第159話 とある氷狼の独白

 雪に覆われた世界が暗闇の中に沈んだ。

 人の住処からは遙か遠く離れたこのグースカダー山にはいかなる光源もなく、ただ静かに雪がしんしんとつもり続けるだけだ。

 ここに聞こえるのはグリフォンたちの鳴き声だけ。

 数日前から見張り続け、今年の彼らの一日のスケジュールもなんとなく把握した。

 それによれば、そろそろ雄がここに戻ってくる。

 グリフォンたちは家族仲が非常に良く、番を作り毎年群れでここに子を産みにやってくる。

 雌は一月の間、一日中卵を暖め続け、雄はそんな雌のため、下界に食料を取りに朝出かけていく。

 グリフォンたちは、強い。

 一匹一匹では、私たち氷狼の相手にはならないが、流石に数百匹が群れを成して挑んでくれば、とてもではないが五匹ほどに過ぎない氷狼では逃げることしか出来ない。

 ……いや、私が本気で暴れ回れば、それでも全て倒しきることは出来るだろう。

 しかし、そんなことは望んでいない。

 私たちが彼らを襲うためにこうして身を潜めているのは、グリフォンという種族を殺し尽くすためでは決してない。

 自分たちが生きる糧を必要な分、確保するためであって、必要以上の殺戮は山の神、雪竜スノウ・ドラゴン様もお許しにはならない。

 それに、今でこそ私も元気だが、生き物の命など明日はどうなっているのか、分かったものではない。

 おそらく、私はこの山において、雪竜スノウ・ドラゴン様の次に強いだろう。

 雪豚鬼スノウ・オークのカー、スノウゴブリンのリガも中々の強者で、場合によっては私も遅れを取ることはあるが、純粋な力という意味では私が一番だ。

 しかし、それでも私は雪竜様に勝つことは出来ない。

 生まれて十五年が過ぎ、この山に住むいずれの氷狼も相手にならなくなった頃、私は雪竜様すら敵ではないと挑みに行ったことがある。

 グースカダー山最強の座を得て、この山での主となれば、氷狼は決して飢えることなく暮らしていけるようになると……そう思ったからだ。

 もちろん、一匹の氷狼として強い者と戦い、そして私の方が上であると証明したかった気持ちもあった。

 しかし結果は……。

 惨敗、と言ってもなお足りぬほど、簡単に負けた。

 あの頃と比べて今はかなり実力がついたとは思っているが、けれどそれでも全く足りないと感じるほどの力の差を、あのときに理解した。

 雪竜様は戦いを挑む者を避けることはなく、今まで数多くの魔物を屠ってきたと古老から聞いていたが、それが紛れもない事実であるとそのとき悟ったのだ。

 私は生まれて初めて、自らの力を限界まで振り絞って戦ったが、あの方はまるで赤子の手を捻るがごとく、簡単に私を負かした。

 負けても、闘志が消えることはないと思っていたし、もし仮に負けても何度でも挑もうと思っていたが……実際に負けてみると、私は自分の小ささを理解した。

 上には上がいると。

 私の世界は小さく、狭く、そして私は弱かったのだと。

 それでも意地になって挑み続けはしたが……今までただの一度たりとも、あの方に傷を付けられたことはない。

 なぜだかそんな私を気に入られて、色々な知識や技術も教えてくださり、その結果、私は強くなれたが……それでも全く及ばない、それこそが雪竜様だ。

 グースカダー山の神と呼ばれる所以が分かる。

 つまり、私は少しは強いかもしれないが、たった今、誰かに殺されてもおかしくはない程度の存在でしかなく、もしそうなったとき、群れの皆が食料を確保するのに困るようでは問題だ。

 私がグリフォンの群れを殺し尽くし、今日たった一日贅沢が出来たとしても、明日私が殺され、グリフォンと対抗できる者がいなくなって食料が得られない、となったら困るわけだ。

 だから狩りは常に皆で行う。

 私がいなくても継続的に出来る方法を、私が親や兄貴分たちに学んできた方法を教え込みながら。

 たとえばグリフォンの狩り方としては、その群れ全てに挑むのではなく、一匹二匹を釣り出して、そいつだけを倒す方法がある。

 繁殖期のグリフォンは群れに近づけば全員で襲いかかってくる恐ろしい魔物であるが、ある程度の距離までなら警戒はされるが、一気にかかられることはない。

 ただ、偵察がてら、何匹かが周囲を飛び回っているということはあり、そういう奴をうまく刺激して、私たちを追いかけてもらうのだ。

 群れに戻らないよう、調整しながら遠くまで引っ張り込み、そしてそれが上手くいったところで、一気に全員でかかって倒す。

 このやり方が基本だ。

 失敗した場合にはそれこそ群れ全員でかかってこられるのでリスクが低い方法ではないのだが、他にやり方はないので仕方がない。

 今の時期の山で食料を得る方法は少なく、グリフォンを襲うのは一度のリスクは高いが、それでも多くの食料を得られる悪くない賭けだ。

 だから私たちは……。

 

『……姉御。雄共が戻ってきましたぜ』


 後ろから、弟分達がそう私に声をかけてくる。

 空を見れば、口に下界で狩ってきたのだろう獲物を咥えた数百のグリフォンの雄達が飛んで戻ってくる姿が見えた。

 私たちも下界に行くことが出来れば、あれだけの獲物を捕ることも出来るのだろうか……。

 しかし、それは無理なのだ。

 何故なのか分からないが、私たち氷狼は、山を下りると弱体化する。

 古老によれば、山を下りて獲物豊かな下界で生きようと考えた氷狼たちは今まで多くいたと言うが、いずれも力を発揮できず、下界の魔物との戦いの中で命を落としていったという。

 わずかに残った者たちも、種族自体が弱体化してしまったらしい。

 下界の森にいる森狼しんろうという種族がかつてこの山にいた氷狼の末裔らしいが、たまに山に迷い込んでくる彼らと接触してみると、ひどく小さく、弱く、そして愚かな存在になってしまっていることが分かる。

 言葉を操ることも出来ず、体も小さく、魔術も扱えず……。

 そうなることは、耐えられない。

 だから私たちは山で獲物を得るしかないのだ。


『……分かった。狩りはいつも通りに。深追いはしないこと。グリフォン自身が狩れずとも、彼らが落とした獲物を持ち帰るのでも良い。分かった?』


 こうして下界からの狩り帰りの雄を待って狩りを始めるのは、彼らの疲弊している時を狙う、という他にも彼らの獲物の横取りも出来る可能性が高いというのもあった。

 誇り高い氷狼のすることにしてはせこいと思うが、背に腹は代えられないとはまさにこのことだ。

 それに、その方法なら彼らをむやみに殺さずに済むというのもある……。

 力を得るには魔力豊富なグリフォン自身を狩った方がいいのだが、まずは腹を満たさなければ。

 群れの者たちと視線を合わせ、タイミングをとると、私たちはグリフォンたちのところへと走り出した。

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