第109話 雪の竜

「……っ!」


 俺が声をかけると、その雪の精のような少女は警戒した表情を顔に浮かべ、視線を逸らすことなくあとずさった。

 即座に逃げようとしないのは……それが難しい、と思っているから、かな。

 俺に一撃で気絶させられたのだ。

 そんな相手から逃げる、というのは容易な話ではないと言うことは少し考えれば分かるか。

 といっても、俺は仮に彼女が逃げたところでことさらに追いかけて追いつめよう、とは考えてはいないのだが……話し合いが出来るならその方がいいのはもちろんだな。

 彼女……雪竜スノウ・ドラゴンがこのあたりを縄張りにしているのだろう、ということはなんとなく想像がつく。

 俺はここに転移装置を使って今後、何度も訪れることになるだろうし、その度に今のような戦闘に発展してしまうのは避けたい。

 負けることはないだろう、とは思うが、かといって常に戦闘前提でここにやってくるのは面倒にすぎる。

 だから俺は彼女に言う。


「……そう警戒するな。といっても、無理なのは分かるが……特に危害を加えるつもりはないぞ」


「……嘘なの。ものすごい魔術をぶつけられたの!」


 少女は俺に向かってそう叫んだ。

 どうやらしゃべれない、というわけではないようだな。

 真竜ほどの高位魔物となれば、このように人の言葉を解することも少なくない。

 持つ力や生きた年数など、様々な要素にもよるが、強い魔物であるほど、知恵や知識を蓄えていることが多いからな。

 

「ものすごい魔術? ……あぁ、火滅の檻ラハブカダー・カファスのことか? あれはそんなに大層なものじゃない……というか、ほとんど当たってないだろ。その辺りは気をつけたぞ。それともどこか、やけどでもしたか?」


 俺がそう尋ねると、少女は、


「ほら! ここ! やけどしたの! 傷物になったの! 責任とるの!」


 と言って、服の一部が焦げていることを示した。

 さらに肌まで赤くなっている……が、ちょっと赤いくらいだ。

 なんというか、軽くぺちりとたたいたらあれくらいになるかなというレベルの。

 つまり、やはりほぼ無傷である。

 人間であったらかすっただけでも相当な傷になるだろう魔術であるが、やはり真竜の防御力というのは格が違うな……。

 そんなことを考えている俺を、少女は涙目で睨んでいる。


「……はぁ。分かった分かった。ちょっとこっち来い……」


 そう言って手招きをする俺に、少女はしかし、近づこうとしない。

 やはり警戒されているが……。


「……それならこっちから行くぞ」


 まぁ、一応会話は成立しているのだ。

 いきなり飛びかかって来られる、ということもあるまいと思っての行動だった。

 もしそうされたところですぐに魔術盾シールドを張れるように準備はしている。

 自動展開にしているので、たとえ真竜であろうとも反応速度で敗北すると言うことはないだろう。


 近づく俺を見て、距離をとろうとする少女であったが、その背後に結界の壁を形成して逃げられてないようにする。

 

 ーーどんっ。

 

 と壁にぶつかったことに気づいたのか、


「……っ!?」


 と驚いた顔をした。

 その一瞬の隙をついて距離をつめ、そしてその体の赤いところ……服の焦げ付いたところに手を当てて、


「……小治癒カタン・リプイ


 そう唱えた。

 治癒魔術、その中でも比較的低位のものだな。

 といっても、その治癒量はバカにしたものではなく、そそぐ魔力の量や構成の質によってかなりのところまで持って行くことができる。

 属性に頼らない純粋治癒魔術であるため、いかなる傷に対しても常に平均的な治癒量を保てるのがいいところだ。

 属性系の治癒魔術は、いろいろと考えなければならないから面倒な場合がある。

 反対属性に傷つけられた場合によく効くとか、熱病に冒されている場合にはこれは使ってはならないとか……そういう事情をな。

 

 俺が唱えた治癒に少女は一瞬、びくり、と体を震わせるが、穏やかな光が放たれ、そして赤くなっていた部分が少しずつ美しい白磁の肌へと戻っていったことで安心したように、ほう、と息を吐いた。

 俺にとって驚くべきことはこの先で、体が治ると同時に、さらに身につけていた白色のドレスも修復されていったことだろう。


「……なぜ服まで……?」


 俺がふと、口に出すと、少女が答える。


「……? これもネージュの体だからなの。知らないの?」


「……そうなのか。寡聞にして知らなかったな……」


 真竜というのは今もその生態のほとんどは謎に包まれているようだが、昔もかなり謎な部分が多かった。

 戦争中ということもあって、人化することも滅多になく、したがって竜の姿のまま接することが多かった。

 だから、というわけではないが、その服が……体の一部、というのは知らなかった。

 俺だけ、というわけではなく、他の者たちもそうだろう。

 しかし、しっかりと魔軍支給の軍服を纏っていたこともあったし……あれも自分の体だったのか?

 分からん……。

 俺が悩んでしまうと、少女……ネージュは続けた。


「これは引っ込めることもできるの。普通の服も着れるの」


 そう言うと、ドレスがきらきらと解かれ、空気に消え、ネージュは素っ裸になったので……。


「……そういう姿を年頃の娘が男に晒すもんじゃない。服を元に戻しなさい」

 

 と俺が言う。

 ……なんだか老人じみた説教みたいな台詞だな、我ながら。

 でも仕方がない。

 俺は実際、老人である。

 俺の言葉にネージュは、


「……分かったの……。ごめんなさいなの」


 と言って、すぐに元通り、白いドレスを纏った少女の姿になった。

 それから続ける。


「でも、私、年頃なの? もう生まれて百年経ったの。人間ならもうおばあちゃんなの」


 おばあちゃんどころではなく、普通なら死んでいる年だな……。

 しかし、真竜の持つ、長い年月からすると……。

 長命な種族、というのはその精神の成長も緩やかなことが多い。

 エルフなどは百を過ぎるまで子供扱いだし、実際、その精神は幼いことが多い。

 このネージュもまた、そのしゃべり方や雰囲気からして、まだ子供なのだろう。

 だいたい、十四、五の娘と言った感じだろうか。

 やはり、俺からすれば孫のようなものだな。


「俺にはそう見える。そしてそれが問題なんだ……ともあれ、警戒は解いてくれたと思っていいか? いきなり襲いかかられて、こっちとしては聞きたいことがたくさんあるんだが……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る