値で売ることは決してないだろうが、何らかの企みをもって、リュヌが相当の高額を出したと言うことはありえないではない。
だが……それだけの投資をして、ナヴァド商会をだましたところでどれほどの利益があるのかという話になる。
確かに今、経営はかなり持ち直してはいるが……仮にナヴァド商会の全てを乗っ取ったところで大した利益にはならない。
借金は未だ残っているし、即座に引き上げられる現金もない。
店も抵当に入っているし……。
そういうことを考えると、リュヌがわざわざそんな面倒なことをするとは思えなかった。
ただ、リュヌも今の自分が多少怪しく見えること自体は理解していたようだ。
少し苦笑して、
「ま、あんたが俺を怪しむのは分かるよ。これがどれだけ貴重で、あんたがどれだけ欲しいのか、それは色々と調べて分かってるからな……だから、これでどうだ?」
そう言って、リュヌは横に置いた少し大きめの革袋を漁りだし、そしてそこから大きな石を取り出して、ごとり、とテーブルの上に置いた。
石としては、普通にその辺に転がっているサイズではある。
だから、その辺の人間が見たところで特段、驚きはしないだろう。
けれどボリスは違った。
これが何なのか、一目で分かった。
何なら、リュヌがそれを革袋から外に出した時点で、目を見開いていたくらいだ。
それは……極大の雪晶だったのだから、当然だ。
「その顔は、理解してくれたと思って良いな?」
いたずらが成功したかのように嬉しそうな表情でリュヌがボリスにそう言った。
ボリスは乾いた笑いを浮かべながらも、なんとか声を喉から絞り出す。
「……分からないはずがありません。父のいない今、この街で最も雪晶に詳しいのは私だと自負しています。しかし、だからこそ……ありえないと言いたくなる。この雪晶は巨大すぎます。これほどのものは……我が商会が開かれて以来、一度たりとも扱ったことがないサイズだ」
そう。
そしてだからこそ、今までのリュヌの話にも強い信憑性が出てくる。
これを初めて手に入れたのは、リュヌだ、と言えるからだ。
どこからなのかは分からない。
だが、新しい雪晶の鉱脈を見つけたのは間違いなさそうだった。
しかも、以前までナヴァド商会が独占していたそれよりもずっと質の良い鉱脈だ。
何せ、これほどの雪晶が出るのだから……。
「……そうなのか? まぁ、俺は雪晶については素人だからな。その辺はよく分からねぇが……ともかく、俺が嘘をついているわけでもあんたをだまそうとしているわけでもねぇってことは、分かってもらえたか?」
「ええ、もちろん。でも……そうなると今度は分からないことも出てくる。なぜうちにそれの取引をもってきてくれたのかと言うことと……どうやってそれをみつけたのか、というところがまず気になります」
ボリスとしては至って素直な質問だった。
これだけの雪晶が出る鉱脈を知っているのだ。
それについて、他の商会に話を持って行けば間違いなく、ナヴァド商会よりも良い条件で取引をしてくれるに違いない。
入札形式で競らせても良いし……そうなればボリスが入り込める隙など全くなくなるが。 それだけに不思議だった。
見つけた方法にしても、グースカダー山はこの街からほど近いところにあるとはいえ、強力な魔物が生息する上、頂点には雪竜という世界的に見ても稀な真竜が存在している魔境だ。
そんなところに入り込んで、遭難しないだけでもかなりの技術がいるのに、さらに鉱脈まで発見してくるというのは……。
腕の良い
それなのに。
そんなボリスの疑問にリュヌは答える。
「まず一つ目、なぜあんたにこの取引をもってきたか、という話だが……簡単だよ。今まで良くしてくれたからだ」
「……は?」
「急に家を買いたいとか言った俺たちに、あんたは誠実かつ迅速に対応してくれた。それに、取引相手が子供だと分かっても侮りもしなかった。俺は自分の《家族》を大事にする。アインとネージュ、あの二人に良くしてくれた……それだけで、あんたは俺にとって信頼に値する」
普通に効けば、ただのお世辞、のようにも聞こえるその台詞。
しかし、ボリスにはそれが世辞ではなく本気で言っているのだということが分かった。
これは、商人として曲がりなりにも経験を積んできたボリスの勘が教えてくれたことだった。
ただ、《家族》という言葉には何か少し、違和感を感じないではなかったが……大したものでもないだろう。
血が繋がっていないとかで、比喩的に使ったとかそういうことだろう。
「……二つ目は?」
「これについては……信じてもらえるかどうか分からねぇんだが……」
珍しくリュヌが言い淀んだので、ボリスは首を傾げた。
「とりあえず話してください。何でも信じるとは言えませんが……貴方のお話でしたら、信じるようにはしてみますので」
商人としての仮面を被り続けるなら、ここは必ず信じます、とか言うべきところだろう。
けれど、リュヌに対してはそれは逆効果だ、とどこかでボリスは察していた。
だから素にほど近い対応をしたのだ。
これにリュヌは笑い、
「それくらいで聞いてくれた方が俺としても話しやすいぜ……まぁ、複雑な話じゃないんだ。ただ、俺が雪山で遭難しかけてるときに、魔物に助けられたってだけでな。そいつに連れてかれた洞窟に、たまたま、この雪晶が沢山埋まってたんだよ」
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