第182話 ボリスの幸運

 ナヴァド商会会頭、ボリス・ナヴァドは今、ナヴァド商会の雑多な店の中で珍しく頭を抱えていた。

 普段は滅多に感情的にはならない彼であるが、今日ばかりはその仮面を外さざるを得なかった。

 その理由は、今、テーブルの上にあるものと、その対面に座るくすんだ灰色の髪と黄金の瞳を持った、どこか剣呑な雰囲気の青年にある。


「……リュヌ様……これを、一体どこで……?」


 テーブルの上に置かれていたものをおそるおそる手に取って、矯めつ眇めつ見ながら青年……リュヌにそう尋ねたボリスである。

 リュヌはそれに僅かに微笑みながら答えた。


「もちろん、グースカダー山だぜ」


「馬鹿な……あの山の雪晶はもう、産出されなくなったはず。それなのに……」


 そう、リュヌが持ってきた品。

 それは、ナヴァド商会が以前まで独占的に扱い、その富の源泉ともなった商品、雪晶であった。

 魔石の一種であるそれは、溜め込んでいる魔力量もさることながら、魔道具の触媒としても非常に優秀で、小さいサイズでもその辺の魔石とは比べものにならない価値を持つ。

 けれど、とてつもなく希少であり、グースカダー山以外で産出された、という話は効かない。

 ボリスも、グースカダー山における産出量が枯渇した時点で他で探そうと色々と手を回したのだが、残念ながら見つかりはしなかった。

 そして、在庫がなくなって行くにつれ、将来を悲観した父は自ら命を絶ち、それを見た店員達は一人、また一人と去って行き……とうとう、従業員は誰もいなくなった。

 その状況でボリスの手に店の権利が渡って、早数年。

 なんとかギリギリ持ち直して、店を継続することだけは出来ているが、このまま続けてもいずれ萎むように終わっていくのは見えていた。

 そんなタイミングで突然、リュヌ、という男が店を尋ねてきた。

 彼はボリスから家を購入してくれ、また希少な能力を持つ家族との伝手を作ってくれ、この街の教会からすら見捨てられていた呪われた資産家達を浄化してくれた。

 そのお陰で、今ではその資産家たちもボリスと懇意にしてくれ、一時のどん底状態が信じられないほどに経営状態は好転し始めている。

 今はまだ、外から見ても前と同じようにしか見えないだろうが、もう数ヶ月もすれば大きな商いも以前に近い規模で行うことも出来るようになるだろう。

 そんな、全てのきっかけになった男であるリュヌ。

 彼が今回会いたい、と言ってきたときに、なるべく早く会えるようにスケジュールを確認したのは当然のことだった。

 商人というものは現実主義者であるが、同時に験というものを大事にする。

 運を持ってきてくれた男の訪問を喜ばないはずはなかった。

 それと同時に、また何か、良い出会いを運んできてくれるのではないかという期待もあった。

 だからこそこうして会ったのだが……リュヌが持ってきてくれたものはボリスの想像を超えていた。

 まさか、枯渇したと思われた雪晶を持ってくるとは……。

 呆然としているボリスに、リュヌは言う。


「あぁ、元々は《雪の洞窟》で発掘してたんだってな? 雪竜がどうとか街で聞いたが……」


「雪竜ですか……なるほど。アミトラ教の信徒にそう言われたのですね」


「そうなのか?」


「間違いないでしょう。なんでも、雪晶というものは雪竜の加護によって生まれたもので、その強い力を雪の魔力で凝らせたものである、というのがアミトラ教の信徒の言い分です。ですが……そんなものを確認したものはおりませんし、我が商会で雇っていた人夫たちが雪竜に遭遇した事実もありません。私は純粋に、雪山で魔力が自然に凝って出来たものだと思っています。そして、何らかの要因でこれだけの魔力の籠もった、特別な魔石になるのだと……アミトラ教の信徒にそんなことを言えば非常に面倒なことになるので、言いませんけれど。リュヌ殿もどうかここだけの話に。まぁ……これを見て、そういう神秘的な経緯で出来たのだろう、と信じたくなる気持ちは理解できますけどね」


 ボリスはそう言ってから、改めて雪晶を見る。

 小さな石ころのようだが、中を覗くとそこには吹きすさぶ吹雪のようなものが蠢いている。

 それがゆえに、《雪晶》の名前がつけられた。

 雪を閉じ込めたかのような、美しい形をしているからと。

 美術品として愛好するものもいて、だから大きなものは貴族からも購入を求められたものだ。

 今では、それほど大きなものはなく……在庫をお得意様に細々と売っているだけだが。


「へぇ……自然に、ねぇ……。まぁ、魔石の出来るメカニズムははっきりしていないことが多いからな。南方の火山国ガスタの《夜焔石》や、西方の《風神石》なんかも、いつ、どうやって出来たのかは謎だ」


「流石にそういったものと比べるのは烏滸がましい気もしますが……言いたいことはそういうことですね」


 《夜焔石》や《風神石》は、非常に大きな……人間の大人ほどもある、一抱えの魔石である。

 前者は土地の領主に、後者は神殿によって保有されていて、特別な場所に安置されている。

 あまりにも大きいため、魔力を偏らせ、環境をすら変える力を持つために封印処理が施されているが……もしも魔道具などに使えばとてつもない力を持つものが出来あがることだろう。

 その価値は当然恐ろしく高く……値段などつけられないと言っていい。

 それらと雪晶を比べてしまうと、流石に雪晶はいくら高い魔力を持つとはいえ、匹敵するものはいくらでもある程度の魔石に過ぎない。

 ただ、出来るメカニズムが分からない、という意味では確かに同じだった。

 一般的な魔石は魔物の体内で作られるものだが、それ以外にも魔力が自然に凝って出来るものもある。

 雪晶にしろ、《夜焔石》などにしろ、そういうメカニズムだと考えることも出来なくはないが……はっきりはしていない。


「ところで、リュヌ様。まさかこれが出来るメカニズムを解明しにわざわざ来られたわけではないでしょう? 本日の御用向きはなんでしょうか? もし、この雪晶をお売りしていただけるというのでしたら、高値で買い取りますよ」


 これは別に何か企んでの台詞ではなかった。

 純粋に、新しく雪晶が得られるというのであれば小さな欠片であっても欲しい。

 他に売られても困る、それくらいの気持ちだった。

 しかし、ボリスの台詞にリュヌは驚くべきことを言った。


「あぁ……まぁ、こいつについてはそれでいいんだが、そうじゃなくてな。継続的に雪晶の取引をしないか、と思って話を持ってきたんだ。俺たちが雪晶をあんたに卸す。それをあんたが誰かに売る……そういう話をな」

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