第50話 魔術の伝授

 憧れの必殺技を目の前にして、それを放った師匠に対する憧憬はもはや崇拝の域に達したのではないか、と思ってしまうほどに目をキラキラさせているジャンヌである。

 しかし、ジールはそんなジャンヌに対し、無慈悲な一言を言う。


「……ジャンヌ。この技はまだ、君には早い」


「え……」


 高位貴族の令嬢の輝かんばかりの笑顔は、その一言で破壊され、絶望の淵に落とされる。

 この世の終わりが来たとしてもそこまで悲しげな顔を人は浮かべないだろう、という顔をしているジャンヌ。

 俺は肩をぽん、と叩くも、固まって無反応だ。

 ……なんか可哀想になって来たな。

 それはジールも同様のようで、すぐに慌ててフォローを入れた。


「いや! ジャンヌ。まだ・・早いってことだよ。そんなにショックを受けなくても大丈夫だ。いずれ、必ず使えるようになるから」


「……本当ですの?」


「もちろん! 今見せたのも、そのいつかのために明確なイメージを持っておいた方がいいからだよ。それと……これから行う修行の目標にもなるからね」


「ええと……?」


 どうやら《光剣払い》を身につけられないわけではないらしい、と分かったからか、涙目だった顔も普通のものに戻ったジャンヌである。 

 けれど、話の進む先が見えずに首を傾げる。

 ジールは続けた。


「今の《光剣払い》を身に付けるのに必要なものがなにか、分かるかな? これはジャンヌ、アイン、二人に聞こう」


 そう言われて、ジャンヌは俺と顔を見合わせて首を傾げる。

 流石にこれは五歳には難しいかな。

 なんとなく分かりそうではあるが、ジャンヌは今は結構冷静さを失っているし、ここは俺が答えた方がいいだろう。


「神聖剣の剣術と……たぶん、魔術、でしょうか?」


 これにジールは強く頷き、言った。


「その通りだ。そうなると、君たちには今、欠けているものがあるね……ジャンヌ、なにかな?」


 ここまで誘導的だと流石にジャンヌにも答えられるな。

 ジャンヌは言う。


「魔術です。わたくし、まだ何にも使えませんもの。他家のご令嬢は、もう生活魔術を発動させた方もいるとお聞きしたこともありますのに……」


 図書室での感じだとあまり魔術に興味がないのかな、という気がしていたがそういうわけでもないようだ。

 むしろ、自分はまだ魔術を使えないのに、他の家の娘は使えるようになっている、という事実に対し悔しさを感じているらしい。

 だからあえて元気に振る舞ったと言うか、興味ない風を装って、自分を慰めていた、という感じだったのかもな。

 五歳で魔術、というのは早いとも遅いとも言えないな。

 《気》であれば文句なく早い、と言えるのだが、魔術は《気》よりもずっと個人的才能にかかっているところが大きい。

 それに、威力と技量が比例しないという違いもある。

 これは何といえばいいのか……《気》であれば、修練を重ねてば重ねていくほど、その者が持つ《気》自体も大きくなっていく。

 しかし、魔術の場合、持っている魔力が初めから極めて大きい、ということがありうる。

 生活魔術も使えないのに、魔力量は大魔術師並、なんていう存在もまれに生まれるのだ。

 そしてこれは場合によっては不幸を招く。

 つまり魔力の暴走だ。

 自分の魔力を制御しきれずに、大爆発、である。

 もちろんこれは例で、爆発に限らず、その場に唐突に大量の土砂が現れるとか、洪水が発生するとか、嵐が起きるとか、色々な暴走の仕方があるわけだが、およそ幸福な結果には至らない。

 《気》にも暴走はあるのだが、こちらはそうなってしまうほど技量が低い人間には、大した量の《気》も宿っていない。

 つまり、せいぜい、本人がものすごく疲労する、とか、最悪の場合でも骨折するとかそんなものなのだ。

 外部に及ぼす悪影響、という意味では魔術の方がはるかに危険なのだった。

 だからこそ、魔術の修練は細心の注意が必要で、ケルドルン侯爵はまだ、ジャンヌに学ばせていなかったのだろう。

 少しでも齧ると、魔術を自分で発動させてしまう危険が生まれるからな。

 それを懸念したのだ。


 しかしジールは言う。


「他人と比べる必要はないよ……とはいえ、君もそろそろ魔術について学んでもいい時期に来ていると思う。ケルドルン侯爵とご相談してね。君に魔術を少しずつ教えていこう、ということになった。それに十分に習熟すれば、いずれ《光剣払い》も使えるようになるよ」


「本当ですの!?」


 これにジャンヌは喜ぶ。

 きっと手に入らないだろう、と思っていたものを急に渡された感じなのだろう。

 しかし、そんな状況であっても、ジャンヌは俺の存在を忘れないでいてくれたらしい。


「あっ、でも、アインは……?」


 魔術の伝授自体に何らかの国や組織からの許可がいるわけではないが、他家の貴族には他家の流儀があり、それを破るのは難しい。

 つまり、わが家であるハイドフェルド家が魔術の伝授は我が家の家訓である《脳筋》に抵触するので教えることは出来ない、と言われてしまえばそれで終わりということだ。

 ……冗談だからな。

 ロザリーも苦手だと言っていたが全く使えないと言うわけでもあるまい。

 この辺り、どうすべきかは俺には判断がつかないのでロザリーを見てみると、


「……ふむ。そうだな。まぁ、簡単なものであれば教えてもいいだろう。とはいえ、ジール殿に任せると言うのも申し訳ないし、私が教えようと思うが……」


 そう言いだした。

 これにジールは、


「いえ、私は構いませんよ。侯爵も問題がないのであれば、アイン殿にはジャンヌに教える予定であることは教えても構わないとおっしゃっておりました」


 と返答する。

 この辺りは貴族同士の貸し借りがどうとか、そういうのが関わってくる話なので色々と慎重なのだろう。

 とはいえ、ケルドルン侯爵は俺にジャンヌの修行仲間になることを認めたわけだし、それは目的があってのことだ。

 それに付随する行動についてはすべて許可する、ということだと言ってもいいはずで、だとすればジャンヌに魔術を教えるのなら俺に教えてもいいということになるだろう。

 問題があるとすれば、俺はすでに魔術を使えると言うことだろうか。

 それも通常魔術については大体極めた。

 死霊魔術だっていけてしまう。

 というかそれが専門だ。

 しかしそんなこと言う訳にもいかない……せいぜい頑張って、初心者を演じるしかないな、これは。


「ううむ……ではお言葉に甘えさせてもらおう。しかしただで、というのも気が引ける。今日の模擬戦のように、何か私に出来ることがあったら言ってくれ。喜んで協力させていただこう」


「おお……鬼姫ロザリーにそこまで言っていただけるとは。知人に自慢できますね」


「その名前は無しだぞ。次に言ったら切るからな?」


「……失礼を」


 もちろん、このやり取りは二人の冗談で、お互いに微笑んでいるから問題ないのだろう。

 ただ、ロザリーの目の奥はちょっと笑っていなかったし、言ったジールの額には若干の冷汗が見えた。

 このあと、ジールは決してロザリーのことを鬼姫、と呼ばなくなったのは言うまでもない。

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