第33話 朝練

 肉体が躍動している。

 内部に鉄芯を入れ、重量を持たせた木剣を軽々と振る、ロザリー。

 正統流の最も基本的な型を初めからゆっくりと、確認するようになぞって動くその様子は、一見、達人と言うよりも剣術を習い始めたばかり、かのようにも見える。

 けれど、実際はそうではない。

 その仕草一つ一つが極めて研ぎ澄まされ、洗練されており、どの動きにも一片の無駄も見えない。

 また、こういった型は、スピードを上げて行うよりも、それをもともとの動きよりも緩めた方がずっと難しいものだ。

 速度を上げれば粗は見えにくくなり、それこそまるで達人が剣を振っているかのように見せることもそれほど難しいことではない。 

 けれど、こうまでゆっくりとなると……一つの綻びが、全体に及び、そして動きの全てが不格好なそれへと変わっていってしまうものだ。

 ロザリーの型にはそういった綻びが一切なく、いずれも美しいものだ。

 毎日、欠かさずに修練していなければこうはならない。


 しかし……。


「……今日くらいは休んでもいいんじゃないかな?」


 ぼそり、と俺がケルドルン侯爵家の屋敷の中庭で呟くと、ロザリーは耳聡く聞きつけたようだ。


「……アインか。まだ寝ていても構わんのだぞ? ……しかし、まるで気配を感じさせないな、お前は」


 俺に、そんなことを言った。

 今はまだ、早朝。

 昨晩はケルドルン侯爵家自慢の料理人たちの料理を楽しませてもらい、おなか一杯になってよく眠れたので気分が良い。

 確かにもう少し眠っていたい気もするが、朝早く起きるのはもう習慣だ。

 ただでさえ、田舎の朝は早いものだからな。

 レーヴェという屈指のど田舎で育った俺が、朝に弱いはずもなかった。

 ちなみに、気配については確かに消していた……というか、無意識に断ってしまうところがあるな。

 かつて、魔族四天王だった頃は常に周囲を警戒し、自らの居場所を察知されないように気を配っていて、そのときの癖が抜けないのだ。

 百数十年、そんな生活をし続けていたものだから、生まれ変わったとはいえ、たった五年ではどうにもならないということだ。

 別に不利益があるわけではないし、無理に直す必要もないだろうが、ロザリーのような達人にとってはそういう気配のつかめない相手がいきなり現れると言うのは心臓に悪いのかもしれない。

 

「修行の邪魔はしちゃいけないかなと思って……」


 言い訳がてらそんなことを言ってみるが、百パーセント言い訳と言うわけでもない。

 半分くらいは本気の台詞だった。

 これにロザリーは、


「確かに、集中しているときに、それを切らさないように配慮してくれるのはありがたいが、お前は私と伍する戦士なのだ。戦士が二人いれば、訓練もまた違った趣のあるものを行うことが出来る……そうだろう?」


 この台詞の意味が、俺が分からないわけはなかった。

 問題があるとすれば、五歳の子供に言うことではないし、また、俺がロザリーと同じくらいの戦士であると断言されていることにも問題を感じるが……話半分くらいに聞いておくのが精神衛生にも良さそうだ。

 俺はロザリーの言葉に頷き、中庭の端の方に置いてある木剣を取る。

 これは別に俺やロザリーが用意したものではなく、もとからこの中庭に置いてあったものだ。

 昨夜の晩餐においてケルドルン侯爵から、ここでジャンヌと、その師匠であるジールが訓練をしていて、そのために必要な用具はそこにある、との説明を受けた。

 その際に、ロザリーが朝に軽く体を動かしたいので、場所と用具をお借りしてもいいか、という話をしていたのだ。

 ロザリーからしてみると、一日でも剣を振れない時間があるのは耐えられないのだろう。

 貴婦人の生き方ではないが……しかし、剣士としては正しいそれであるのは間違いない。


「……こっちは鉄芯が入ってないけど、ハンデだと思ってよ」


 俺がそう言うと、ロザリーは、


「……む。鉄芯が入っていると分かったか?」


 と尋ねてきた。

 確かに、見た目は全く同じだ。

 しかし、俺からすれば一目瞭然である。


「少し、剣先がぶれていたから。それに普段よりも振りが遅いもの」


 それに加えて、俺は様々なものに宿る魔力を見ることも出来る。

 意識しないかぎりはそこまで詳細には見えないが、ロザリーの持っている木剣の芯に使われている鉄は、耐久性を上げるためか結構な魔力が込められているようなので、俺にははっきりと分かるのだ。

 ロザリーはそんな俺の事情を知らないので、俺の言葉を額面通りに受け取り、眉根を顰める。


「……そうか。私もまだまだ修行が足りんようだ……付き合ってくれるか?」


 別にそこまでふらついていたわけでも鈍かったわけでもなく、言い訳に使わせてもらったのだが、ロザリーのスイッチが入ってしまったようだ。

 これは流石に俺が責任をとらなければならないなと思い、仕方なく頷く。


「構わないけど……僕は初心者なんだからね? その剣が命中したら、死んじゃうことを忘れないでよ」


 鉄芯入りの剣など、当たれば即死だ。

 それも達人の振るうとなれば余計にである。

 けれど、この言葉にロザリーは首を傾げて、


「……アイン、正直、お前には当たる気がせんのだが……まぁ、確かにその通りだ。十分に留意して、お互いに寸止めと行こうか。お前は私に当ててもいいがな」


「淑女を叩くわけにはいかないから、僕も寸止めするよ……あ、そうだ。ちょっと試してみたいことがあるから、やってみてもいいかな?」


 ふと思いついて、俺がそう言うと、ロザリーは再度、首を傾げる。


「……ん? なんだ?」


「それは、試してみてからのお楽しみ……じゃ、ダメかな?」


「構わんが……道化のようなおかしなことをして笑わせる、というのは無しだぞ? 世の中にはそのような奇抜な戦士もいなくはないのだが……」


 ……そんなのがいるのか。

 しかし、もちろんのこと、そんなことをするつもりはさらさらない。

 そうではなく、俺は新しい力を試してみたいのだ。

 ロザリー相手にどこまで通用するかは分からないが……とりあえずやるだけやってみよう。

 そう思って、俺は剣を構えた。

 ロザリーも対面に同じように構え、そして風が吹く。

 ここに審判はいない。

 だから、お互いの息が合ったことを合図に、俺たちは同時に地面を蹴った。

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